バカヤローの日


 ~ 二月二十八日(月)

   バカヤローの日 ~

 ※刮目相待かつもくそうたい

  女子だって、三日会わざれば。

  目を見開いて相対すべし。




 無論、完全復活とは程遠い。

 でもおかゆを口にしても下すようなことは無かったようで。


 今週の木曜日。

 試験当日まで無理さえしなければ。


 凜々花は、それなりのコンディションまで回復できるだろう。


 ……そう。

 無理さえしなければ。


「えー!? てことは、試験前夜のカツ祭りは開催されないって事?」

「ばかやろう。試験をトイレで受ける事になっちまうだろが」

「それでもいいよ? いやむしろありかも。トイレって、なんでか頭の回転良くなるじゃん?」

「ばかやろう」


 ゆるめに炊いたご飯と、野菜たっぷりの豚汁を食べ終えて。

 あたためた砂糖水をすする凜々花が、がっくり肩を落とす夜の食卓。


 凜々花と同じメニューで、少ししか食べる事が出来ない寂しさを共有する優しいお姉ちゃん。


 舞浜まいはま秋乃あきのは。


 積極的に皿を下げて。

 洗い物をしてるふりして冷蔵庫の中を漁っていた。


「ゲン担ぎなんて機会なかなかねえかんな! 凜々花、憧れてたんだけど」

「うーん……。じゃあ、弁当に酢だこでも入れといてやるか」

「へ? なぜにタコ?」

「タコはな? 魚籠びく沈めとくだけで捕れるんだよ」


 一瞬首をひねった凜々花だったが。

 驚くほど早く答えにたどり着いたようで。


 はっと目を大きく広げると。

 手を、ぱんと叩きながら。


「わかった! びくとりー!!!」

「正解。まあ、本気で入れようとは思ってねえけどな」

「や、やべえよおにい……。凜々花、こんな難問すら簡単に解ける力を持っていたなんて……」


 震えながら、自分の両手を見つめてるとこ悪いけど。

 それ、世界を滅ぼす力でもなんでもねえからな?


「毎日勉強して頭の回転が速くなってるだけだ。いいことじゃねえか」

「凜々花さ、勉強まるでしてこなかったけど。舞浜ちゃんに、楽しいよって言われて試しに勉強してみたらほんとに楽しくて……、まるで……」

「まるで?」

「木からリンゴが落ちたよう」

「目からうろこな」

「それかー!」


 なんだろう。

 意味も語感もかなり近くて、不正解とは言い辛い。


 今日は朝から、ことわざと慣用句の勉強をしていた凜々花に。

 学校から帰って来た俺が、世界史を教えてやったことによる化学反応。


「まさか国語と歴史から物理学が生まれるとは」

「凜々花、なんか奇跡起こした? じゃあ明日、カツ祭りを開催してくんない?」

「合格発表の後ならいくらでも開催してやる。カツサンドにかつ丼を挟んで、その上からカツカレーかけてやる」

「イベリコ豚ってやつのカツがいい!」

「俺の財布までカツカツにする気か」


 この食あたり騒ぎは。

 俺が招いた状況だからな。


 借金してでも好きなもん食わしてやりてえところだが。


 俺も物入りなんだ。

 お見切り品で我慢してもらおうか。



 ……そんなお財布事情の生みの親。

 春休みに旅行に行きたいとか言い出した女が。


 口元を押さえながら戻って来る。


「ばかやろう」

「ふ……、ふも?」


 なにやってんだよわざとなの?

 それともリスのほっぺただけコスプレ?


「大丈夫だよ、こそこそしなくても。凜々花はそこまで狭量じゃねえ」

「きゃははは! 舞浜ちゃん、ほっぺた丸っ!」

「ふも……。ほ、ほへんなはい……」

 

 ごめんなさいも言えない程、口に詰め込んだ食い物を。

 涙目になりながら噛んでる秋乃は放っておくとして。


 凜々花、ここのところ根を詰め過ぎだからな。

 しばらく世間話でもして、気分転換させてやらねえと。


「……そう言えば、凜々花は春休みに旅行とか行かないのか?」

「卒業旅行ってやつしてえ! でもハルキーが、入試終わってから考えようって!」 

「おお、さすがは頭のかたい春姫ちゃん」

「そうなんよ! でもハルキー、頭はかてえけどおっぱいはふよふよなんだぜ!」

「いらん情報暴露すんな!」

「しかもさ、くじ運すげえんよ! 昨日、学校帰りに当たりくじ付き自販機で二本連続で当てやがった!」


 なにそれ。

 それは俺も見たことが無い。


 この間も、ハンバーガー当ててたし。

 実はラッキーガールだったのか?


 でも。

 それはすごいと感心する俺の横で。

 

 首をひねるリスの化身。


「どうしたんだ?」

「ふも、もがんもが?」

「面倒なやつだな!」

「舞浜ちゃん、早く飲み込まねえと。口の中で発酵しちまうって」

「うん。もぐもぐ……、ごくん」


 かつては、口の中に物が入ってる間は一切口を開かなかった秋乃だ。

 融通が利くようになったと言えなくはないが。


 食うのが遅いことだけは変わらねえのな。


「なにつまみ食いしたんだ、お前」

「煮豆と白菜」

「そんなもの入ってたか?」

「舞浜ちゃん。それって、食い合わせどうなん?」

「美味しかったよ?」

「ほんとかよ」

「うん。キムチ納豆の味がした」

「うはははははははははははは!!!」

「きゃははははははははははは!!!」


 そして、かつては食い物に関する常識が無かったくせに。

 冗談にできるほどになるとは。


 そんな変化は、進歩なのか退行なのか。


 よく分からんが。

 楽しければそれでいいか。


「やれやれ、ほんとはなに喰ったんだよ」

「ブドウと牛乳」

「チーズとワインとか。セレブか」

「きゃはは!!! ああおもろかった! そんじゃそろそろ勉強しようかな!」

「うん……。じゃあ、あたしが教えてあげる……、ね?」

「おお! ほんじゃ、算数おせーて!」


 食後にすぐ勉強とか。

 かつての凜々花じゃ考えられん。


 でも、算数ってなんだよ。

 数学だろ?


 苦笑いしながら食器を片付けてやると。

 すかさず問題集をテーブルに広げた凜々花と秋乃。


 俺は、そんな二人に。

 洗い物をしながら声をかけた。


「そういや、数学は秋乃に任せっきりだったけど。どうなんだよ凜々花の実力は」

「に、二年生の範囲までだったら百点確実……」

「は!? 三年の範囲は大丈夫なのかよ?」

「九十点くらいかな……。ねえ、凜々花ちゃん?」

「おうさ! なかなか手ごわいけど、ようやく完璧になって来たんだよね! 二桁の掛け算!」


 そうか、秋乃が九割って言うなら安心………………、ん?


 今、俺。

 なにか聞き間違えたか?


「なにが完璧だって?」

「自信があるのは、計算の順番! 苦手なのは少数の足し算!」

「小学校三年の範囲じゃねえか!!!」


 どういうことだよ一体!


 洗い物を投げ出してテーブルに戻ってみれば。

 そこに広げられていたのは。

 どこからどう見ても、小学生用の問題集。


「ちょっと! 秋乃!!!」

「ま、まずは基礎から……」

「程度!!! まだ石橋の手前だ! こんなとこ踏み固めてどうする!!!」

「でもおにい、ダイジョブだって」

「ダイジョブくねえ!」

「だっておにいが言ってたじゃん。算数は試験科目にねえって」

「数学はあるんだよ!!!」


 ああ、クラクラして来た!

 なんでこう、土壇場に来て連日何かが起こるんだ?


 俺は、天使のような美人女教師を解任して。

 自ら鬼教官となって。


 六年分の授業を。

 凜々花の頭に叩き込む作業を開始した。


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