歯科医師それだけに恋しちゃってもKOですかー!?

ぴこたんすたー

第1話 メロンパンが呼んだ恋の始まり

 昔からある菓子パンの王道、メロンパン。

 子供からお年寄りにも愛され、上品な砂糖菓子と濃厚なバターに包まれた青春の味が癖になる。


 口に頬張る度に懐かしい想い出が胸一杯に広がる食感。

 これは僕の初恋の味でもあった。


****


「痛い、痛いよー!」


 うららかな春の我が家の午後。


 かじりかけのメロンパンを畳に落とし、坊主頭の高校二年の風来成垂太ふうらい なりたこと、僕は辛い現実に堪えきれずボロボロと感情をぶつけていた。


 目の前には仁王立ちする平等院鳳凰堂、阿弥陀如来像のような顔つきの中年がいた。

 その風格でスキンヘッドの親父に睨まれ、僕は身動きも取れずに未だに号泣している。


「だからお前が悪いんだろ?」

「だって親父、痛いものは痛いよ」

「詰め物が外れただけで大袈裟おおげさな」

「親父は虫歯になったことがないから気持ちが分からないんだよ」


 脅しと見せかけて相手は芸能人のような歯並びで苦笑する父はともかく、僕は人生最大のピンチを迎えていた。


 永久歯に生え変わり、すぐに訪れた地獄に蓋をしたかと思えば、コイツをかじることで詰め物の蓋が外れた。


 親から貰った少ない小遣いを片手にコンビニで買って食べる、いつもの楽しみにしていたメロンパン。


 月一の小遣いをいただく日の記念として、毎度のようにバターの程よい香りに食欲をそそられたのはいいものを、クチャクチャと歯にまとわりつくクッキー生地にしてやられたのだ。


「成垂太、流石に歯が取れたとなると大人しく歯医者に行くしかないな」

「嫌だよ、あっこは魔の巣窟だよ」

「なーに、『野良のらくれクエスト』のゲームと一緒だ。モンスターの巣窟でもいざ足を踏み込んで冒険してみないと分からないだろう?」

「だから親父は歯医者に通ったことがないから、そう言えるんだよ」

「だったら……。人生の敗者復活戦でもやるか」


 親父がどこからか取り出したお気に入りの工具入れから鈍く光る爪を見せる。


「コイツでちょちょいと抜くしかないなあ」

「親父、それはラジオペンチじゃないか!?」

「おう、ご存じの通り。まだ歯医者がない明治時代以前の江戸時代では重宝した代物だぞ」


 嘘か、まことかは知らないが、昔の人は痛みに対して我慢強かったんだな。

 でもそれを今の時代の僕に押しつけられても正直に困る。


「そんな強引なやり方なんて、じょ、冗談じゃない!?」

「なら分かってるな?」


 ようやく覚悟を決めた僕は親父の説得により、強引に近所の歯医者に行かされるようになった。


****


『キュウーン、ギュリギュリー!』


 街中から少し外れた所にあるシオサイ歯科医院。

 そこにて消毒液の香りがする白き密室で行われている悪魔のような儀式。


「大丈夫、痛くないですよー♪」


『ギュリギュリギュリー!』


「ぎゃあああー!!」


 鼓膜が破れそうな機械の音に負けじと、金切り声みたいな叫び声を上げる相手。


 僕の診察の前に恐る恐る入っていた中学生風の女の子だったが、数分後には苦しみでもがく声しか聞こえてこなかった。


「駄目だ、とてもじゃないが耐えられない」

「まあまあ、どんまい」


 僕が待合室の赤いソファーから腰を上げようとすると、受付の長い黒髪の若いお姉さんが僕の前に来て、飴(ペロキャン)をちらつかす。


「失礼な。僕はもう高校生だぞ。そんな物につられるか!」

「んっ、そうなん?」


 お姉さんは何を思い出したのか、その飴の包装紙を剥がして急にペロペロと舐めはじめ、僕にセクシーな顔でアピールする。


「ねえ、ボウヤ。あたしがじかに舐めたこの飴欲しくなーい?」

「なふっー!?」


 僕の純情だった理性が一気に吹き飛ぶ。

 あんな綺麗なお姉さんと間接キッスできるんだぞ。

 こんな美味しいチャンスそうそうない。


(※喫茶スペース以外の院内での飲食は禁止です)


「その据えぜん、いただくにたてまつる」

「うん? 言ってることが意味不明なんだけど?」


 お姉さんが首を傾げながらも優しそうな微笑みで僕を捉えて離さない。


「こんな綺麗で素敵なお姉さんがファーストキッスの相手なら僕はボクはー!!」


『はい、次の方。風来成垂太くーん!』


 診察室にいた女性歯科医師の凛とした声が僕の耳に飛び込み、お姉さんへの欲望が止まる。


「ああ、もう時間やね。虫歯治療頑張ってな」

「ぬはぁー!?」


 そうか、このお姉さんは僕を誘惑するふりをして、時間稼ぎをしていたに過ぎなかった。

 女性に免疫がない僕はいとも簡単に騙されていたのだ。


「この裏切りものがー!」

「さあ、夢物語はしまいだ、お兄ちゃん。大人しく行こうか」


 僕の両腕が、逞しい肉体の二十代くらいの男性医師に掴まれて、暴れる体を押さえつけられ、半端強制的に連れ去られる。


 何て強い力だ、この男はロボットか?

 たった一人の手によってこの僕がだぞ!?


「ボウヤ、ばいばいにゃーw」

「いいか、お姉さん。今度生まれ変わったら意地でもそのアイテムを手に入れてやるからなー‼」

「はいはい。行ってらーw」


 僕が望まれた転生を求めて『ギャーギャー!』と喚くなか、仕事に戻った受付のお姉さんはすましたような顔をして僕に手をふり、さよならをしている。


 僕は男性医師に神輿みこしのように担がれ、お姉さんの息がかかったペロキャンに指を突きつけながらも、この場を後にした。


****


「はい、いらっしゃい。成垂太君」

「えっ、あっ、はひ‼」


 僕は過呼吸になりかけて上手に言葉がまとまらない。


 茶髪のミディアムボブで三十代くらいに見える先生は、さっきの受付嬢を上回るほどのスタイル抜群で群を突き抜けるほどに美人だった。

 そんな相手から柔らかく手を握られ、治療台に誘導された日が来たとなれば、落ち着けと念じた方が無理である。


「心配しないでね。痛くしないから」

「はひっ、任されました」


 ああ、香水か、化粧か知らないが心が穏やかになる香りだ。

 これが聖母マリアの安らぎというものだろうか。


 僕はお姉さんから愛の手解きを受け、流れるままに席へと吸い込まれた。


『キュウーン‼』


 そのお姉さんは右手に鋭い棒を持ち、ベッドに寝ている僕の口を指でそっと開ける。

 僕はどうぞ、優しくして下さいと思いながらそっと目を閉じた。


『ギュリギュリ‼』


「あがががー!?」


 お姉さんからのアプローチは激しかった。

 棒が歯に触れる度、振動と痛みが口内全体に伝わり、思わず気を失いそうになる。


「お姉ざん、もっどやざしぐ……」

「何でしょう。そんなに痛みますか? すぐに神経を抜いて終わりますから、もう少しだけ我慢して下さいね」


 治療の手を止めずに僕の頭に手を触れて優しく撫でるお姉さん。

 豊かな胸に付けられた『燐香りんか』と書かれた名札がたわわんと揺れる。


 激しくヒートアップしていく治療の中、僕はこの歯科医師の燐香さんにほのかな一目惚れをするのだった。


 

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