第4話

 次の日の昼、三人は村人の男性一人と彼のロバと一緒に森の中を歩いていた。

 森の中には近隣の住民が手入れをしている道があるが、それは迫りくる下草や降り積もる落ち葉に道が埋もれてしまわぬ程度になされるもので、決して歩きやすく整備されているわけではなかった。


 歩きながら村人の話を聞くと、元々この道はそれほど危険な場所ではなかったのだそうだ。

 それがこのところ、魔物に襲われる者が増えたのだという。


 襲われた者はほとんどが体の一部しか見つかっておらず、服装や持ち物から何とか身元が確認できたが、それはこの道を使う者が元々地元の人間に限られるから可能だったようなもので、そうでなければ難しかっただろう。

 もし主要な街道でそんなことが起きれば、さすがに兵隊も黙ってはいないのだろうが、なにぶん小さな村と村を繋ぐ細い道のことで訴えても、なかなか役人は重い腰を上げてはくれないのだという。


「何で魔物だと思うんだ? 凶暴な獣かもしれないだろ」


 セオドアの疑問は当然であったが、男が説明するには、襲われた者の中に、幸運にも五体満足で生き残った者がいたというのである。


 その者は夕暮れ時に馬に乗って村へと帰ろうとしていたところを襲われたという。

 驚いて立ち上がった馬から振り落とされた彼が見たものは、馬の首に喰らいついて引き摺り倒そうとしている黒い影だった。


 馬を見捨ててその場から逃げ出した彼は、村の者達から襲い掛かってきたものの正体について問われたが、それを明確に答えることができなかったらしい。


 ただとにかく黒い何かだ。黒くて大きい何かの獣の影に見えた。影だ。正体はわからない。


 そう繰り返すばかりで全く要領を得ない。


 その時点では周囲の村人も半信半疑といった感じであった。恐怖と混乱で記憶が定かでないのだろうと結論づける者もいた。


 しかし、数日後に男が襲われた近くの森の中で、腹をかれて食い荒らされた馬のが見つかり、とにかく何か大きな獣のようなものに襲われたという男の証言は、少なくとも嘘ではないという話になった。

 残された噛み痕や、爪と爪の間の長さから、それは大型の犬などという表現ではとても収まらない大きさであることがわかったからだ。


「まあでも今は昼間で、しかも四人も人間がいる。そんなに心配はいらないよ。襲われたのは、みんな夕暮れより後だっていうからね」


 そう村人の男は話を結んだ。


 ルドルフは歩きながら、ときどき横を歩くロバの顔を見ていた。

 ロバを見たのは初めてではなかったが、ルドルフが生まれ育った小さな島で飼っている家はなく、こういう運搬のための家畜は外から来る商人などが連れているもので、物珍しかった。

 戦災孤児となったルドルフを助けたエデルという若い騎士は馬を持っていたが、ロバはいなかった。

 こうして見ると、小さい体に兎のような耳と長い睫毛に黒い目が、馬よりも可愛らしく思えた。


 ロバの頭を撫でてやろうか、でも嫌がるかもしれないし、何より他人の所有物である。

 許可を得れば問題ないかと思い、ルドルフが男に声を掛けようとした時だった。


 ぴくりと長い耳を振り立てて、ロバが歩みを止めた。

 男が慌てて手綱を引くが、歩き始めるどころか四肢を突っ張って後退しようとする。


「おいおい、どうした」


 男の声には苛立ちだけでなく、恐怖と、もしかしたら単なるロバの気まぐれなのではという僅かな希望が混じり合って上擦っていた。


 周囲に不快な匂いが立ち込める。


「何だ、この匂い」


 ルドルフは嗅いだことのない匂いであったが、それは一般には卵の腐ったようなと形容される、硫黄いおうに似た匂いであった。


「おっさん、俺の後ろにいなよ。なるべく道の真ん中に寄ってな」


 セオドアが剣を抜いて構え、リードも杖頭にはめ込まれた薄い緑色をした半透明の魔石に右手をかざす。

 ルドルフも剣を抜いた。


 ざあざあと周囲の低木が鳴る。

 風とは違う。

 気配に質量がある。

 何かが周囲を駆けまわっている。

 高い位置からの音がないということは、それは地面を駆けまわっているようだ。


 異臭はますます強くなり、同じくして地を這うような唸り声がそれに混じった。


「風の精霊よ……」


 リードが詠唱を始めると、魔力を込められた魔石にぽうっと光が宿る。


 四人の前方にロバよりも一回り大きな黒い影が躍り出た。

 影は唸り声をあげ、セオドアに飛び掛かる。

 セオドアが眼前がんぜんに剣で受け止めた影には鋭い黒い爪があった。

 力任せに弾き飛ばすと、影は飛び退り、身を低くしたと思うと、再度、素早く飛び掛かってくる。


 黒い塊に斬りつけたセオドアの剣が止まる。

 がっちりと剣を挟みこむように白い牙が並んでいるのを見たセオドアが剣を振り切ろうとすると、影は大きく跳躍した。


「セオドア!」


 ルドルフはセオドアの背中を狙う影を剣で薙ぎ払う。

 爪か牙か、硬質な手応えがあり、影は横に飛んだ。


 セオドアが乱暴に舌打ちをする。


「何だこいつは!」


 ルドルフは相手をしっかり見ようとして目を細めたが、どうにも明確な像を結ばない。


 黒い影はゆらゆらと輪郭りんかくがおぼつかなく、そのくせセオドアを攻撃した黒い爪と白い牙はやたらとはっきりしている。

 目があるとおぼしき位置には赤い火のような光が灯っていた。

 周囲は昼間であるのに、そしてそれは確かにそこにいるのに、陽炎かげろうのように存在が揺らいで見える。

 まるで切り取られた闇夜の白昼夢だ。


「おい、リード!」


 セオドアが相棒の名を呼んだが、リードはいつものような憎まれ口は返さなかった。


「……天地あまつちの間を繋ぎしものよ、その吹きゆく自在の力もて、我が道を阻むよこしまなる者を暴け」


 突如として強い風が駆け抜ける。

 風前の火のように黒い影の輪郭がちらつき、影を覆っていた陽炎が千切れ飛ぶように消えゆくと、そこには仔牛ほどの大きさの黒い獣が現れた。

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