第三章 真実の口

人々のざわめきが教会の中で反響している中、新婚のカップル達が真実の口に手を入れ、キャアキャア騒いでいる。

もちろん、ヘップバーンとペックになりきっておどかしたり、抱きついたり・・・。


でもいいじゃないですか、一生で一度の想い出ですもの。

と、ここでは一度ではない人が・・・。


「やあー、どうしようかなー・・・・?

僕自身は正直者なんだけど、雑誌で嘘ばっかり書いてきたからなぁ。

ねえ、さゆりちゃん・・・どう思う?」


高田が肩に馴れ馴れしく回した手をつねりながら、さゆりは言った。


「大丈夫ですよ、高田さん。

神様もそんなまずそうな手、食べるはずないもの」


後ろで広子がくすくす笑っている。

高田は全然こたえた様子も見せず、後ろを通りかかった卓也の腕をとって無理矢理連れて来た。


「じゃあ、さゆりちゃん。

この大西君はどうだろう・・・?

写真撮ってあげるから二人並びなよ」


突然言われて、さゆりは露骨に困った顔をした。


どうも、この男は苦手であった。

どこへ行っても全然楽しそうな顔もせず、愛想もなく暗い奴である。


この男がいるだけで、その場が沈んでしまう。

まだ、このスケベオヤジの方がマシだと思うさゆりであった。


「はい、笑って笑って、お二人さん・・・・。

んー、表情が固いなー・・・・。

プリーズスマイル、テンダーミー・・・・・

なん、つーて・・・・」


さゆりの、ひきつった笑いと卓也の仏頂面がおかしくて、広子は笑いっぱなしであった。


「いいよー。

じゃあ、今度はさゆりちゃん、真実の口の中に手を入れてみてー。

もちろん、さゆりちゃん嘘つかないもんねぇ。

オジさんの事、愛してるー・・・?」


さゆりは、かわいい舌を突き出して言った。


「どぅわいきらい、どぇーす・・・」


そして口の中に手を入れると、何か柔らかい物が手に当たり、取り出してみるやいなや、大きな声で叫んで卓也に抱きついた。


「キャーッ。む、虫ぃ―!」

ストロボの光が二人のかげを像に写し、高田は笑いながら言った。


「イヤーいい写真が撮れたよ。

ありがとう、さゆりちゃん・・・・。

でも大丈夫だよ、これ・・・オモチャだから・・・・。

神様、ゴメンナサイ・・・ね」


高田がムカデのオモチャを拾い上げ、さゆりに見せると又、声をあげて卓也にすがりついた。

廻りの観光客達も笑いながら見ている。


卓也は直立不動の姿勢で、このうれしい悪戯をかみしめている。

女の子に抱きつかれたのは、生まれて初めてであった。

髪の毛からシャンプーの香りが、うっとりと鼻をくすぐった。


(ああ、いいにおいだ・・・・。

あっ、胸の柔らかい感触が・・・。

生きていて・・・・・よかった・・・・・。

日記に・・・書いておこう・・・・)


卓也は幼い頃より、日記だけは毎日つけていた。

ただ父と母が死んでから、つけることは仕事と機械的な日常の事だけであったが。


「ちょっとお二人さん、いつまでくっついているの?

あとの人が待ってるんですけど・・・」


腰に手をあて、ニヤニヤしながら高田が言う。


「キャッ、私ったら・・・。

ご、ごめんなさい、大西さん・・・」


さゆりはあわてて男から離れると、顔を真っ赤にして駆け出していった。

呆然と立ちつくす卓也に、高田が肩を叩いて言った。


「よー、どうだい気分は・・・・?

ちょっとは感謝してほしいぜ・・・・。

あんなにかわいい子に、二回も抱きつかれたんだからな」


「ハ、ハイッ・・・。

ありがとうございます」


意外に素直な言葉に驚いた高田は、目を丸くして歩きながら手を差し伸べた。


「なかなか素直でよろしい。

じゃ、これからは仲良くいきますか・・・」


「ハイッ、よろしくお願いします」


卓也が初めて見せる笑顔であった。

二人の後ろ姿を見つめながら、広子は微笑んでいる。


そして、さゆりを捜しに真実の口をあとにした。

何百年もの間、人々に触られ続けた海の神の口は角が削られ、眼を形作る黒い二つの穴は、数え切れないほど多くの人生を見てきたのだろうか。


また別の違うカップルが、恐る恐る二人の愛を確かめるために手を入れている。

真実の口を出た広場では、さゆりが何か高田に向かって怒ったようにしゃべっている。


広子が笑いながら、なだめている。

ツアーの一行は、やがて次の場所へ向かうためバスに乗り込んでいった。

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