第7話 「大量自殺事件」:空木要(4)

「それにしても、相変わらずの名推理だったわけだ」


 どこか面白がるような色を声に含ませ、紙谷拓人はニヤニヤしていた。要はことさらうんざりとした声色で、


「思い付きがこうも的中するとは、僕もつくづく運が悪いと思いますね」


「まあ、そう言いなさんな。早急に首が発見されたこと自体は悪いことではないんだからな」


「まあ、そうなのかもしれませんが……」

 要はそう濁すと、周りを見回すようにして、

「ところで、いいんですか、僕たちがここにいて?」


 要たちは今、稲生署の二階に設置された稲生市バラバラ殺人死体遺棄事件捜査本部にいる。といっても、要たちと紙谷だけだ。捜査本部として設置された会議室はガランとしていて、人はいないもののやはりこんな場所にいていいのかという気持ちが、体を委縮させている気がした。時折、人が出たり入ったりしているのだが、その度に胡乱な視線を向けられているようで、ひたすら居心地が悪い。というか、そもそも一般市民をこんな所へ入れていいのか。


「別に気にしなくていい。刑事部屋の脇の相談室じゃあ、狭いし窓もないしで息苦しいしさ。かといって手ごろな部屋は空いてないし。別に捜査資料を散らかしているわけじゃなし、かまわないよ。午後の会議にはまだ時間もある」


「はあ……」

 要はそう、曖昧な返事をするしかない。紙谷さんがいいというならいいのだろう……大丈夫ではない気もするが。


 要はこのおよそ刑事らしくない、矢津井の小さい時からの知り合いに、あの美術館の一件以来妙に気に入られているらしい。それに戸惑いつつも要は紙谷にある一定の親近感の様なものを抱いていた。要への大げさな名探偵扱いはともかく、容疑のかけられた御堂のために、要の思いつきに耳を傾けてくれたわけだし、何より不利な条件下でも真実を明らかにしようとするその姿勢に惹かれたのかもしれない。


 紙谷と初対面の志帆は、なんだか少々の胡散臭さと緊張が混じった神妙な顔で、最小限度の受け答えにとどめている。


 首の発見に至るだいたいの経緯は現場に来た捜査官たちにもしたが、要たちは改めて紙谷から聴取を受けていた。聴取の途中で昼食を――出前のラーメンをおごると紙谷は言いだし、しばらく警察署内でカツ丼ならぬラーメンと一緒に一時間ほど休憩でほっておかれる妙な経験をした後、紙谷のからかいめいた言葉で聴取は再開された。


 他の捜査員たちが現場へ捜査に向かう中、ひとりガランとした署内で高校生相手にさらに詳しい聴取を任されているところから見て捜査本部内での彼の立場は、あまりいいものではないのかもしれないな……と要はぼんやりと推察するのだった。


「それにしてもさ、えらくガラガラみたいだけど、大丈夫なのかね」

 矢津井のなにはともない言葉に、

「まあ、だいたいこんなもんさ。役所じゃないんだから」

 紙谷はそう返してから、ただ……と続ける。

「いつにも増して人手不足ではあるな。あの大量集団自殺事件の後始末がようやく終わって、捜査終了ってところで今度のバラバラ死体遺棄事件だ。それ以外の案件だって当然あるし、いやはやまったく、忙しいものだよ」


 あくびをしながら言う本人は、みるからに閑職に置かれてなんだか暇そうなそぶりだったが、まあ、この署内について言えば事実なのだろう。


「そういえば、あの集団自殺事件の自殺体って、全部見つかったんですか?」

 要は今はめっきり報道されることの少なくなった大事件について尋ねる。


「おそらくはほぼ発見できたはずだ。事件が発覚してから二か月余りかかったが……ただ、もともとどれくらい埋まっているかが分からないこともあって、完全に発見できたとは正直言えないんだが、とりあえずは完了することになる。実際もうあの山での捜索はしてないよ。そのうちマスコミも発表するだろうけど。まあ、ニュースとしては霞みそうだな、この分だと」


「あれって、何だったんだろうな。新聞やテレビでは宗教団体がどうとか、若者たちのサークルがどうとかって話が出てたけど、どれも違ったみたいじゃん」

 矢津井がそう口を挟み、紙谷は頷いた。


「当事者がほぼ全員死んでいて、彼ら自身もあまり記録を残していない。一応、最終的に報道されたように、ネットの小さな自殺サークルを中心にして肥大化したということが事実らしいのだが……」


 この稲生市で、五〇体近くの自殺体が一つの山に埋められていたなどという空前の事件が発覚し、当時世間は異様な興奮に包まれた。人民寺院事件やヘブンズゲイト事件などが引き合いに出され、宗教団体の集団自殺説を始め、ネットでは様々な憶測――近くの廃マンションの霊が引き込んだだの、宇宙人の実験が行われただのといった定番で面白みのないものも含め――デマも溢れた。


 この特異な大量集団自殺の始まり、それは最初に自殺した十二人の、いささか特異な自殺の仕方にあったと言われている。


 管理人のはっきりしない自殺サイトの掲示板で知り合ったらしい彼らのうち、この稲生市在住だった一人の提案により、稲生市内の山の中に、彼らの終焉の地が決められる。稲生市の西区内にある通称“幽霊マンション”――好景気の時代、未来のことを考えなしに建てられ、廃墟と化した金余りの負の遺産――その裏手に鉄塔山と呼ばれた山があり、そこには戦時中に掘られた防空壕がぼこぼこと口を開いたままそのままになっていて、それがその山が選ばれた理由であったらしい。


 彼らは人数を二つに分け、最初の六人が防空壕を選んで中に入り、練炭自殺を行う。そして、残りの六人に先行する自殺者たちの遺体を埋葬してもらう、という奇態な集団自殺の形態をとったことが、この大量集団自殺のすべての始まりとなった。


 残った六人は再びネットを介して新たな自殺者希望者を――つまり自分たちを埋葬してくれる自殺者を募集し、人数が集まると自殺を決行する。そして、その繰り返しがこの小さな地方都市の山中に大量の自殺体が埋葬されるという、前代未聞の事件へと発展していった――ということらしかったのだ。


 先行した自殺者を後続が埋葬する、というある種特異な形式の集団自殺――初めの自殺者たちがいかなる意図を持ってそのようなことを企画したのか、このような事態を予測して事に及んだのか、今となっては分からずじまいである。ただ、この形態がまるで工場のように淡々と恐ろしいほどの数の自殺者を一か所に量産していったことは事実だ。


 失踪届の出ていた一部の自殺者たちの足取りをたどって、警察が山に足を踏み入れた時には、すでに山には遺体がゴロゴロ埋められていたらしい。防空壕の一つは集団自殺用のガス室のようなものになっていて、そこに埋葬されることのない最後の集団自殺者たちとみられる五人が倒れていたという。他にあった三か所の防空壕に、主に遺体は埋葬されていたらしいが、もちろんいっぱいになっていて、それ以外の場所にも埋められていたらしい。そうして、結局のところ、当事者たちはみな死亡し、彼らの持ち物――パソコンや携帯――などの記録からこのような大筋のことがおぼろげに判明しただけで、それ以外の詳しいことはすべて謎のままになっている。


 しかし、あれだけの騒ぎがあったにもかかわらず、要自身も含め、世間の関心は明らかにバラバラ殺人事件に移っている。


 当時、事件に対する熱がすごかったことは確かだ。静かな地方都市の山で次々と死体が見つかるという事件に、人々は蟻のように群がった。


 しかし、次第に発見される自殺体の数が人々の予想を超えて増えていき始めてから、人々は冷や水でもかけられたように沈黙し始め、それからこの事件に誘発された集団自殺が未遂も含め多数起こり始めるに至り、やがて一部では恐慌をきたし、その矛先が自殺者やその家族に向かい始めることになる。特にネットなどでは、自殺者達を意志の弱いものとして非難する論調が膨れ上がり、その死者への行き場のない批判や嫌悪は、彼らの自殺の意志に気がつけなかった(と批判者たちが言う)家族たちへの攻撃に移るのに、そう時間はかからなかった。


 この後多発した自殺事件の誘発批判により、マスコミがようやく報道について本来するべき自粛を始め、人々の目に事件があまり触れなくなった現在、今度は事件について、人々は積極的に忘れようとしているようだった。初めからそんなことはなかった、とでも言うように。


 迷惑なモノ、不安にさせる異様なモノ。できれば見なかったものにしておきたいモノ。それが自殺者達に対して人々が選んだ態度だった。無関係な人々にとってそれはただ突如として一か所に出現した大量の、そして一塊の〝死〟であって、個々の自殺者自身についてはどうでもよかったのかもしれない。だからこそ、目につかなくなればさっさと忘れることができる。


 ――そんな風に世間を総括している要自身も、たぶん似たようなものなのかもしれなかった。


「しかしまあ、なんというか、この街でまた妙な事件が起こり始めているわけで、今度も騒ぎが大きくなる可能性があるな」


 紙谷はそう言って、それじゃあまあ、聴取の続きをしようか、と仕切りなおすように、


「首発見についてのいきさつは十分聞いたけど、ここからは君たちがかかわることになった最初の方に話を戻したい――」


 紙谷はその少しこけたように見える頬をなで、要を見据える。やはりというか、どことなく飄々としているが、目は鋭いのだ、この人は。


「道化師が出てくるという例の原稿は空木君が書いたということだったけど、それは中学生の時に書いて御堂君に渡たしたというのは確か?」

矢津井から聞かされていたのだろう。紙谷はそう確認する。


「中学の時、機関誌に出すつもりが書けなくて、途中まででいいからとにかく送れっていうのでメールで送ったやつですよ。プロローグ部分だけ。あれ以来それっきりで僕も忘れてました」


「続きとかはない?」

「ええ、まったく」


「ということは、今回のバラバラ殺人事件は君の原稿とは関係ないことになるな……続きについて、こうするつもりだという話はなかったのかい」


「それもなかったです。高校になってからは学校も違いますし、全然。昔みたいに古書店で顔を合わせるようなこともなくなってましたし……」


 そういえば……と今さら気がつく。高校生になってから一夫書房で御堂を見かけなくなっていた。とはいえ、要自身もそう足しげく通うようなことは無くなっていたが……。


「小説通りに事件を起こすとして、なんでまたプロローグしかない小説を使ったか……」

 紙谷は考え込むようにペンをコツコツ机に打ち付ける。

「そうだ、空木君の小説と他のメンバーの小説を繋げている可能性はどうだろう」


「うーん、今回のバラバラ事件みたいなのを書いてたやつはいなかったと思うぜ。あのメンドクサイ暗号パズルもまるまる使われてたら、すぐに分かっただろうし」

 矢津井の指摘に要は頷き、かぶせるようにして、

「御堂が書いたものにも無かったと思います」

 

 矢津井も首を縦に振って、

「俺も似たようなやつを読まされたことは無い。とはいえ、あいつの場合、探偵小説と言いつつ探偵小説モドキの小難しい物ばっかりだったが……」


 ぶつぶついう矢津井。それを無視するようにして紙谷は続ける。

「ということは、空木君の小説のプロローグ以降――バラバラ殺人事件からは、犯人による続き、ということなのかもしれない」


「続き、ですか?」

戸惑い気味の要に頷きつつ、紙谷は続ける。

「そう。君の小説の続き。君が書いたプロローグ部分を含めて、書くのではなく現実に事件として起こした」

「何のために」

 思わず声が大きくなる要。なんでわざわざ人の小説の続きとして事件を起こす必要がある。


 しかし、紙谷は自分で言いだしたくせに、ただ肩をすくめるようにして、

「さあ、それは犯人に聞いてみるしかない」


 勢いをそがれて黙り込む要。しかし、紙谷が想定している「犯人」とは誰のことを言っているのだろうか。やはり御堂ということになるのだろうか。御堂が過去に中絶した自分の小説を引っ張り出してきて、その続きを含めて現実に起こしている……不合理極まりないが、その不合理ゆえに、御堂によるものと信じる部分がありはしないか……要は結局、それを否定しきれない。


「ところで、その空木君が書いた原稿、読んだのは御堂司を除いて富田君、そしてそれを受け取った惣太君、それから空木君に早瀬君の四人だけか?」

 今度は、紙谷は矢津井にそう訊ねた。


「だと思うけどな。ただ、富田が俺以外に見せたかどうかはわかんねえけど。少なくとも俺は空木と早瀬以外に見せてはいない」


「富田君には改めて聞くか……そもそも御堂君が富田君以外にも空木君の小説を見せていた可能性もあるし、そう簡単にはいかないだろうが」


「簡単にいかないって何が?」

 怪訝な顔をする矢津井に、要が口をはさむ。


「小説どおりに事件が起こったとするならば、偶然の一致を考えるより、誰かが僕の小説をなぞって事件を実行したと考えるほうが自然だ。そして、僕の小説にあった道化師の繋がりがうかがえる以上、このバラバラ殺人の犯人は僕の小説を読んでいる。それが誰なのかを把握すれば、容疑者の範囲はぐっと狭まるってわけ――でもそれが上手くいくかってこと、ですよね?」


 要は矢津井へ解説しつつ、そこに警戒するような響きをそえる。紙谷はまーね、と素知らぬ顔で頷いて、

「結局のところ、御堂司が空木君の小説原稿を誰に見せていたかの特定は困難だろうしね。だから、別にことさら君たちを疑っているわけじゃないよ。この場合、最重要参考人は空木君の原稿を所持していた――失踪したままの御堂司ではあるからね」


「でも、紙谷さんは違う、と思ってるんじゃないですか?」

 要は紙谷に突っ込むような質問をしてみる。紙谷は表情を変えることなく、

「要君こそどう思う? 書かれていたプロローグ部分に相当する出来事が起き、小説に出てくる道化師が犯行声明を行う事件が続く。そして、その小説を持ち出した人間が行方不明。君の好きなミステリだか探偵小説だかでは常套だが、そういうあからさまに容疑が向けられている人間ほど実は……というパターンだろう?」


 質問で返され、要はちょっと鼻白んだように口の端を曲げ、


「そんなこと、分かりませんよ。御堂はそうやって警察が追う囮として、殺されたまま死体が出てこないのかもしれないし、そういう小細工とは関係なく、御堂自身が人を殺し回っているのかもしれない……」


 そう言う要に、紙谷は特に言葉を返すということもなく、少し興味深げな感じで顎を撫でただけだった。


「まあ、とにかく可能性はいろいろある。殺されているのか、自ら姿を隠しているのか、はたまた囚われているのか、とりあえずは彼を見つけることが先決だろうね」


「……カナの小説の続き、はともかく、殺されていた人とカナたちとのつながりが気になります。」

 志帆がぽつりとこぼした言葉に、矢津井はうーんと唸り、

「顔があの状態だからなあ……今のところあの死体に心当たりはないぜ」


「これまでばらまかれていた死体から被害者の身元はまだ判っていないんですか?」

 要は紙谷を見る。


「まだよくは分からない、といったところだな。一応、検死前の首以外の、ばらまかれた残りの部分は同一人物の物と分かってはいる。それから遺体は二十代の男性だということだ。あと、とりあえず遺体の指紋は御堂司の自宅から採取した指紋とは一致してはいない。おそらく彼ではないだろう」


「いったい誰なんでしょうかね……」

 そう、志帆は気味悪そうにつぶやく。


「まあ、追々わかるさ。それも含めて捜査が進んだら、矢津井君を通して色々情報を流すからさ、何か思いついたことがあったらよろしく頼むよ。――名探偵」


 本気とも冗談ともつかない言葉を――というか、警察の人間としての発言とは到底思えない発言を、警察署の中心部で平気に言い放つ。誰かに聞かれたらどうするんだ、と要の方が冷や冷やするが、最後に付け加えられた言葉にはやはり少し鼻白み、思わず抗議の声が口を突いて出そうになる。しかし、紙谷はそんな要に頓着することなく、

「とりあえず、聴取は終わりだ。帰っていいよ。ああ、それから何かわかったりしたら気軽にこっちへ直接電話してくれ」


 あっさり聴取を切り上げ、携帯端末を取り出すと、さっそくいじりだし、要の気勢はいちじるしく削がれることになった。


 横で志帆が何とも言えない表情を要に向け、目が合うとそのままわざとらしく首をすくめる。それにつられるように、要はため息をついた。

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