第16話 「廃屋案内」:空木要(9)

「長谷川と連絡がつかない?」


 要は矢津井から受けた言葉を思わず繰り返す。


「そうなんだよ。どうも変だ。とりあえず、あいつと会って話そうとしたんだが、連絡がつかない。要はどうだ?」


「いや、別に僕がしたって一緒だと思うが……」


 それでもとりあえず要も、久々に携帯の電話帳をり長谷川へ電話をしてみる。が、やはり繋がらない。電源が切られているようだった。


 犬塚と話した後、矢津井からどこにいるかと連絡があり、答えてからしばらくして、汗だくの矢津井が談話室に駆け込んできた。そして、先ほどのやり取りとなる。


「どうなってるんだろう。偶々かな? 家族で旅行中とか?」

 要はとりあえず希望的観測を並べるが、矢津井は首を振って、

「いや、どうもそうじゃない。昨日の夜あたりからいないらしい」


「家に行ってきたのか?」


「実際は家の近くまでだ。ただ、なんか雰囲気が違って、記者らしき人間がうろうろしてたんだよ。それで、昔の友達なんだけどって、近くの家で草むしりしてたおばさんに聞いたんだ。まあ、あとで拓人さんに確認してみる必要はあるが」


 矢津井の説明に、要はイヤな予感が大きくなっていくのを感じる。矢津井もどこか緊張した面持ちで、

「これって、もしかしたら結構ヤバいんじゃないのか……どうする?」

 と、要をうかがう。しかし、そんなふうに判断を託されても、途方に暮れてしまう。次の被害者は長谷川なんだろうか? おそらく矢津井と同様に、そんな悪い空想だけが先走ってしまうが、正直なにができるというわけではない。


「……どうすると言われてもな。僕らでどうこうするような問題じゃないだろう。警察に任せるのが一番じゃないのか」

「まあ、それはそうだが……」


 矢津井は少しじれったげだ。とはいえ、結論としては要と同じなのだろう。結局、空気を飲み込むようにして黙り込んでしまう。


「もし、長谷川が狙われたとすれば、俺たちも狙われる可能性って、なくないか?」

 矢津井の独り言のような言葉を否定することもできず、避けるように別の話題を口にする要。


「さっき、富田と、それから犬塚に会ってきたよ。犬塚が言うには、さっさと手を引けってことらしいけど」


「なんだよそれ、あいつは何か知ってるのか?」

 矢津井は髪をうっとうしげにぐしゃぐしゃかき混ぜる。


「何も知らないって。御堂とは今は接点ないから会ってもいないし、御堂がどうしてたかなんかまったく関知しないって」


「どうだかな。犯人が俺たちの中にいるとしたら、どのみち証言の信憑性は、割り引いて考えなくてはならないだろう」


「とはいえ、僕たちの中に犯人がいるとは……」要は唸りながら、

「もし、元文芸俱楽部の中に犯人がいるとして、僕らに首を切られた被害者たちとどんな接点があるんだよ」


「まあ、それはそうなのかもしれないが……」

 矢津井もやはりそこに引っ掛かりがあるのか口ごもる。


「紙谷さんは、被害者と御堂との接点について何か言ってないのか?」

 要の質問に、矢津井はいや、特に、と首を振りつつ、

「しかしだな、被害者の接点云々というより前に、犯人が空木を知っているかもしれないほうが重要なんじゃねーのか。そして今度は御堂に続いて長谷川が消えたんだぜ。もしかして俺たちだって狙われているという可能性だって……」


 要は少し硬い表情で遮るように、

「僕らが狙われているとして、どんな理由があるっていうんだ」

「それは……」矢津井は再び口ごもる。


 自分たちが狙われる理由。そんな理由がはたしてあるのか……。しかし、一方でまったくない、などとはっきり断言できるのか……そんな、認めたくないようなイヤな感覚が、二人の間に漂う。


「まさか、思わぬところで恨みを買ってる……のか? いや、まてまて、そもそもはっきりと殺されてるのは俺達と関係のない人たちだし……御堂や長谷川がどうなっているのかは、まだわからないし」

 矢津井はどこかうろたえたように言うと、髪の乱れた頭をさらにガシガシかく。


 どうなんだろう……。要としては、自分たちが狙われているというのはいまいち考え難いというか、とりあえず心当たりなどはまったくないのだが。しかし、絶対とは言い切れない。思わぬ理不尽な理由で付け狙われているという可能性は、ゼロではないのだから。探偵小説じゃなくても、そういう場合は往々にしてある。


「まあ、今のところは御堂や長谷川が見つかることを祈るしかないだろうけど」

 要としても、そう言うくらいしかできない。再び沈黙が二人の間にただよいはじめたが、

 「なあ、できるかどうか分からないが、ひとまずは長谷川を探してみないか?」

 矢津井が思い切ったように切り出した。


「探すって、生きているならどこかに隠れているか、もしくは犯人に監禁されているか……死んでいるとしたら死体を遺棄されている――いずれも場所を推測するのは難しくないか?」


 要の言葉で、矢津井はまたしばらく黙りこんだものの、ふと顔を上げる。


「……いや、そうとも限らないぜ」何か気がついたという風に、

「御堂と昔、廃墟めぐりみたいなことをしたことがあったろう。そこを少し、見てみないか?」


 矢津井の提案に、要は思い出した。以前、御堂の廃墟めぐりとやらに連れまわされたことに。人のいない空き家や工場跡を探してはそこを探索した。落書きをしたり、写真を撮ったことを覚えている。幽霊とか写るといいのにな、と御堂がニヤニヤしていたことなども思い出した。まあ、主について行ったのは要や矢津井、長谷川くらいのものだったが。富田や犬塚、特に兵頭はバカバカしいとばかりに結構パスしていた。そこでまた、要はハッとして、矢津井を見た。


 矢津井は気がついたか、という風に頷くと、

「そうなんだよ、よく考えたら、あの工場跡は昔行ったところだ。そして、あの人のいない不動産事務所跡だって中には入ってないが見て回った記憶がある……」


「まさか……」愕然とつぶやく要。あの事務所跡前で感じた引っ掛かり――それはこれだったのか。


 矢津井はいても立ってもいられないといった風に、

「とにかく行ってみようぜ。確かめてみたほうがいい」


 要もまた下唇を噛みながら、表情を硬くして頷き、立ち上がった。


 図書館から出ると、冷気の加護は霧散し、いつもの熱気と蝉の声で満たされた中を、要と矢津井は少し走るようにして進んでいく。


「どうする? どこから見ていく?」

 矢津井がどこか落ち着かなげにきょろきょろするのを、

「とりあえず近くからにしよう」


 要はそう言い、矢津井と二人、記憶を辿りながら、足を進めていく。まずは小さな公園を突っ切り、抜けた先にあるこれまた小さな神社――その裏手にある空き家に向かう。


 苔むした瓦が亀の甲羅のような一軒家は、よみがえりつつある記憶よりも朽ちた姿で要たちを迎えた。入口の引き戸は開けっ放しで、中はカビと湿気の混ざった臭いが充満し、水を吸ったゴワゴワの畳はほとんど黒ずんで腐っていた。要と矢津井は薄暗がりの中を見て回るが、特に異常はない。確認を一通り終えると、拍子抜けしたような、ほっとしたような表情で頷きあうと次の場所へ向かう。プレハブ小屋やアパートといった廃屋を回り、小さな民宿跡までまわったが、特に何も発見することはなかった。


 焦りはやがて暑さと疲労に摩耗まもうするようにして、やがて徒労感にとって代わる。ただの思い違いだったのだろうか。やがて、要と矢津井はダラダラ歩きつつ、言葉を交わし始めると、やがて事件の報道についてとなり、要はふと、思い出したように、

「しかし、全然知らなかった。御堂にお姉さんがいて、しかも去年に亡くなってたなんてさ」


「ああ、そういえばそうらしいな。ストーカー被害だったらしいけど、犯人も死んだんだってやつ。つきまとった末の無理心中みたいな感じだったってな」


 御堂には美月という二十六歳になる年の離れた姉がいた。彼女は稲生市に住んでいたわけではなく、就職してからは他県で一人暮らしをしていたらしい。そこで同じ職場の三十代の男に散々付きまとわれたあげくの事件だった。御堂は自分の家族について話すことはなかったし、要もそういえば御堂の家に行ったこともない。御堂の家族については今回の事件が起こってからようやく知ったのだった。


「しかしまあ、なんかひどかったみたいだな。プライバシーなんてあったもんじゃないし、被害者についての興味本位な記事がネットをあさったら色々出てきたぞ。あとは、男を誘ったとか、一人で夜道を歩いてるからだとか、拒絶の仕方が犯人を刺激したんじゃないのかとか、お決まりの匿名で勘違いの吐き気がする憶測・妄想がSNSを中心ににわんさと。そして、またそれが浮き上がってきてたりしてる」


 矢津井はどこか嫌悪と怒りをにじませたような声で言う。今回の事件でまた蒸し返されたあげく、見当違いの憶測ネタになっていることは要も把握している。知りもしなかった知り合いの姉が、今回の事件の情報として掘り起こされたあげく、消費させられているのを見て、要は暗澹としたが、同時にまた違うものが要にはこみあげてきていた。


「しかし、御堂のこと、僕は結局なにも知らないのかもな……いや、知ろうとしなかっただけか」


「そんなもんじゃねえ? そんな簡単に他人のことが分かるわけでもないしな」

 矢津井はぽつりと言う。


 矢津井の言う通りではあるのだろう。御堂を含め、趣味を同じくして集まり、そして中学生時以来それっきりな彼らは、結局はお互いのことを良く知らないままだった。


 そのうち、かつて探索した中で一番遠くに位置するせまい町工房らしき跡が見えてきた。


 それは大きな四角い、本当に箱のような建物で、外観は傾斜した土地を削ってその箱をおしこめたような形になっている。傾斜を上って背後に回り込むと、建物の天井近くに立てる形だ。その足元に位置する狭い高窓の鍵は当時から開いていて、そこから中に入ったりしていたことを要は徐々に思い出す。


 建物正面の大きなシャッターが閉ざされた横に、古い木製のドアがついていて、そこも要たちが探索した当初は開いていた。今はわからないが、二人はとりあえずそこから入ることにした。


「あれ、動かないな」

 ドアノブをひねり、矢津井は呟く。しかし、鍵がかかっている風ではない。

「何かちょっと歪んでいるっぽいな…」

 矢津井はそう続けて、ドアノブをひねったまま今度は足で蹴りを入れた。かすかな抵抗があっけなく解けるようにして、ドアがすっ飛ぶように開く。


 そして――。


 要と矢津井は同時にうめき声をあげた。

 彼らのほぼ目の前にそれは、ぶら下がっていた。天井から二本のロープが垂らされ、それで脇を固定された死体。そして、これまで通り、死体には首がなかった。


「な……」

 要の言葉になり損ねたような声の残響が、室内の据えた血の匂いの中に溶けていく。


「ウソだろ……」

 矢津井はそう言って、ふらふらと死体に近づいていく。要もそれに釣られるようにして死体に向かっていった。


 死体は、その足が地面に付くか付かないかの高さで吊るされ、上半身を見ると、脇にはロープのほかに、棒が一本通されている。死体は脇に挟まれたその棒にもたれるように固定され、棒の両側からはロープが延びている。その姿はなんだか、サーカスのブランコ乗りのようだった。首は根元から切断されて、切り口と肩が平らな感じになっている。


「もしかして、長谷川なのか……」

 だれともなく矢津井が言うが、首がなくては即座に判断できない。しかし、体の華奢な感じなどは、彼に似ているといえば似ていると要は感じる。


 死体のモスグリーンのシャツの胸には、紙切れが貼ってあった。

「また犯行声明……か」

 第三の犯行声明。それは、これまでと同じように、新聞紙の切り抜きで作られていた。


『三つ目の死体。ゆやん、ゆよん。サーカス小屋のブランコだ。 道化師』


「……相変わらずのふざけぶりだな」

 矢津井はその有名な詩をもじった文面を見てうめく。


 死体は部屋のほぼ中央につるされていた。室内の床はコンクリートで、湿気を吸って黒ずんだ段ボールが二つ転がっているくらいで、中は殺風景もいいところだ。部屋の奥に首を切ったのに使ったらしい包丁やのこぎり、そしてブルーシートがくしゃくしゃになって放置されていた。要が凶器を見ている間、矢津井は部屋を見て回っていたが、要のところへ戻ってくると、


「首は……ないみたいだ。しかし思うんだが、毎回毎回首を切るのはなんでなんだ?」

「しかも毎回焼いてる。今回も多分そうなんだろうが、それもよく分からないな……。今時、顔をつぶせば身元が分からなくなるってものでもないのに」

「だよな……指の指紋とかもそのまんまだし。そもそも身元を証明するような被害者の持ち物を残していったりしているわけだしな」


 はたして毎回の首切りは何の意味があるのか。残虐な演出としては、確かに効果はあるだろうが。そうやって世間をただ騒がせたいのかどうなのか。


「しかし、今回は密室とかではなかったな、さすがに」


 矢津井は何となく拍子抜けしたような声だが、そうそうやたらと不可能犯罪をやっていくようなものでもないだろう。だいたい、トリックなんて弄すれば弄するだけ手がかりを増やすようなものなのだ。まあ、そういう意味で要にとっては、大いにやって手がかりを残していってほしい気もするが。


「とりあえず、通報しよう……しかしまた発見者か。なんだか嫌な予感というか、いよいよ本気で疑われそうで怖いな」


 とはいえ、通報しないわけにもいかず、憂鬱な気持ちで携帯を取り出す要だった。

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