第27話 滝川を捜す
京都二条城の庭園には桜の標本木がある。京都地方気象台がこの木から五輪以上咲けば開花宣言をする。それが数日前だったが、ここしばらくの暖かさに吊られて一気に満開になったが、直ぐに底冷えしてフリーズ状態になっていた。それが再び穏やかになった気候に合わせて散り始めた。その桜が舞う中を独りの老人が、二条城のこのお掘り端の桜を見ながら、北に在る二条公園まで歩いて行った。着いた公園の一画ではゲートボールを愉しむ老人連中に、目を留めて暫くベンチで眺めていた。
T字型したゲートボールスティックで、ボールを次々と打って一喜一憂しあう様に、見ていて歳を感じさせなかったあの醍醐味は、もう遠い昔の色褪せたものになっている。今は尽きぬゲームから目を逸らすように、老人はやっと重い腰を上げて、長閑な春の陽差しの中を家路へ向かった。
先ほど老人が行き過ぎた二条城の
彼らの目的地はそこから一キロほど有るが、このバスはここから
観光客で溢れる二条城の大手門を尻目にして、濠沿いの押小路通りを四人は歩いた。この通りは道幅は広いが、千本通りと堀川通りに挟まれた僅かな距離のせいで、広い歩道も車道も空いている。お陰で濠沿いの桜をゆっくり鑑賞できるが、愛でることなく行き過ぎすると、立ち止まる夕紀と桜木に美紀が振り返る。それを米田が当てつけるように早足で先を急ぐから、仕方なく夕紀と桜木も追いついて来る。
「ちょっと待ってよせっかく綺麗に咲いているのに」
「夕紀ってば、花見に来たのじゃないのよッ」
美紀にしてみればあの旅の後から夕紀が、桜木に馴れ馴れしいのが頭に来るらしい。
「それは分かってるけどなにもそう目くじら立てて歩く事もないでしょうね」
「そうだよ花の命は短いと言うように今しかないんだぜ」
「そうは云っても米田君は無視してさっさと歩き出すんですもの」
「美紀が先を急ぐから米田は吊られて仕舞っただけだよ」
桜木にそう言われると美紀も辛いところだ。
「だって夕紀と桜木君が桜に見とれるからよ今はそれどころじゃないのに第一花見でなくもっと大事な要件でここまで来たのよ、そこをちゃんと区別して貰わないと困るわよ」
この美紀の言い分は、
四人は押小路通りから千本通りを下がると、三条通りが交差する千本三条から車一台分しか通れない、狭い一方通行になる千本通りを下がった。
老人は先ほどのゲートボールを見飽きて、裏通りの細い道を歩いてアパートへ戻る途中だった。そこで学生風の若い男女が、メモを片手に歩き回る場面に遭遇したのだ。
老人はそのグループから町名と番地を聞かれて、この辺り一帯がその町名だと答える。小路から上を見上げると、高架の上を電車が通過する。何だアレはと米田が言うと、JRの嵯峨野山陰線だと老人に言われた。
じゃあこの近くだと、夕紀は
「そのアパートなら知ってますけれど誰か捜してるんですか?」
アパートさえ分かれば、この老人にそこまで言う必要はないと、四人はそこで顔を見合わせた。老人は怪訝そうに四人を見比べる。
「清風荘ってアパートはここから近いんですか」
老人が沈黙すると、余り気が乗らないと夕紀は見てとった。
「まあ近いと言えば近いけどごらんの通りこの辺り一帯は狭い路地が入り組んで近所のもんでも迷ってしまうけれど良くここまで来られたもんだねえ」
と夕紀の不審に老人は、急に愛想良くし始めた。
「いえ、さっきからあっちでもないこっちでもないと云い合って歩いてるんですよ」
好転した老人に桜木が、好機とばかりにすり寄った。この桜木に老人は更に気を良くした。
「じゃあそのアパートまで案内してやろう」
「よろしんですか?」
流石は桜木君と、夕紀は頼もしく思って老人に切り出した。
「云いも悪いもわしが帰る通り道だ」
みんなはそれはありがたい、と道案内を乞うた。ぞろぞろと四人はその老人を囲むように狭い路地一杯に広がって付いてゆく。
「君たちは学生さんかね」
誰彼となく一様にみんなは頷く。
「二条城の方から来たのかね」
そうですとこれまた一様に返事をする。
「じゃあ、あのお濠の散り始めた桜も堪能したのだろうなあ」
あのひと悶着起こしかけた桜に、みんなは苦笑した。
「そんなにじっくりとは見てませんから我々は別の要件であのお掘り端を歩いただけですから」
さっきのあの場面では一番気に入らなかった米田が、みんなを代弁するように答える。
「でもあの見事に咲き誇る桜は目に留まるだろう」
「それは嫌でも目に留まりちょっと見ていかないかという声も掛かりますけれど……」
「じゃあどうしてユックリ見ていかないんだ勿体ない今しか見られない今日しか見られないのに……」
「今日散ってもまた来年咲きますから」
と米田がアッサリ言うのに驚愕したようだ。それが証拠にそれもそうだが、と老人はそこでため息交じりに呟いたからだ。
「いいねぇ若いって謂うのは桜は今日散ってもまた次の春まで待てるが我々のように歳を取ると毎年これが見納めの桜かと思うと散る花びらまでが頬に掛かると命が縮まる思いだよ。アレは見事な桜だった。まさしく北面の武士、西行を彷彿させた」
「それは西行、
老人は桜木の顔をまじまじと見詰めた。
「ホウー、あんたは詳しいようじゃあなあ、桜の和歌をあれほど詠んだあの御仁を知ってるのか」
「彼は文学部を専攻してますから」
と夕紀が言い出すと美紀も、あたしは大菩薩峠を読んでいるの、と急に割り込んでくる。これには老人も呆気に取られているようだ。
「あっ、そこがさっき娘さんが訊ねた清風荘だよ」
と老人は二階建てで八室在る、古びたアパートを指さした。二階へ上がる鉄製の階段には所々塗装が剥げ落ちて鉄さびが浮いていた。
じゃあなあ、と老人は二階の階段を上りかけると、もし滝川さんのお部屋はどちらですかと夕紀が声を掛けた。
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