第20話「海へと」

 私たち二人は迫り来る黒い不安を、少しでも払拭したい思いで取り留めもないことを長い時間話し続けた。ついには話し疲れて、二人寄り添ったあのままで眠ってしまったようだ。


 目覚めて、薄く目を開けると……また闇。


 けれど、今居る場所は堅い鎧戸が完全に閉まっていた真っ黒な箱のような馬車の中ではなかった。薄闇の視界の中で、ぼんやりとだけど部屋の様子が見えている。


 あれから、どのくらい経っているのか。私にはもう時間の感覚が、全くわからなくなってしまっていた。


「ディアーヌ。起きたのね」


 疲れた笑顔を見せて、眠ってしまった時と同じように私の隣に居たラウィーニアは言った。


 もしかしたら、彼女はほとんど眠れていないのかもしれない。深く眠っていたとはいえ、この状況下で誰かに運ばれた様子だというのに全く気が起きなかった自分が信じられない思い。


「ここは……?」


 手のひらに感じるのはざらっとした質感の、磨かれてもいない素朴な木の床。どこか倉庫のような部屋で、多くの棚に沢山の物が置かれてなんなら溢れている。


 そして、何故か私は今こうしてしっかりと床の上に座って居るというのに、宙に浮いているような不思議な浮遊感があった。


「ここは、船の中よ……ジェルマンは、このまま海を渡るみたい。もし、コンスタンスが私たちの誘拐に気がついたとしても、こちらは海の上よ。きっと、彼にも行き先はわからないわ……レジュラスは、大国と言われているだけに、敵も多いものね。船では追っ手も足取りを追うのは難しい……すぐには追っては、来れないでしょうね」


 ラウィーニアは、難しい表情をして私たちの今居る現状を説明した。


 もう既に海の上。救助を待つのは、絶望的。そして、簡単に出てしまう結論。


「ラウィーニア……私。自分の事は、自分で決めるわ」


 出来るだけ感情を見せずにぽつりとそう呟けば、目の前に居るラウィーニアは、私の言葉の意味を悟り表情を変えずに涙をいくつもこぼした。


 王太子の婚約者であるラウィーニアは、もしかしたらレジュラスへの交渉のために、完全に無事で居られるかもしれない。


 けれど、そこまでの利用価値を持たない私は、こういったある意味では閉鎖された空間で彼女への見せしめを含めた慰み者にされる可能性が高かった。


 私だってラウィーニアをこんなところに一人で残すのは、嫌だ。


 けど、子どもの頃から甘やかされていた私は……きっと、考えたくもない経験を乗り越えられるほど、強くないと思う。自分勝手だとは思うけど、心を壊されてしまう前に逃れたかった。


「ごめんなさい。ディアーヌ。巻き込んでしまって、ごめんなさい。私が……」


「言わないで。ラウィーニアが、幼い頃から憧れの王子様……コンスタンス様を好きで、沢山頑張った事を私は誰よりも知っているもの。自分が候補の中から王太子妃に選ばれたのを、誇りに思って。私の人生だもの。私が決めるわ」


「ディアーヌ。ごめんなさい……貴女の家族やランスロットも、クレメントにも。私は、恨まれるでしょうね」


 ぽろぽろと涙をこぼすラウィーニアは、確か王太子妃の候補になってから私の前で泣いた事がなかった。


 きっと、人前でなくてもずっと涙を堪えていたんだと思う。


 王族は常に平静を保ち、誰かに感情を見せてはいけない。付け込まれる隙を、与えてしまうことになるから。そう何度も厳しい家庭教師に諭され怒られているのを、いつも彼女の近くに居た私は見たことがあった。


「もう……クレメントの名前は、もう良いわ。別れてるのよ。ラウィーニア」


「……今だから、言うけど。俺様に見せかけた臆病者のクレメントは罪悪感に負けてディアーヌを手放しただけで、付き合っていた時も……ディアーヌを今も好きだと思うわ。本当にわかりやすい男だもの」


 ラウィーニアが何故ここで彼女の推測するクレメントの本心を言った理由は、私には良くわからなかった。


 でも、失恋したてで彼の近づいて来た理由を知り傷ついていた過去の私がそれを聞けば、少しは慰められる情報だったのかもしれなかった。


「そう……あの人と、付き合っていた頃の私も……きっと、浮かばれるわ。ラウィーニア。最後まで諦めないで。コンスタンス様を信じていて」


 そうして私は、そっと彼女から借りた守り刀を取り出した。手を縛ってないのは、どうせ私たちのような非力な令嬢が二人で何も出来やしないと思っていると思う。


 それは確かに、ご名答だけど。


 何か私に出来る抵抗と言えば、小さなナイフで喉を突くくらいしか出来ない。


「待って! 待って……ディアーヌ。私も一緒に」


「……ラウィーニア? だって、貴女。コンスタンス様はどうするの。貴女を失えば、彼は」


 言葉を止めたのは、ラウィーニアの目が真剣に張り詰めて壊れそうだったからだ。


「こんな風に、目の前でディアーヌを喪って生きるくらいなら。一緒に……それに、私は国同士の交渉の道具にも、されたくない。コンスタンスは、私を救うために不利な条件をいくつも呑むことになるでしょう。これから王として国を背負う事になる彼の負担になりたくない」


「コンスタンス様は……深く悲しむわ」


 何の交渉術も持たない私にはそのくらいしか、彼女を思い留める言葉が思い付かなかった。


「……そうね。コンスタンスに、一生消えない傷を負わせることになるかもしれない。でも、ディアーヌを一人に出来ない」


 私はもういなくなるから……という言葉は、喉を鳴らして飲み込んだ。


 こんなに敵だらけの、逃げ場のない船の中。孤独な絶望を味わえとは、先に逝くことになる私にはとても言えなかったから。


「……あら。恋愛は友情に勝るものだと、聞いたけど?」


 彼女を残していかなくても良くなった安堵の気持ちで茶化して聞けば、ラウィーニアはようやく袖口で涙を拭いた。


 私が自分の事を自分で、決めたように。彼女の決断も、尊重されるべきではあった。


「時と場合にも、よるわ。確かに選び難い二つではあるけれど……自分で選ぶわ。いつだって、決断を下すのは自分であるべきよ。だって、私の人生を決められるのは、他の誰でもない私だけなのよ」



◇◆◇



 それから、私たちはどうするかで少し揉めることになった。小さなナイフは一本だけ。どちらが先に使うという、結論が出せなかった。どっちも、先に使いたいから。残されるのは短い時間だとしても、嫌だった。


「あまり、これに時間を掛けてもいられないわね……ねえ。ディアーヌ。海に一緒に飛び込みましょうよ」


「海に?」


「そうよ。運が良かったら、人魚に助けて貰えるかもしれないわね」


 世界でも珍しい幻獣として知られる美しい人魚の生息地は、レジュラスよりも南の方だからあまり救助は期待出来そうにないけれど。


 私は、肩を竦めつつ、彼女の提案に賛成した。確かにラウィーニアの希望通り二人で一緒にとなると、海に飛び込むのが一番早い。そして、今のところその方法しか思いつかなかったから。


 二人で鍵も掛けられていなかった部屋の外に出ると、とても強い風が吹いていた。


 それに、ジェルマンに雇われている船員と思われる身体の大きな男性たちは、バタバタと走り回り懸命に帆を張っている。


 彼らは囚われの身ではずの私たち二人が部屋の外に出ているのを見ても、もうそれどころではないと無視をして走り自分の持ち場へと向かう。


 一応、私は置いておきても、こちらのラウィーニアは、大事な交渉道具なんですが?


「……何かあったのかしら?」


 辺りを見回してからラウィーニアは、不思議そうに私を見た。かと言っても、釈然としない私にだって何の理由も思いつくはずもない。


「船中の船員が、とても焦っているみたいね……え? ラウィーニア! 並走している船を見て!」


 私たちの乗る船に向かって何個かの火球が飛んで来たのを見て、危うく飛び上がって歓声を上げてしまうところだった。


 何故かと言うと、その火球にはこの前見たばかりの私には良く見覚えがあったから。


 それは、私のことを東の森で護衛としてついて来てくれた炎の騎士クレメントの得意としている無数の火球で攻撃する魔法だった。


 燃えてしまえば致命的な木製の船なので、あくまで脅し程度の数しか飛んでは来ないけど、あの船に彼が居るという証拠でもあった。


「もしかして……クレメントなの? 嘘……おかしいくらいに、あの船速度が速いわ。凄い!」


 この船を追いかけてやって来る船は、ラウィーニアが目を見張ってそう言った通りに尋常ではない速度で私たちの乗っている船に近付いてくる。


「風の騎士も、きっと乗船中なのよ。ラウィーニア! 良かった。助かったわ。彼ら筆頭騎士が来てくれれば、もう安心だもの」


 私は実戦する様子を見たことがあるのはクレメントだけだけど、国民自慢の筆頭騎士と呼ばれている彼らが本当に強いのは良く知っている。


 船員たちも、慌てている訳だ。


 だって、コンスタンス様が、愛するラウィーニアを誘拐した者とそれを共謀した者たちをタダで済ませるとは……とても、思えないもの。


「どうやって追いかけて来たのかは、わからないけれど……ディアーヌ。私たち、助かったわ。良かった」


「ラウィーニアがあんな風に言ってくれなかったら、もう既に私は死んでいたわ。ありがとう」


「死んでも、死に切れないわよ……そう。見て。貴女の恋人も、あの船に乗っているみたいね。ディアーヌ」


 ラウィーニアが意味ありげに、海面を指差したから私は慌てて柵に手を掛け目を疑った。


 船と船の間の海面が、信じられない勢いで凍り始めていたから。

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