第22話「過去」

 コンスタンス様が最愛の存在であるラウィーニアを追うために、出した船は軍事国家レジュラスでも二つしかまだ所有していない最新鋭の性能を持つ軍船だったらしい。


 追いかけられる側の船に乗っていた私たちが思わず目を疑うような、とんでもない速度だったのは意図的に巻き起こした強風だけのせいではなかったらしい。


 私は王宮騎士団の幹部の一人であるランスロットに用意されているという大きな船室へと先に案内され、船旅では贅沢なはずのお湯をたっぷり使ったお風呂に入り悠々と楽しんだ。


 風呂上がりの私がベッドに寝転んでうとうとしていた頃、やっと色々な仕事を終えたらしいランスロットは船室へとやって来た。


「ディアーヌ。帰りは、二日間掛けて帰ります。そのつもりで居てください」


 帰って来たランスロットは、灰色の騎士服を脱ぎあっという間に上半身裸になった。


 一線を越えたばかりとは言え、私は直視に慣れているとは言えない。艶めかしい鍛え抜かれた彼の身体は筋肉の配分も申し分なく、美術館に芸術品として飾られてもおかしくないと個人的には思う。


「……帰りは、どうしてすぐに帰らないの?」


 私はゆっくりと体を起こして、ベッド際に腰掛けたランスロットの隣に座った。


 なんとも刺激的な肉体を晒す彼は、とりあえずこれからの流れの説明を私に先にしてくれるようだった。


 ジェルマンが私たち二人を誘拐し国外脱出を謀ろうとしていた船より、段違いに速度を出せる軍船に乗っている上に、追いかけている時の風の騎士の巻き起こす追い風は凄かった。


 あの速度で進む事が出来るならば、一瞬でレジュラスに帰港出来てしまうはずなんだけど、何かそれが出来ない事情があるのかと私は首を傾げる。


「コンスタンス殿下は……帰れば、当分の間激務にならざるを得ないので」


 ランスロットは私にレジュラスまですぐに帰らない理由を皆までは、言わなかった。


 何処でも働いた経験のない私でもわかることだけど、これは全員で口裏を合わせて「こういう事にしておこう」という類のもの。


 即刻帰国をしてしまえば王太子たるコンスタンス殿下は、元々は大臣でもあったはずのファーガス・ジェルマンを捕らえ、本人からも彼が何かを企んでいたという真相を探り出さねばならない。


 とても面倒な案件の総指揮を取らねばならぬ上に、通常の政務だって彼を待ち構えている。


 すんでのところで救い出すことの出来たラウィーニアと、多忙な生活に戻る前に二人で少しでも過ごしたいと願うのは、仕方のないことなのかもしれない。私にとっても、とても納得出来る理由だった。


「……私も。こうして船に乗って海に出るのは初めてだったから、少しの間とは言え船旅が楽しめて嬉しい……ジェルマンは捕らえられて、こちらの船に?」


 私はすぐ隣にあった太い腕を抱きしめて、顔を寄せた。


 頬に直接当たる温かい人肌に、心が落ち着く。それに、こうしてランスロットの彼そのものの匂いを嗅いで、なんだか不思議なことだけど、ここに確かに彼が居るという強い実感も得ることが出来た。


「重犯罪者の行く末は、あまり……聞かない方が良いですよ。貴女の可愛い耳には、そぐわない話だと思います」


 そうして、彼は私の耳にそっと手を当てた。確かに、あのジェルマンはコンスタンス様を激怒させたと言っても過言ではない訳だから……今柔らかなベッドに入っている訳がないよね。


 だからと言って気になる事を聞かなかったら聞かなかったで、私の豊かな想像力が無駄に働いてしまう訳で。悪事を仕出かして、誰にも文句は言えない自業自得だとは言え……彼の計算では、敵対する国まで逃げ切れるはずだったのだ。


「ねえ。ランスロット。後で説明してくれるって、さっき言っていたでしょう? どうして、私たちが捕らえられている船を追うことが出来たの?」


 こうして心身共にどうにかなる前に助けて貰えて……それは、本当に不幸中の幸いで本当に良かったんだけど私はそれがとても不思議でならなかった。


 私とラウィーニアは、少しでも希望があれば彼らを信じたはずだ。けれどあの時は、間違いなく絶望的な状況だった。


 陸路ならば絶対に隠せない足取りを追い、逃げそうな道筋を追いかけてという手も考えられる。けれど、大海原の中には、どこを通行せよと言う目印がある訳でもない。


「……あの魔女と、何か話をしたんですか?」


 ランスロットの言葉に、私は不意を突かれて驚いた。


 なんていうか、このまま甘い雰囲気そのままにそういうことに雪崩れ込んでしまうのかもしれないと思っていた。けれど、彼が言った言葉と私がなんとなく想像していたこととの落差が酷い。


「え……魔女? もしかして、東の森に住んでいるグウィネスの事?」


 箱入りと言って差し支えがない貴族令嬢の私が、唯一知っている魔女と言えば、ランスロットが妙な呪術をかけられた時に助けてくれたあのグウィネスしかいない。


「そうです。何か、話しましたか?」


 ランスロットの整った顔が、徐々に近付いてくる。とても眼福な光景ではあるものの、押しの強い詰問口調に見惚れている場合ではないと思い直す。


「……特に、何も。私と護衛のために来ていたクレメントの二人が、元々付き合っているのを聞いて面白がっていたことと……彼女が東の地ソゼクを出ることになったのは、何か色々あったって聞いたくらいしか……彼女とは、話してはいないと思う」


 私はついこの間の出来事の一連の記憶の中から自分がグウィネスと交わした言葉を、なんとか思い出していた。


 でも、どれだけ思い返したとしても、彼女から特に何か問題のあるような事は言われていないと思う。


 筆頭魔術師のリーズからとても気難しい魔女だと聞いていたのに、話しやすくて親切だったことがとても意外だった事くらいしか。


 何故、彼がこんな事を聞くのかを理解出来なくて私は首を傾げた。きょとんとした様子を見て間近にまで迫っていたランスロットは毒気を抜かれたのか、小さく息をついた。


「念のために、言って置きますが。あの魔女は、僕の昔の知り合いです……ですが、僕が一番に愛しているのは、ディアーヌなので」


「え……? 待って。それって」


 その言葉を聞いて、きっと誰もが思うであろう疑問を発しようとした唇は、彼の柔らかな唇によりすぐに塞がれた。


 身体をもとろけてしまいそうになるランスロットとのキスの感覚は、一度味わったら抗い難い。もっともっとと、快感を欲する本能が求めてしまう。


 でも、どんなに気持ち良かったとしても、誤魔化されないという強い意志は大事だと思う。小さな不信の芽は、その時に目を瞑ったとしてもやがて顔を出すもの。


 私が最低最悪な理由で声を掛けて来たクレメントと唯一付き合って良かったと思う事は、そういった経験は一度失敗しないと身にならないというのを学習したから。


「ふはっ……はあっ……ま、待って! もうっ……ダメ。ちょっと待って」


 唇を離したと思えば、すぐに首に熱い舌を這わせ始めたランスロットに私は制止の言葉を掛けた。


 頭の中では彼が先ほど出した情報は、絶対に警戒すべきだと頭の中の全私が満場一致で可決している。


 そういえば……グウィネスを最初に見た時、私はびっくりしたはずだった。


 とても美しくて、まるで造りもののような人形を思わせるような人。目の前に居る美形で名高いランスロットの隣に居たら……とっても絵になりそうな人。


 女の勘っていうか……その時に、幾つかの小さな点が線で結ばれた瞬間だった。


「やっ……もうっ……待って。誤魔化さないで。もしかして……グウィネスって、ランスロットの元恋人なのっ?」


 私は彼に流れるようにベッドに倒されながら、ランスロットの端正な顔を見上げた。その薄い水色の目の中にあるのは、多分……動揺と、恐怖と……何か、わからない。葛藤しているようにも、見える。いっそ見事だと手を叩いてしまうくらいに、感情の見えない無表情だけど。


 私が前にクレメントと付き合っていたように、ランスロットと彼女が以前付き合っていたとしても別に何の問題もない……こうして、愛し合う快感の中で何かを誤魔化そうとするのも、変な話だとは思う。


 何か……ランスロットには、私に対し言い難い理由などがあるのかもしれないと疑ってしまうのは必然のことだと思う。


「……そうです。ですが、僕たちは……余り、良い別れ方をしていないので」


 ランスロットは顔を私の間近に寄せつつ歯切れ悪く、そう言った。


 どうにも……想像がつかない。


 目の前の彼は、例え今より歳若かったとしても……クレメントみたいな、あんな考えなしな最低な事をする訳がない。


 というか、気に入らないからってライバルへの嫌がらせで、あんな短慮でバカなことする人はクレメント以外思いつかないけど。


「……それって、私には言えないような事なの?」


「そういう訳では、ありません。ですが、余り知られたくもありません」


 言えなくはないけど、あまり言いたくない。


 私は自らの身体の上に両側に手をついて覆うようにして居るランスロットを、じっと見上げた。


 自分は何も悪いことをしていないとは、思っているけど……今付き合っている私には、知られたくないと思っている?

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