疲労回復オレンジシロップ 4

 翌朝、目覚ましの音で目が覚める。

寝ぼけ眼を擦りながら体を起こすと、台所から何か作業をしている音が聞こえてくる。


 くぁ、と欠伸をしながら部屋を出ると、案の定、姉が鍋の中身とにらめっこをしていた。


「おはよう、恵美」

「おはよー……。シロップ?」

「そ。オレンジのシロップよ。疲労回復にいいの」


 ふわぁ。さらに大欠伸をかましながら、私は冷蔵庫のアイスティーをグラスに注ぐ。

一気に飲み干して、ようやく眠気が覚めた気がした。


「シロップ屋さんだもんねぇ、おねえちゃん」


 姉が適正職業ジョブ検査を受け、その職業が『調合師』と判断されてから約一年。

姉は、国から調合師向けに依頼されている、毎月の低級回復ポーションの納品をこなす傍ら、シロップ屋さん――店名を『シロップ・メディ』――を開店させた。

 調合師というジョブの恩恵か、姉の作るシロップにはその種類によって変わる、微小なプラスの効果が付いていた。

 例えば、今作っているオレンジのシロップには疲労回復。ジンジャーのシロップなら、寒さ軽減。そんな感じ。

 とはいえ、飲んで劇的に何かが変わるわけでもなく、言ってしまえば、栄養ドリンクと似た立ち位置の効果。

無くても困らないけど、あったら少しだけ助かるよね。その程度。


 それでも、姉の作るシロップは一定の売り上げを確保している。

 ケガや病気はポーションで回復、というのは、ここ三年の間に定着した考え方だが、ポーションは低級であっても、一回分が千円から二千円くらいで取引されている、高価なもの。

そもそも、ポーションが必要になるほどのケガや病気は、生活を営む上では滅多にしない。

単純な疲労程度なら、ポーションよりもコスパの高いシロップに人気がいくのは至極当然のことだった。


「それよりおねえちゃん。ご飯は食べた?」

「あら、食べ忘れてたわ」

「やっぱり……。パンでいい?」


 言いながら、返答も聞かずに食パンを二枚、トースターへと放り込む。

姉の隣の空いているコンロにやかんをかけ、火を付ける。

火がやかんの底を焦がしている間、カット野菜の袋をバリバリ開け小皿にそれを流しこむ。ミニトマトをひとつ飾った。


「お供え、持ってくるね」

「はぁい」


 一晩、仏壇に放置していたムースケーキとアイスティーを回収し、台所へと持って来る。

アイスティーは流しへ流してしまい、ケーキは机へ置く。

こっそりとにおいを嗅いでみたが、特段変なにおいもしないし、まだ食べられるだろう。


 表面が少し乾燥しているケーキとサラダを並べている最中、目に入ったのは手のひらサイズの小さな瓶。

濁った深緑色の液体が、その瓶の中で揺れている。


「おねえちゃん、それ、昨日の?」

「ん? あ、いけない。納品用の箱にしまい忘れていたわね」


 うっかりしてたわ。なんて言う姉に、しまうから、シロップ見てて。と私は言う。


 煮詰めて濾過をした低級回復ポーションは、濁った深緑色。

畳のいぐさのにおいがして、おばあちゃんの家を思い出す。

けれど、陽夏がくっそ不味いと言い放ったように、味は不味いともっぱらの噂。

例えるのなら、濃く煮出しすぎたせんぶり茶に青汁を混ぜたような味、らしい。


 もしかしたら、これからお世話になるかもしれないだろうポーションの味を想像し、たまらず顔を顰めてしまう。

顰めながらも、納品用の木箱に一本ずつしまっていく手は止めない。


「瓶自体は小さいとはいえ、二百本もあると量が多く見えるよね……」


 独り言ち、最後の一本をしまって蓋を閉じる。

あとは、姉が昨日頼んだ集荷業者に預けて、今月分の納品は終了。

決まった期日に納品代金が振り込まれれば、来月の生活費の一部にできる。


 そこまで考え、私は小さくため息を吐く。

今までは、姉が働いた分の給料と、両親が残した遺産。

それから、行政から支給される手当金なんかをさらに切り詰めて生活し、更には学校にまで行かせてもらっている。


 姉も年頃なのに、私のために相当我慢している部分もあるはず。

だからこそ、私は今日の適正職業ジョブ検査で、ダンジョンに入り込めるジョブを強く希望している。


(材料を私が採ってこれば、ポーションの材料費がその分浮くから……。おねえちゃんも、少しは楽になるはず)


 それに、私が稼げるようになれば、今よりもっともっと、生活は楽になるだろう。

たまの休みに旅行に連れていくとか、美味しいものを食べに行くとか、姉に恩返しもできる。

 私は姉の笑顔を思い浮かべ、がんばるぞ、と内心で決意を固めた。


「恵美ー、パンが焼けたわよ」

「はーい」


 トースターが音を立てて止まる。

食パンの焼けた香ばしい匂いが漂ってきて、思わず鼻をひくひくさせてしまう。


「はい、おねえちゃんの」

「ありがとう。あとでもらうわね」


 冷蔵庫からマーガリンを出して、トーストに塗ったあと、間髪を入れずに齧り付く。

うん。トーストの味。美味しい。


 トーストを齧り、サラダを平らげ、なんかやけに素材の味がそのままするな? と思えばドレッシングをかけるのを忘れていた。


「ま、いっか」


 平らげた後にドレッシングをそのまま飲むわけにもいかないし。

私は昨日のお供え物だったケーキを口に放り込む。

時間が経ったせいかもしれないけど、仏壇に供えたお菓子は、食べると昨日のものよりも軽く感じた。

 両親が食べていたならいいな、なんて思いながら、使った食器を軽く洗う。

汚れを落として、食洗器の中に立てて並べた。


「おねえちゃん、食洗器お願いしていい?」

「いいわよ。朝ご飯もらったらスイッチ入れておくから、気にしないで」


 姉は笑みながら、鍋の火を止めている。

そろそろシロップが完成に近付いているらしい。

私は制服に着替えに、部屋の扉を開けた。

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