第2話

 ばちんと枝がぜて、だいだい色の火の粉が暗い中を舞う。

 森の中の道のそばで三人は野宿をしていた。


 人間の臭いがしみついた森の中の道は、そうでない場所に比べれば安全だが、それでも野生の獣や魔物の危険がないとは言えない。一晩中火を焚き、交代で番をする必要がある。


 セオドアとリードは特定の傭兵団にはあえて所属せず、大きな仕事のありそうな場所を自分達だけで渡り歩く傭兵であった。セオドアは見た目のとおりの剣士、リードは風の魔法を得意とする魔法使いである。


 セオドアは声も動作も大きい。意志の強そうな胡桃くるみ色の瞳と横に広い口は、どちらもよく動いて、彼の表情を豊かに見せていた。

 ルドルフに色々と話しかけるのは主に彼だ。一旦受け入れると決めた以上は、目的地までは仲間として扱うということらしい。面倒見の良い性格をしているのだろう。


 リードの方はセオドアと比べるとずっと無口で、時々ルドルフのことを観察するような目を見せる。そういう様子はどこか猫に似ていなくもない。

 薄暗がりの中ではわかりにくかったが、彼の肌は銅を連想させる褐色である。頭部に巻いた布もルドルフには見慣れぬ装いであり、その布の間から見える髪の毛は金色だった。どこかずっと遠い地から来た人間なのかもしれなかった。


 もっとも、ルドルフもこちらの大陸の出身ではない。


 故郷は五年前の戦争で焼けてしまったのだと少年ルドルフは二人に語った。


 彼の故郷は南国の海に浮かぶ群島の一つであったが、そこが戦場となり、戦禍に巻き込まれた。

 天涯孤独となったものの、親切な若い軍人に身元を引き取られ、その世話を受けていたが、少し前にその軍人が栄達し、南の大陸にある王国の王都へと移ることになった。

 ルドルフは彼と別れ、一人で生きていくため群島を北へと渡り、西の大陸へと降り立ったばかりであった。


「何だってその世話してくれた軍人か? そいつについて行かなかったんだよ。邪魔にされたのか?」


 セオドアが固いパンを火で炙りながら問うた。それは自然な発想である。

 ルドルフの話では、その若い軍人は下級貴族の筋でもあるという。ならば王都で縁談が待っていても不思議ではない。縁のある貴族の子息ならば事情によっては連れ子も許されるかもしれないが、島の子供を連れていくわけにはいかないだろう。


 ルドルフは首を横に振った。金色の目に炎が揺れる。


「一緒に来るかって誘われたけど、俺が断ったんだ」


「はあ? 何で」


「俺の島を焼いたの、その国だから……かな」


 少年は両膝を立て、剣を抱くようにして座り、古ぼけたブーツに包まれた爪先を居心地悪そうに動かした。


「……ああそう。そりゃそうなんだろうが、お前、何てェかなあ、それはよう」


 セオドアは地面に落ちていた小枝を拾って、火に投げ入れた。

 ぱち、と乾いた音がして火の粉が上がる。


 五年前の南の戦争についてはセオドアも知っていた。ちょうどその頃は北の商人ギルドの方でも揉め事があり、そちらの方が儲かりそうだったので南には行かなかったのだ。


 大国の間にある緩衝地帯は、戦争が起きれば両国がぶつかる戦場となる可能性が極めて高い。他国同士の戦場となれば、両方から無茶苦茶に踏み荒らされる。それはそういうものだ。


 群島は一般的に「群島国家」と呼び慣らされているが、正式には国ではない。

 島々に住む多くの部族の中でも、特に有力な部族が集まって形成している「連合」とでもいうべきものだ。実態としては、こちらの大陸でいう都市同盟やギルドに近いだろう。


 少年の故郷の島がどの程度の規模なのかは知らないが、群島側から積極的な支援があったとは到底思えない。見捨てられたならまだしも、政治的な「生贄」として差し出された可能性も否定できない。


(その親切な軍人とやらに付いて行きゃ良かったんだよ。少なくとも、そいつはお前のことを気に掛けてくれてたんだろうに)


 そう思って、口には出さずにおく。

 先ほどの少年の言葉には迷いがあった。

 きっとこの少年はさといのだろう。

 今、セオドアが考えたようなことも、とっくに理解しているに違いない。

 しかし、正しく理解していることと感情は別だ。

 感情は正しさに繋がるとは限らない。

 正しさを選び取りたくないこともある。

 感情を呑み込む術を知らない子供ならば尚のこと。


 リードの方はと見ると、彼もじっとルドルフの横顔を見ており、相棒セオドアの視線に気が付くと黙って小さく肩をすくめた。


「人が住む場所まで連れてってやるのはいいぜ。言い出したのは俺だしよ。で、その後はどうすんだ。今の話じゃアテもツテもねえんだろ?」


 セオドアは話の方向を変えた。


「傭兵の口を探しながら西に向かう」


「何で西?」


「俺にはもう島も海もない。家族も家も。生きるために、どこかには行かなきゃいけないけど、南と東は嫌だった」


 五年前の戦争は、南にある王国と、そのさらに東にある国の衝突によって起きていた。


 ルドルフは剣を抱く腕に力を込める。

 少年の腕の中で、安物の剣がガチャリと音を立てた。


「……ボウズ」


 不意にリードがルドルフに話しかけた。

 彼が自分に話しかけてくるとは思っていなかったのだろう。ルドルフは少し驚きつつ、すぐに返事をする。


「何?」


「どうしてあんな場所にいた。群島くんだりから来たお前が、道を外れて森に入る理由はねえだろ」


「それは……」


 船からこの大陸に降り立ったルドルフは、港で働く人間に西に行く道を尋ねた。

 何人かに話を聞き、さて行くかという時に、商人風の男に声を掛けられたのだという。

 男が言うには、この森の道から入ったところに自分の倉庫を持っているのだが、最近、大きな鼠が住みついて困っている。退治してくれれば礼金も払うというのだった。


「それでノコノコついてったのか?」


 助けを乞うふりをして子供をさらう典型的な手口である。

 リードが切れ長の目を鋭く細めて尋ねると、ルドルフは黙ってうなずいた。


 道から外れてしばらく進んだところで男は態度を豹変させた。

 男の体格としては、背はルドルフよりも少し高いくらいであったが横幅はあり、ルドルフが普通の少年であれば組み敷かれてしまっていただろう。


「殺したのか?」


「あいつの帯に挟んであったダガーをももに突き立てただけだから、あれだけで死んだかどうかまではわからない」


「そいつはご愁傷様だな」


 全く心のこもっていない台詞を吐いて、リードは焚火にかけられていた鍋からスープを椀に掬った。

 足を怪我していては森の中の移動は困難だろう。

 今夜は狩りに失敗し、さらには群れのリーダーを失ったヨウワどもの気が立っている。

 人間の血の匂いにはさぞかし敏感になっているに違いない。

 まあ、その分こっちは安全である。


 話を聞いていたセオドアが首を傾げた。


「わからんもんだねえ。普通襲うか? こんな小汚えガキ」


「俺に言うな馬鹿。後で売り飛ばすつもりだったんじゃねえのか。黒髪だし」


 この世界では黒髪の人間は希少だ。

 夜目のうちではあるが、セオドアが見る限り、ルドルフの髪は混じりけのない純粋な黒である。

 しかし、あまり手入れされていないどころか、おそらく鏡など見ずにナイフか何かを使って適当に切ったのだろう。少年ルドルフの黒髪はひどく短く、ひどく不揃いであった。


 ルドルフの話では、彼の面倒を見ていたという男は父親か兄のように接してくれていたということなので、このような髪の扱いをするとは思えない。

 これはセオドアの推測だが、その男と別れた後、旅立つ前に自分で髪を切ったのだろう。

 それは少年のいかなる決意の表れであったのか。


「……売れねえだろ。男色趣味の貴族に売るのは、もっとこう、線の細い美少年だろうがよ」


「俺に言うなって。お前の知らない世界があるんだろ。どうでもいいよ、俺には。でも少しは気ぃつかってやんな。ボウズは嫌だったろうさ」


 リードに言われて、セオドアはルドルフを見る。

 ルドルフは分けてもらったパンにかじりつくところだった。


「……わりい、嫌だったか?」


「別に。俺も用心が足りなかった」


 それを聞いたセオドアは口を歪めて、肩をすくめた。


「だとよ、リードさんよ」


「だから、俺に言うなよ」

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