大雪の夜、最後の一本だった除雪スコップを譲ってから、塩対応で定評のある雪の女王様が、実は優しくてあったかい心の持ち主だと俺だけが知っている。……でも、だからこそ踏みこめない。

或木あんた

第1話  雪の女王様


 それはまるで、冬の幻のような出来事だった。



「なッ」

 

 後ろから悲痛な声が聞こえた。そこにいたのは、学校一美少女で、学校一愛想のない女、通称、雪の女王様こと更科沙雪さらしな さゆきだった。


 とある北国の1月後半。

 記録的な降雪により、あっという間に街が雪に埋まり、交通機関が麻痺する。

 当然俺の通う高校も休校。

 母子家庭の俺はせっせと除雪に勤しむが、使い古した除雪スコップの柄を折ってしまった。ホームセンターに走るが、どこも品切れ。やっと見つけた最後の一本に手を伸ばしたところで、……これだ。



「うッ」


 思わず俺も声が出た。それもそのはずだ。何せつい三日前、告白して振られたばかりの相手だからだ。よりにもよってなんでこのタイミングで、と自分の不運を呪い、


「ど、どうも……」


 除雪スコップを手に、そそくさと退散しようとするが、


「ちょっと、……待ちなさい」


 振り向くと、袖がつままれていた。いや、どちらかというと、逃がすまいとがっちり掴まれていた。


「え……と、何か用?」

「用? そんなの決まってるわ、それ、その最後の一本を、譲ってほしいのだけど」

「いや、でも先に見つけたのは俺……」

「それはあなたの主観的感想でしょう? 私は店員に誘導されてここまで来たのだから、先に探したのは私よ。……だから、譲りなさい」


 綺麗なストレートヘアが流れ、更科沙雪が優雅に首をかしげる。それでいて優しさの欠片もない切れ長の大きな目が、射貫くように鋭くこちらを見つめていた。

 そう。これ。これこそが、彼女が学校一の美少女でありながら、『雪の女王様』なんてあだ名をつけられる所以だ。めっちゃ美人なのに、愛想の欠片もない。


『……へぇ』

『そう……』

『それで? ……オチはまだなの?』


 その視線は常に氷点下で、高貴ながら尊大ともいえる振る舞いも含めて、女王様がぴったり似合う。学内にファンは数知れず、もちろん俺も例にもれず。……しかし。


「……お断りします」

「……え?」


 俺はもう一度はっきりと口を動かして、


「……お断りします! と、そう言ったんです!」


 

 ◇◇◇

 


『……お断りします』


『……え?』


 三日前、屋上につながる中央階段の踊り場。人気のないその場所で耳に入った言葉が、俺には理解できなかった。思わず固く瞑った目を開いて顔を上げると、『雪の女王様』は眉一つ動かさずに言った。


『お断りします、と、そう言ったのよ。あなたが私を好きになった理由はわかった。……』


 続けて動いた薄い唇が紡ぐ言葉が、俺のささやかな恋の熱を一瞬で凍り付かせたのだ。


『……でも、教えてくれる? 私が告白を承諾する要素が、今の話のどこにあるのかしら?』



 ◇◇◇


 

 それはフラれた男の、ちょっとした抵抗、復讐。

 俺は握られた袖を振り払うようにして、雪の女王様を背に歩き出す。


「じゃあ、そういうことなんで……!」


 死ぬほどカッコ悪いけど、この三日間のショックと涙に免じて、これくらいは神様にも許してほしい。


「……ちょっと、待っ」


 後ろから焦ったような声が聞こえてきて、俺はちょっとだけ嬉しくなる。

 何せ決死の告白に表情一つすら変えなかった存在が、俺の挙動に大きく感情を動かしている。

 とにかく俺はこのまま雪の女王様を無視して会計に回り、一刻も早くマザーのために除雪を……、


「五千円! 五千円払うわ。……それで譲りなさい」


 後方から声がする。なんだ、雪の女王、情けない。結局金か。定価に二千円ぽっち上乗せした程度では、恋に破れて傷ついた俺の純情を癒すことはできな……、


「……一万円、一万円出す。……ねぇ、ダメ? 悪い話じゃないと思うのだけど」


 ……正直、めっちゃ振り返りそうになった。金額も金額だが、……え? 今もしかして、雪の女王が『……ダメ?』とか言った? え、何それどんな顔で言ってんの? 気になる気になる気に……、あかん。めっちゃ揺れてるやん、俺。


 しかし、どんなに金を積まれても、可愛くおねだりされても、今日ばかりはダメだ。女手一つで育ててくれてる愛するマザーが、このままでは仕事に行けなくなってしまう。一刻も早く大雪に埋もれた駐車場を綺麗にしてやらねば。自家用車が動かない。


「……って……あげるから……!」

「――ッ?」


 思わず、俺は足を止めた。耳に入ってきた声の小ささと反比例するように、紡がれる言葉が俺の耳朶を大きく打ち、そして。


「……付き合ってあげるからッ、………それを、譲りなさいと言っているのよッ!」


 店内に響き渡る声に、俺は思わず振り返った。振り返るしかない。だって、……え? 今、なんて言った?

 訳も分からないまま視線を向けると、そこには、顔を真っ赤にして眉根を吊り上げる雪の女王様がいた。普段の塩対応とは打って変わった必死そうな表情に、俺は面食らう。


「……何よ、ダメなの? それとも、あの時言ってた言葉は嘘だったのかしら」

「や……それは、……でも」

 

 言い淀む俺に、雪の女王様が頬を膨らませ、


「……わかった、一度断ったことを気にしているのね。……けどそれは貴方にも問題あるから。……正直あの告白じゃあ、微塵もときめいたりしなかったわ」


 グサ、と治りかけたはずの傷口に、ぶっとい氷晶が突き刺さる。


「……でも今となっては話が別よ。事実私は今、それがどうしても必要で、貴方は私と付き合いたい。なら、ここにニーズの一致があるわ。……どうかしら、この話、悪い話じゃないと思……」

「お断りします」

「……え?」

 

 俺の口から漏れ出るように発した言葉に、雪の女王の顔から表情が消える。


「確かに、俺は君が好きで、告白もした。その気持ちに誓って嘘はありません。……ですが」


 視線が合う。思えば雪の女王とこんなにも真っすぐに視線を合わせたことはない。たとえ告白の時ですらそうだった。


「……惚れた弱みにつけこめば、何でも自由にできると思ったら大間違いだ」

「……!」


 正直、ショックだった。自分の真剣な恋心が、たかが除雪スコップ程度で簡単に売られてしまったことに、傷ついたを通り越して憤りすら感じる。

 ……でも、仕方ない。それほど俺の想いは雪の女王にとって、大勢の中の一つでしかなかったのだろう。単純に自分の魅力不足だし、その点で彼女を責めるのはお門違いだ。だからこそ。


「繰り返しますが、お断りです。このスコップは俺が買います」


 唖然として黙る雪の女王を残し、俺は再びレジへと足を運ぶ。


「……ま、待ちなさい……」


 自分に固く言い聞かせるように、俺は一度動かした足を止めなかった。

「待って」「待ちなさいってば……」雪の女王の声が少しずつ遠のき、その声色も徐々に弱まって、


「……おねがい、します。……譲って、ください……」

「……」


 振り返っていなくても、雪の女王が頭を下げているのがわかった。

 こんなに消え入りそうな雪の女王の声を、俺は聞いたことがない。いや、きっとクラス中、学校中探しても、聞いたことある奴なんていないんじゃないだろうか。


「……除雪のスコップが壊れちゃって、家に入れないの。……失礼なこと言って、ごめんなさい。……でも、助けてください」


 そして同時に、そのいたいけな声色がようやく、俺の情けなくちっぽけな心に一抹の罪悪感を生じさせた。

 曲がりなりにも好きだった女の子に、気の毒になるほど切実な声を出させて、俺は、……俺は本当に自分が情けなくなった。

 謝ってもらうことなんて、何もないと思った。それほど俺を好きなる要素など、どこにもない。どうしようもないほどのクズ野郎に告白されたことが、むしろ可哀そうになってくるくらいだ。


「……」


 両手で握りしめた除雪スコップを、俺は見下ろす。これが無いと、確実にマザーには迷惑がかかる。


 ……しかし。


 俺は少し逡巡した後、雪の女王に背を向けたまま、レジへと歩き出す。後ろから伝わってくる絶望の吐息を少しだけ無視したまま、手早く会計を済ませ、



「……ほい」


「……?」


 ホームセンターのお買い上げシールが付いた除雪スコップを、無造作に突き出して俺はそっぽを向く。


「……困ってるんだろ? これ、持っていっていいから」

「……!」


 目の前の美少女が、驚いたように顔を上げる気配がした。


「…………あの、それは、どういう?」 

「……あげる、って言ってるんだが、アンタに」

「……どうして……?」


 雪の女王の視線が向いているのを、俺の全身が感じている。今まで見たことがないほどの熱量で向けられる瞳に、緊張で頭がおかしくなりそうになっているが、全力で抵抗した俺はちらりと目をやり、


「俺、……同じことは二回言わない主義だから」

「…………」


 雪の女王が、UFOでも見るような眼でこちらを見つめている。改めて見るとまつ毛がめっちゃ長い。吸い込まれそうなほどクリアな瞳が、俺のことだけをじっと捉えている。その透明度に耐え切れなくなった俺は、


「じゃあ、そういうことなんで……」


「…………」



 雪の女王を店内に残したまま、大股で店を出て、走る。

 調子に乗って変なことを言ってしまった、どうしよう。めっちゃ恥ずかしい。完全に黒歴史。でも。


 ……ま、これでちょっとは面目保てただろう、と。

 俺の心情を反映するかのように、さらに早足になって、雪道にこけそうになりながら、帰宅。悩んだ末に、折れた除雪スコップの柄を手で持つことを考案した俺だったが、正直、後悔、死ぬ思いをした。


 で、なんだかんだ除雪を終えて、尋常じゃない腰の痛みに苦しみながら大雪の夜を過ごした翌日。



「……お、おはよう……」


「……!?」


 登校のために家の扉を開けると、そこには雪の女王が待っていて。


「……どどどどうして……更科さんが、ここに……?」


 不意打ち美少女を食らった俺は盛大に狼狽するが、雪の女王は少しだけ不機嫌そうに顔をしかめ、


「……可哀そうだから除雪してあげようと思ってわざわざ来たのに、……何よこれ、もう終わってるじゃない」

「え、そりゃまぁ、頑張りましたけど……」

「……謝りなさい」

「え!」


 一ミリも意味がわからないが、雪の女王様はジト目でこちらを見つめて、


「いいから」

「えー、……いや……なんかすいません?」

「…………よろしい」


(いや、なにもよくないんですけど、何なんですかこれ。……嫌がらせ?)

 

 混乱の渦に巻き込まれて思考がまとまらない俺。しかし雪の女王様こと更科さんは、そんな俺を横目でちらりと一瞥して、


「……じゃあ、行きましょうか」

「……行くって、どこに?」


 呆けた返答をする俺に、その手に持った除雪スコップをぎゅっと握り、少しだけその白い頬を赤く染めて、


「……学校。……いっしょに」



 大雪明けの朝。雪面がキラキラと輝く冬の世界で、俺の凝った背骨がパキリと鳴った。

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