第六章 呉服屋の御曹司

「んまー、あの雑誌の編集長様だったんですか。

私、好きで毎週買っていたのよ・・・」


広尾のオバ様達が高田の渡した名刺を見ながら、うっとりした表情で言った。


「いやー、光栄だなー。

こんな美しい女性達が僕の雑誌のファンだったなんて・・・」


オードブルのチキン・レバーのトーストをつつきながら、高田は調子良く言った。

さゆりはテーブルの隅でワインを飲みながら、おもしろくない顔をしている。


「今度始める雑誌は、こういうエレガントな大人の女性向けにするつもりなんです。それで、このツアーに無粋ながら参加したわけなんですよ」


(よく言うわよね、このスケベオヤジ。

どうせ女の人が目当てで来たんでしょ・・・?)


次に出てきた蝶の形をしたパスタをフォークでつつきながら、さゆりは心の中でつぶやいていた。


高田は巧みに女性達の心をつかみ、座を盛り上げていく。

料理に関する知識と人を飽きさせないスピーチはさすがで、気難しいオバ様達を虜にしていった。


さゆりは夕食にホテルのレストランに入る前に、オバ様達からこっぴどくイヤミを言われていた。


「あなた、ツアコンのくせしてちょっと特定の人達と仲良くしすぎじゃなくて?

客は他にもいるんですからねっ。

ひいきは困るわぁ・・・」


それを陰で聞いていた高田は、大西を連れてわざと、オバ様達と同じテーブルについたのだ。


「この青年はこう見えても銀座の呉服屋の御曹司でしてな。

もう、そろそろいい年なので店を継ぐにあたって、嫁をとらなきゃならない。

しかぁーし・・・」


巧みに間を取りながら、高田は話を進めていく。

テーブルについたみんなは笑ったり、時には息を飲んで、この男の話を聞いていた。


「まだ、童貞・・・・なんです」

女性達は、「キャーッ」と歓声を上げて笑い合っていた。


「笑っちゃいけませんっ・・・。

この大西君は、かの有名なT大を卒業してある大手製薬会社に勤めていたんですな。それが、父上がもう引退するという事で店を継ぐように言われた・・・・。

元は無粋な彼、ホレ・・・・このスーツを見てごらんなさい。

いかにも呉服屋さんでしょう・・・?」 


爆笑の渦が巻き起こっていた。

サングラス越しに、卓也の顔が赤くなっているのがわかる。

さゆりはそこまで言わなくてもいいのにと思ったが、当の卓也はそんなに悪い気はしていなかった。


「いずれ、見合いでもして結婚して店を継がなくてはならない・・・。

大西君はそれで一大決心をして、このローマツアーに参加して、そのぉ・・・・。

オホン・・・童貞を・・・捨てに来たのですねっ」


【キャーッ!】


と、又オバ様達も他の新婚の新妻達さえも、この話に身をよじり笑いながら興味深く聞いていた。

今まで暗く浮いていた卓也に、みんな親近感を持って目を向け、いつの間にかツアー全体が仲間意識を持って、仲良くなった気がするのであった。


改めてさゆりは男二人を見つめ、心の中でつぶやいた。


(この二人。

いったい、何なの・・・?)


食事が終わりホテルの部屋に戻る際、さっきの広尾のオバ様に呼び止められた。

又何か怒られるのかと肩をすくめたのだが、手に何か包みのような物を握らせて、優しくオバ様が言った。


「さっきはごめんなさいね・・・。

私達、誤解していたわぁ・・・。

高田さん達、とってもいい人なのねぇ・・・。


明日の買い物を荷物持ちで、つきあってくれるって言うんですよぉ・・・。

雑誌の参考にしたいんですって・・・。


私達も明後日からギリシャのコースになるし、

明日で最後だけど気を悪くしないでね。

じゃあ、おやすみ・・・」


「あ、あの困ります。こんな・・・」


さゆりが返答する間もなく、そそくさと行ってしまった。

ティッシュには1万円が包まれていた。


(あら、こんなに・・・)


ふと顔を上げると、ロビーのソファーで高田がこちらを向いている。

目が合うと、笑って手を軽く上げた。

さゆりは、近づいていって、軽く頭を下げた。


「あのう、さっきはありがとうございました」


「いいんだよ・・。

それより、ああいう人達は気を付けた方がいいぜ。


機嫌を損ねると、バンバン会社の方にクレームつけてくるし、

まっどうせ俺達はヒマだし。


本当に雑誌の参考になるんだ・・・・。

ああいうオバ様達もターゲットだしね・・・」 


さゆりは少し、この中年男を見直していた。

イタリア語に精通している事や抜け目ない行動といい、あなどれない人だと思った。


「そのかわり・・・ねっ。

次のフィレンツェでは俺達につき合ってもらうからね・・・」


そう言うとサッと立ち上がり、エレベーターの方に歩いていった。


「えっ。

あの、ちょっと・・・」


答える暇もなく高田はロビーから消えていき、さゆりは、はめられたと思った。

ただ、そんなに悪い気がしないのが変な気分ではあった。  


「アー、疲れたなぁ。

着いてから1日たったぐらいが一番疲れがでるのよねー・・・」


ツアー日誌を書き終わって、さゆりは大きく伸びをしながら独り言を言った。

机の前の鏡に、身体にタオルを巻いた広子が浴室から出てくるのが映った。


「お先にお風呂いただいたわ。

ごめんなさいね、どうぞ・・・」


「いいんですよ、お客様優先だし。

ツアー日誌書かなきゃいけないんだもん。

じゃあ、お風呂入ってきますから。

その後は・・・ふふっ、ファッションショー・・・ですよね?」


さゆりはうれしそうに言うと、浴室に消えていった。

広子はドライヤーで髪を乾かしながら部屋を見回した。


ベージュが基調の壁紙で、白い帯のような額縁が部屋の壁に沿って走っている。

所々に掛けてある絵はイタリアの風景のエッチングで、淡い色がつけられ良い感じだ。


大振りのベットが二つ、フロアデスクを挟んで並んでいる。

ベッドカバーは深い赤紫の模様で、インテリアとしても美しいアクセントになっている。


窓を見ると、ローマの夜景が美しい輝きを見せていた。

広子は髪を梳かしながら、あの二人組は今頃どうしているかと思った。


※※※※※※※※※※※※


「ふー、いい湯だった・・とは言えねーか。

どうも外国の風呂は入った気がしねぇな。

やっぱり風呂は熱いのをザブンと、いかなきゃな・・・」


そう言って、高田は冷蔵庫からビールを取り出した。

卓也は先にシャワーを浴びたらしく、Tシャツにトレーニングズボンをはいている。


髪も洗いサングラスもとっている。

意外にもまともで、割りとハンサムな男の顔を見て驚きながら、高田はカンビールをもう一本渡してプル・トップをあけた。


「へえー、お前、そうやって見ると、なかなかいい男じゃねーか。

まっとにかく乾杯だ・・・」 


卓也は不器用に礼を言って、ビールをうまそうに飲みだした。


「おい、それはそうとお前金持ってるのか。

さっきは勢いで言っちゃったけど、

お前のこと呉服屋の御曹司って事になっているんだからな」


卓也はカンビールをテーブルに置き、ぼそぼそとしゃべり出した。


「ええ、製薬会社に勤めているところまでは高田さんに話してたけど、

その後の話は聞いててビックリしました。


でも、おもしろかったですよ・・・・。


いつの間にか自分でも、そうなのかなーって思ったりして。

でも、童貞というのは本当ですよ。

ちょっと恥ずかしい事ですけど・・・。


俺、本当に恋愛・・・・・したことないんです・・・。


だから今回の旅は今まで貯めていたお金、

全部クレジットカードの口座に移して・・・。

どうせ、今まで使ったことなかったし・・・。

できれば、その話のままにしてもらうと俺も助かります」


「ヒュー、嘘から出たマコトってやつか・・・・。

俺のいいかげんな性格も割りと役に立つんだな。

今日のバールでもおもしろかったしな。


最後まで信じてたぜ、あのおっさんたち。

お前が元プロだって。日曜日に試合に出ろって言ってたな。

えっ?まさか・・・それも本当ってんじゃぁ・・・」


「いや、そこまでは・・・。

でも、高校の時、都大会でベスト4まで行きました。

今ほどサッカーも人気がなかったし、

進学校だったんで全然もてなかったですけどね。

サッカーだけは続けていて、近くのクラブチームで毎週リーグ戦やってるんですよ」


高田は2本目のビールをあけながら言った。


「へえー、だからあんなにうまい解説してよく知ってたんだ」


「高田さんこそ・・・

イタリア語でよくわかんなかったですけれど、話し方がうまいんですね。

普通、あそこまでもり上がりませんよ。

地元の人、サッカー詳しいし・・・」


「まーな。

一応雑誌の編集やっていると色んな知識、詰め込んでるからな。

それにイタリアはよく来たんだよ、前の女房と・・・」


「前の女房・・・?」


「そうさ、逃げられたんだ・・・」


そう言うと、高田は遠い目をしてローマの夜景を見つめた。


「おっと、それよりお前だよ。

さゆりちゃんと仲良くしたいんだろ?」


卓也は急に顔を赤くして、ビールを一気に飲み干した。


「ええ、まあ・・・」


高田は2本目のビールを卓也に勧め、今度はウイスキーを取り出してコップに注いだ。


「とにかく・・・だ

。明日は広尾のオバ様軍団につきあって、さゆりちゃんに恩を売ってだな

。次のフィレンツェから攻勢をかけるぞ。 


ギリシャと2コースに分かれるから人数も減るし、

オプションばっかりだからリッチに金出せば女の子なんてイチコロさぁ・・・。

お前だってまんざらな容姿じゃないんだし、自信持てよ」


「よろしくお願いします。

俺、本当に女の子苦手なんです。

だからサングラスしてなきゃまともに見れないし・・・。

金ならあるっす、だいたい4000万円ぐらい・・・」


「ヒューッ」


高田は目を丸くして、ウイスキーを一気に飲み干した。

喉元をカッと熱い液体が通っていった。


「すげぇ、金持ちじゃねぇか?」


「いや、ただ使わなかっただけですよ。

研究所から全然出ないし、寮から通って・・・。

だから食費も殆どかからないし・・・・・。

株とかも適当にまかせてたら、いつの間にか増えていたんです・・・・。


でも、いいんです。

俺、こんな金・・・全部使ってもいい。

初めてなんです、 好きになったの・・・。

もし、さゆりさんが俺の事振り向いてくれたら・・・。」


卓也はそこまで言うと又ビールを一気に飲み出した。


「よーし、わかった。

不肖この高田キューピットになってやろうじゃないの。

任せておけよ。その代わり俺にもその・・・ちょっとおごってね。

会社の経費と、俺の小遣いじゃ、たかが知れているからな」


そう言うと、卓也のコップにもウイスキーを注いだ。

卓也は笑顔でうなずくと二人は又乾杯をし、楽しく飲み明かしていくのであった。


車の流れが夜景を静かに動かしていった。

ローマ、二日目の夜の事であった。


    ※※※※※※※※※※※※


新婚カップルの買い物の値段交渉を助けていると、ショーウインドー越しに荷物を抱えた高田と大西が見えた。

その前を広尾のオバ様軍団が、歩道いっぱいにブティック街をカッポしている。


高田はさゆりと目が合うと手を振った後、腕を目に当て泣くポーズをしている。 

大西はさゆりに気が付くと、慌てて目をそらしまっすぐ歩いていく。


背が高くがっしりしていて、巨大ロボットのように見える。

さゆりは、くすりと笑った。


(大変ね、あの二人・・・。

でも助かったわ。あのオバ様達怒ると恐いものね。


それにしても随分買ったわねー。

いくら持ってくれるっていっても、少しぐらい自分で持てばいいのに。

これじゃあ、フィレンツェではサービスしなくちゃ・・・ね)


広子は今日ホテルの部屋で、本でも読んでいると言って休んでいた。


(旅行っていうのは、あれぐらい余裕がなくっちゃね。

でも昨日のファッションショーは楽しかったなぁ。


広子さんが私にお化粧してくれて、びっくりしちゃった。

私ってまんざらでもなかったのねぇ。

けっこう大人ぽくなれてたし・・・。


広子さん・・・好きだな。

オバ様達も、ギリシャに行っちゃうし。

これから楽しい旅になりそう・・・。)


別のカップルに呼ばれて、さゆりはレジに走っていった。

ローマ、3日目の朝は平穏に過ぎていった。


    ※※※※※※※※※※※※


ドアをノックして部屋に入った。

さゆりは荷物を置くと、大きく伸びをして言った。


「ただいまー。

あー、疲れた。

仕事とはいえ、今日は私も広子さんと一緒に部屋で休みたかったわ。


どうです?

疲れはとれましたぁ・・・?」


広子は笑みを浮かべ、窓辺のソファーに座ってさゆりを見ている。

目の下がうっすら、腫れていた。


「おかげさまですっかり元気になったわ・・・・。

明日から又、はりきって、さゆりさんをこき使うわよ、覚悟しなさいね」


さゆりは広子の表情には気づかず、無邪気に答えた。


「そうして下さい。

今日のお礼に明日のフィレンツェから高田さん達に

つき合わなくちゃいけないんです。

どうか、私と一緒にいて下さいね?」


拝むように言うさゆりに、クスリと笑った。


「あら、私あの二人好きよ・・・。

一緒にいると、楽しいんですもの。

喜んで、ご一緒するわ」


「へえー、広子さん、趣味悪かったんですねー・・・」


さゆりが言うと、二人は顔を見合わせて笑いころげた。

ローマ、3日目のことであった。

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