Episode 1-2


溜息ひとつ足元に転がして、立ち上がる。

掃除をしなくてはならない。月に一度、共同生活寮に監査が入る。

もし監査員が部屋を見て回り、だらしない態度であれば、相応のペナルティを受けることになっている。

今日がまさにその日。最低限の掃除だけでもしておかねば、またねちねちと嫌味を言われたり、食堂で提供される料理の質が下がったり、お小遣いも減らされる。

ごそごそとベッドから這い上がり、布団を畳み始める。

その折、コロンと何かが転がり落ちて、久芳の足元にぶつかった。目で追い、落ちたものが動きを止めたところで、ゆっくり近寄る。


「なにこれ……」

 

ゴミだろうか。そう思い拾い上げてみると、ピアスだった。

まるで見覚えがない。

部屋はきちんと毎日、一応は掃除しているはずだ。だとすると、このピアスが紛れ込んだのは昨日の夜のはず。

他の少年少女たちのものでもなさそうだ。一体誰のものだろう。心当たりは浮かばなかった。

 

「気持ち悪」


不気味なものを覚え、ベッドの脇に置く。

布団まわりに落ちている靴下や下着類を拾い上げ、洗濯籠に放り込んだ。洗濯は年下たちに押し付けてしまおう。

机に向かう。支給されたデスクの上は、慈善団体からの今月分の生活費の明細だとか、天啓の腕団の勧誘チラシ、市内で開催されるイベント一覧のお知らせなどが散らばっている。

パソコンを押しのけ、チラシ類を片付ける。ほぼ物置と化して、机上はとっ散らかっていた。邪魔なものは一旦、引き出しに全部しまう。整理整頓は得意じゃない。


「そういや俺、ずっと同じ服のまんまだ。着替えっかあ……」


服を見下ろしてぼやく。昨日から同じトレーナーとズボンのままだ。

思えば、風呂にも入っていない。ふらふらと箪笥へ向かう。

こちらも支給されたもので、普段は私物や本、下の段には衣類などをしまっている。

身支度を整えるため、引き出しの一つをがらりと開ける。


「うわ、何これ、はあ?」 


目が点になり、次々引き出しを開ける。

ない。服も、アクセサリーも、愛読していた本も、日用品の類も、一切の殆どが消えている。

一着分の新しい服と、いつも頓服している頭痛薬くらいのもの。──盗まれた?だとして、誰が盗んだ?

心臓がどくりと早鐘を打つ。覚えのないピアスといい、何かが変だ。焦燥感にも似た、例えようのない気味の悪いものを覚える。

部屋がまるで、一瞬にして自分のものではなくなってしまったような、腹の奥が無重力になるかのような不快感が蝕む。

刹那、頭痛。頭の奥を刺す痛みに、小さく呻く。

またこれだ。この町に来てからというもの、久芳は幾度となく、この頭痛に苛まれてきた。

医者からは頭痛薬を処方してもらっているものの、根本的な解決には至っていない。

薬袋に手を伸ばした時、バチッと瞼の裏で白い閃光が煌めいた。


「う、……あ……」


じくり、と記憶が蘇る。

大雨の中、久芳は近所の無人レンタルロッカーの前で佇んでいる。

隣には名月が居て、荷物をぎゅうぎゅうにしまい込んでいた。

ロッカーに押し込まれているのは、久芳と名月の私服や日用品の類だ。だんだんと頭痛が引いていくにつれ、久芳は冷静さを取り戻した。


「そうだ……箪笥の中身、全部……ロッカーん中にあるんじゃん……」


なぜこんなことを忘れていたのか。

違和感が浮かび始めた今、もう一度しっかり部屋の中を確かめなくては。

この部屋に、誰かの手が──あるいは、記憶していない自身の手が加えられている。

呼吸を整えながら、再び机に視線を向けた。

チラシ類や書類をもう一度確かめながらまとめていく。どれも何度も見たようなチラシや紙類ばかり。


「……や、おかしいだろ……なんでこんな所に……」


だが、不意に久芳の手が止まる。

先程整理整頓していた時は気付かなかったが、チラシ類の中に写真が一枚、まぎれていた。

綺麗な女性だ。西澤と一緒に、どこかの植物園をバックに写っている。

その顔を見つめるうち、再び心臓がどく、どく、どく、どく、異様な速さで早鐘を打ち始めた。


何故。

何故、名前と顔が合致しなかったのだろう。

何故、写真がこの場にあって、何とも思わなかったのだろう。

たおやかな笑みを浮かべるこの女性、──紛れもなく、母だ。

こんな写真は、昨日まで無かったはずだ。何故、が何度も頭の中で渦を巻く。


「……あーくそ、だるいし……。……服取りに行くかあ」


考えるだけで、また頭痛が忍び寄る気配がした。

残っていた服に着替える。外に出るぶんには問題ない程度のデザインの、トレーナーとズボン、それにお気に入りの猫の靴下。

入口にかけてあったレインコートを手に取って、よれたスニーカーに足をねじこみ、はあ、と深く息を零す。

この雨の中を歩いて行かなくてはならない、憂鬱。

自分の中の引っかかりに疑問を覚えつつ、ひっそり外に出る。

門限は夜七時までだが、知ったことではない。

ざんざら、どんどんと、雨の群れが地面を力強く叩いて、霧のように煙る。


「寒……本当に六月かよ……」


毒づきながら、早足気味に歩く。頭を、肩を、背中を、太腿を次々と濡らす。

夜の繁華街を抜けていき、せかせか歩く人の群れに逆らうように進む。

冷たい灰色の建物の群れをすりぬけて、やっと目的の無人レンタルロッカーへやっとたどり着いた。

ロッカーは事前に金を支払い、パスワードを入力するタイプのものだ。番号を探し、目当てのロッカーを見つける。

解除用のパスワードを入れようと、入力用のパネルに指を突き出し……ぴた、と止まった。


「……番号、なんだったっけ」


肝心のパスワードが思い出せない。苛々する。

このままでは、ロッカーを開けることができない。ナツキならば開けられるだろうか。

時刻はとうに七時過ぎを指していた。ざあざあ、雨足は依然として止まる気配がない。

暫くフリーズした後、冷えた手で携帯電話を取り出し、名月に電話をかける。

きっかり三コールのあと、繋がる気配がした。


『なんだ?』

「あのさー、ロッカーのパスワードってなんだっけ」

『はあ?もうボケたのかよ。つかなんでロッカーにいるわけ』

「うるせーなー。いいから教えろ」

『0630だ。開けたら店に来いよ、ノロマ』

「うーい」

 

電話が切れる。

言われるがままにパスワードを入れると、扉があっさりと開いた。

洋服が十日分ほど、自身の大切にしているアクセサリー類や生活必需品の類を丁寧に仕舞ってある。

名月の分も含めれば、それなりの荷物の量だ。まるで夜逃げの前準備みたいだな、と思い、ふと気づく。

そもそも自分たちは、「なぜそんなことをした」のだろう?

記憶がないのだ。夜逃げの支度なぞする心当たりそのものがない。

ぼんやりと、荷物を見つめていた。


「酔っぱらって何かしたのか?俺」


だとするなら、名月から何か一言くらい嫌味を言われていそうなものだ。

とにかく、家に服がないのは困る。

幸い、衣服類は全部圧縮袋に包んであった。ロッカーから小さいトランクを取り出し、衣服を詰めて持って帰ることにする。


「全然覚えてねえなんて言ったらナツキくんにどんだけバカにされるんだか。 

 おーこわこわ」


これで当面の心配は不要だ。

……なんの?一瞬、自身の思考が引っかかったが、考えないようにした。

思考するたびに、頭痛が亀裂のように脳を犯して、不快感が増していくばかりだ。

待ち合わせ場所のファミレスへと向かう。

がらがらと、引かれゆくトランクが久芳の足元で鳴き喚いた。

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