水戸の日


 ~ 三月十日(木) 水戸の日 ~

 ※狐仮虎威こかこい

  有力者の力をかさに、

  勝手気ままをする。




 怒涛の学年末試験は終了した。


 その瞬間。

 クラス中から、枷がカチリと外れた音が。

 遊ぶぞーという音色に姿を変えて響き渡る。


 直近、今日の帰り道。

 春休みの旅行。


 どこに行こうか。

 なにをしようかと騒ぎ立て。


 誰もが文字通り。

 我が世の春を迎えたことに祝砲をあげる。


「お~? 珍しく立哉が声上げてはしゃいでる~」

「まあな。ここしばらく他人に勉強教えっぱなしだったから、ようやく自分の勉強ができる」

「変人~!」

「何とでも言え。でも、今日くらいはパーっと遊びてえな!」

「お~! 明日は合格発表で休みだし~!」

「そうだな! たとえどれだけ嫌いな奴に誘われたって、俺は必ずついてくぜ!」


 そんな宣言と同時に。

 真っ先に俺を誘ってきたのは。



『あー、保坂立哉。至急生徒指導室まで来るように』



 俺は。

 宣言通り。


 先生の待つ部屋へ遊びに行くことになった。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




「……保坂凜々花というのは、お前の妹か?」


 校舎内の全てを染める解放感。

 そんなものから完全に隔離された、馴染みのある生徒指導室。


 照明もどこか薄暗い部屋の中で。

 俺は、先生からの問いに。

 どう返事をしたものか逡巡した。


「もし、そうだとしたらどうだってんだ?」

「まず問いに答えろ」

「…………そうだが。何か問題が?」


 例えウソをついたところですぐに露呈する。

 ならば隠すだけ無駄だと判断した俺の返答に。


 受験者の住所と俺の住所を確認すれば済む話だろうに。

 それを個人情報と感じて調査しなかったのであろう、おかたい先生は鼻から嘆息した。


「やはり、そうか」


 そう呟いたまま。

 顎をさすって黙り続けるこの男の眉根はいつもより寄っている。


 この表情。

 凜々花の名前。


 連想されるのは。

 たった一つだけのこと。


「…………なるほど。それで俺を呼び出したのか」

「ふむ、相変わらず頭の回転だけは速いな。兄なら、妹の成績も分かっていて当然だろうからな」


 先生は、落ち着いた口調で淡々と語るが。

 俺は今にも泣きそうだ。




 そうか。

 落ちたのか。




 しかし単願受験で公立落ちるとか。

 答案に名前でも書き忘れたのか?


 ……これで浪人確定。

 あるいは社会に出る道を選択するのかもしれないが。


 せめて、もう三年間。

 春姫ちゃんとの学生生活を楽しんでもらいたかった。



「なんとかならんのか?」



 いつもの俺なら。

 こんな、答えの分かり切った質問などしないはず。


 でも、気付けば目頭を熱くさせて、震える声で先生にすがっていた。


 アイツのためなら何だってしてあげたい。

 そんな思いで口にした言葉への返事を聞いて。



 俺は。

 言葉を失った。



「なんとか、とはどういう意味か俺には分からんが。……お前次第でどうなるか決まる」



 ――先生の表情は先ほどから何も変わっていない。

 それが余計に、俺の背筋を凍り付かせる。


 俺次第でどうにかなる?

 それって…………。



 不正!?



 震える唇が一瞬にして乾ききる。

 飲み込む生唾がつかえて喉を圧迫する。


 悪事から一番遠いと思っていた先生からの提案に。


 首肯したものか。

 突っぱねたものか。



 ……いや。

 返事なんか決まっている。



 俺は。

 悪魔に魂を売り渡そう。



「凜々花のためなら仕方ない。……今月のところはこれで勘弁してくれ」

「金など出してどうする気だ?」

「徹底してるな。自らは要求していないというわけか。ならばこれは、俺が勝手にやっている事だ」


 俺は、抵抗する先生の胸ポケットに。

 財布に入っていた札をすべて押し込むと。


 ちょうどその時。

 ガラっと開く扉の音を耳にして。


 心臓が握りつぶされたような心地で震えあがった。



 ……現行犯。

 言い逃れなどできまい。



 俺は。

 すべてを失ったことを察しながら。


 扉を開けた目撃者へ向けて、ゆっくり振り向けば。


「秋乃ぉ!?」


 そこに立っていたのは。

 俺の行為に目を丸くさせたまま凍り付く。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 彼女は瞬きもせず。

 音をたてないようにするすると扉を閉じていく。


「ま、待て! これは誤解で……!」

「あ、うん。あの、ちょ、ちょっと……、用事が……」

「用事って! どこに行く気だ!?」

「水戸へ……」



 ………………は?



 水戸?????



 意味も分からず呆然とする俺を。

 先生は突き飛ばす。


 もちろん、自分は関係ないとばかりの身内切り。

 秋乃が誰かを連れてきたところでしらを切り通すことだろう。


 ……どうせ凜々花の不合格が覆ることは無くなったんだ。

 それならいっそ、こいつも巻き込んでくれようか。


 自暴自棄になった俺が、証拠をでっちあげようと。

 再び金を強引に渡そうと立ち上がったその時。


「まてまてまてえええい!」

「悪事を働く不届き者!」


 再び扉が開いて。

 廊下から入って来たのは甲斐とパラガス。


 そして、その後ろから。

 ひげを生やして杖を持つ。

 頭巾姿の秋乃が現れた。


「…………水戸光圀て」

「す、すけさん、かくさん」

「はっ!」

「は~!」

「やっておしまい!」

「……どっちを?」

「何の容疑で~?」


 なんだ、こいつらは知らねえのか。

 自視点では、明らかに悪人は俺なのだが。

 元をただせば、首魁はこの石頭の方。


 どう転がるかわからんが。

 俺は、先生を指差して叫んだ。


「こいつが悪人だ!」

「さっきから何を言っておるのだ貴様は!」

「いや立哉。そいつが俺たちにとっての諸悪の根源ってことは分かっているんだが」

「さすがに~、やっておしまえないよ~」

「そもそも先生よりお前の方が怪しいぜ?」

「大金握りしめて~。何やってたんだ~?」


 う。

 なんて言おう。


 途端に大ピンチだ。

 言い訳を考えていなかった。


 だが、口ごもる俺に救世主。

 秋乃が杖をかツンと床に打ち付けると。


 先生の罪状を明らかにした。


「あ、あたしが今日ご馳走してもらうはずのお金を、先生が横取りしようとしてる……!」

「うはははははははははははは!!! いつそんな約束した!」

「い、いつもの、頑張ったご褒美……」

「こっちが貰いたいくらいだわ! それに、そんな強欲で騒ぎをここまででかくしたの!?」


 なんだよただの勘違いか!

 でもそれなら。


 裏口入学の希望はまだ残ってる!


「せ、先生! 悪いようにはしねえから、凜々花のことは任せた……!}

「まったく意味は分からんのだが、本当に良いのだな?」

「もちろんだ!」


 こいつらに悟られないように。

 俺の意志を伝えると。


 先生は、うむと頷いてくれた。


 よかった……!

 これで凜々花は救われる!!!


「ではまず、合格を確認するまではその旨を決して伝えない事。これを守れない場合は不合格とする」

「わ、分かった……!」

「そしてお前から伝えておけ。あと、文言もお前が責任をもって考えろ」

「それも了解…………? え? なにを考えろって?」

「新入生代表の挨拶に決まっておろう。なんだ? それを察して話していたのではないのか?」


 おいおい。

 裏口入学する奴に新入生代表させるってどういうこと?



 …………いや。

 なんか変だな?



「えっと……。凜々花のやつ、ほんとは合格してる?」

「今更なんだその質問は。主席合格者と分かって話をしていたのだろう?」

「極端な子!!!」


 バカな!

 凜々花が主席ぃ!?


 開いた口が塞がらないまま。

 俺は床に崩れ落ちる。


 なんだ!

 じゃあ、代表になってもらうかどうか。

 それを俺に相談してたって事!?


「そんなん親に聞け!」

「まあ、確かに」

「ご、合格……!? り、凜々花ちゃんに伝えなきゃ!」

「しまった!」


 俺や甲斐やパラガスは口を割らないだろうが。

 厄介な奴に知られてしまった。


「すけさん! かくさん!」

「はっ!」

「は~!」

「やっておしまい!」


 ……こうして、俺たちは。

 秋乃を生徒指導室に、丸一日監禁することになったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る