第36話 打ち上げ

 場が盛り上がりビール、酎ハイ、日本酒と皆好みの飲み物を飲み出すとトイレの回数も増える。夕紀が席を外すと直ぐに後を追うように、美紀も席を外して二人は女子トイレで顔を会わす。用を足した夕紀が手洗い場で鏡を見ると、そこに美紀が映っていて思わず見返る。

「夕紀、あんたがあれだけ説明すればみんなは十分に納得したわね」

 なんか奥歯に物が挟まったいつもと違う美紀の物言いに頭に来た。

「あれは事実で桜木君は全て自分一人で滝川さんの要望に応えようとしただけ、でもあの家の鍵はあたししか持ってないから当然あたしが呼び出される、だからこれは美紀の希望通には行かなかったのはもう十分に解っているでしょう」

「それはもういいのよそれより夕紀はそのあと滝川さんから道子さんの遺品の整理を託されてからどうしたのか、何もなければ聞かせてくれるでしょう」

「それはもちろん滝川さんと一緒に桜木君はお父さんのお店でくつろいでもらってから帰ったわよ」

「滝川さんと一緒に桜木君もか」

 そこでこれで全てが終わったさかい、その五十年に及ぶ長い想い出を作る切っ掛けになった場所を最後に見てみるかと。

「桜木君が云ったんか」

「どちらともなく滝川さんと道子さんの恋の成り立ちを見てみたい衝動に駆られて三千院へ行ってみただけ」

「それでどうしたッ」

 と美紀は少し声を荒らげたが、夕紀は冷静に努めた。

「もう少し滝川さんの恋について話しただけよ」

「それはほんまか、信じていいんか」

 夕紀は頷くと美紀を残してそのまま黙って先に出た。席に戻るともう最初の席順は入り乱れて、桜木君はとっくに上座から離れている。夕紀の座っていた場所には米田が座るから空いた上座に移った。そこへ美紀も戻ってきたが、彼女だけがそのまま座ると隣の米田がまた喋り出す。

「長いトイレやったなあ気分でも悪かったんか」

 と米田は美紀に対する気の使いように夕紀は背筋が寒くなる。

「何でもないちょっと涼んでただけやあ」

 と取り出したハンカチで顔を扇ぎながら美紀は、向かいで桜木と北山が話しているのを覗き見する。それには目もくれずに米田は話を続ける。夕紀はその左右を交互に見比べている。そこへ狭い座卓の角に石田がやって来て、片桐と呼ばれてふと寂しくなる。まあこの言い方でもこいつならどう呼ばれようが勝手と思い、北山と話す桜木君に目を遣る。

「今度の活動を知って俺さあ新学期になってから真面目にサークルに出ようと思ってるんだ」

「こんなのは今回だけで早々有るわけないだろう。何を今更どう言う風の吹き回しだ」

 と普段馴染みのない北山に意見する部外者の桜木が面白い。おそらく美紀も米田の話をあたしの盗み聞きと同じで適当に聞いてやっているのだろう。しかし夕紀には桜木とは切っ掛けの掴めないまま時間が過ぎた。そしてお開きになり、米田が桜木を除いて集金すると、皆は立ち上がり身支度する中で、俄然と美紀が桜木に近づいた。

「ねえ桜木君あの大菩薩峠の一巻を読み終えたから二巻を借りに行っていい?」

「ああ良いよ」

「だったらこの後お邪魔して良いかしら」

 桜木は即答を避けて、どうだ面白かったかと聞いて、適当にはぐらかしても酒の席では誤魔化しが利いた。

 二人は取り残されるのを避けるように最後尾に続いた。もちろん出遅れた夕紀が更に後になった。みんなはレジで精算する米田と合流して、木屋町通りに出ると、いつものように北山と石田は先に失敬した。

 残った四人の中で米田が美紀を誘っている。これはしめたと夕紀は米田の誘いに桜木も乗せようとする。それは次回からいつものサークル活動になると桜木君の出番がない。お呼びじゃないからいつ呼べるか解らず、取りあえず今回は彼の力が大きいかった。それでご苦労様と云う意味を込めて、もう一軒あたしたちだけで慰労会をしょうと提案する。

 この引き留め作戦に夕紀が成功すると桜木は美紀に「今日はダメだあの本はまた別の日に借りに来い」と云って作戦は成功した。いつもはうとましい米田をこの時ほど夕紀は感謝したいほどだ。

 四人は木屋町通りを上がり三条小橋を渡りその先のカラオケ店に入った。

 美紀と夕紀はともにおばあちゃん子で、幼い時から昭和の歌謡曲を聴きながら育ったからそれが此処では多いに役立った。

 あたし達には付いて行けないわよと桜木は二人にダメ押しされた。これには桜木は余り気にしなかったが、彼女らが掛けるカラオケには確かに付いて行けなかった。

 福祉関係のサークル活動から、部員は昭和の歌謡曲を熱心に憶えると、自然と平成のヒット曲には疎くなる。その関係からお年寄りに寄り添える歌をここでも選曲する。

 それでこのカラオケボックスでも、昭和の歌謡曲を熱唱すると、桜木は何とか付いて行こうと懸命に昭和の歌謡曲に挑んでいる。だからドリンク注文を取りに来たバイトの同年代から怪訝な目で見られても気にしない。

 しかしここで美紀が歌ったのは、お年寄りには無縁と思われる五輪真弓の「恋人よ」だった。何故なぜ美紀がこの曲を選曲したか、曲の終わりにその意図が見え隠れする「そしてひと言この別れ話が冗談だよと言って欲しい」此処を彼女は特に力を込めているようにも聞こえるから、これから恋に落ちる者には切なく聞こえても不思議でない。

 美紀は最後を熱唱して終えた。桜木と米田のどちらも拍手喝采だが、米田は感情が籠もっていて、桜木は歌唱力を讃えている。どちらも応援には間違いではないが、彼女に対する思いが違う。米田は真剣だが、桜木は遊びの要素が含まれていると、恋のライバル心から夕紀にはそう見えた。

 それぞれが持ち歌を何曲か歌ったが、桜木は夕紀が教えた郷ひろみの歌をそつなく歌った。それが美紀には気に食わないらしい。益々意固地になって、しかも米田とデュエット曲を歌い出しては、もう収拾が付かなくなる。

 そこを桜木が夕紀の帰りを気にして切り上げた。これには美紀もいささか不満だが、叡電の八瀬駅まで夕紀のお父さんが迎えに来てくれると連絡が付き、三条京阪から京阪電車で出町柳まで行きそこで四人は別れた。

 別れ際に桜木は、美紀には百万遍は近いが、夜道だから米田に送ってやるように云われた。

「桜木君はどうするの」

「次の電車は二十分後だこの夜中に夕紀一人で待たせるか」

「ここで一緒に待ったげるの」

「百万遍なら七、八百メートル、十分ちょっとだろうでも夜道だから米田が送るって言ってるんだ」

 夕紀は終点の八瀬駅から更に三千院は四、五キロも有るんだから贅沢言うな、と桜木に一喝されて美紀は米田と一緒に京阪電車出町柳駅を離れた。


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