第22話 桜木の真意

 出町柳の鴨川デルタから二人と別れて、桜木は自分の部屋へ戻ると、再びパソコンと格闘する。あの家に遺された大量の本について、その価値をパソコンから得られる情報を元にして売り出す値段を決めていた。なんせ桜木にしてみれば、大衆小説には全く関心を持たなかっただけに、あの家に在る本の価値観がいまいち評価出来なかった。次々と値段を決めながら、ふと片隅に山積みされた全二十巻の本に目を留めていた。

 あいつこれを本当に読むつもりなのか、その魂胆はなんだと最近気になりだした。そうなると今までの中里介山論は、あくまで出版社からの宣伝文の引用に過ぎない。まだ一巻しか読んだ事がないのだ。俺が関心を示したから美紀がこの本に興味を持ったのか。俺が目に留めたのはこれは母が読んでいたからだ。

 俺はオカンになんでこんな本を読むんやと、すると「オカンは死ぬまで書いたんやさかいジックリ死ぬまで読むんやー」と言っていたが今は読んでいない。こんを詰めたとしても何が何でも読み切るには二年もかからんやろう。そう思って机から離れて、窓を開けて遠くの比叡山を眺め、視線を近くの如意ヶ岳に移した。その斜面にある大文字を眺めた。

 暫く眺めて開けっぱなしにするほど暑くはない。窓を閉めかけると、通りの向こうから美紀がやって来る。どうしたと訊くと、あの本を借りても良いかと言ってくる。良いよと言うとそのままアパートの階段を上って来た。二階の窓越しに返事をしたにも関わらず、美紀はドアホンを鳴らした。エッ何でと思ったが、美紀は遊び心と律義な所を併せ持っている子だとこの短い間に判った。

「どうしたさっき別れたばかりなのに」

 エヘヘと笑いながら部屋に入ると、ちゃんと置いてるんだと片隅の本を見る。

「全部持って帰るか」

 まさかとりあえず一冊だけと手に取ると、桜木か用意した簡易テーブルの前に座った。さっきの紅茶よりは不味いが贅沢を云うなと淹れてくれた。


「どうだった車の手配の方は」

「夕紀はお母さんに任せるけど米田は来るの?」

「ああ、島根へ行くけどどうするとメールを送ると直ぐに参加すると来た。まあそれだけガソリン代と高速代の負担額が減るから良いんじゃないか」

 とむしろそこを強調して美紀の同意を促した。

「別にあいつとしては悪気はないんだただ振り向いて欲しいだけなんだよ」

「それならもっと他に方法はいくらでもあるでしょう全くその反対の行動を取るなんて最低とは思わないの」

「嫉妬すればみんな同じ様なもんだよ特に恋する男女にはなあ」

「でももっと上手い遣り方もあるでしょう」

「人間様々だよ人生はそう考えれば面白いんだよ」

「ここと大学の行き交いだけでまだ人生経験はそうないんでしょう。だから桜木君の云うそれって色んな本から学んだんでしょう」

「まあね、だからこそあの道子さんと一緒に写っていた人との恋に興味があってね創作でない本当の恋物語も知りたくなったんだ」

「早とちりかも知れないわよだってただ車をバックにして二人が写っているだけじゃないの」

「でもねあのバックの車は昭和四十年代西暦なら七十年頃に流行った車で普通の家族持ちでは無理で生活費を全て車につぎ込める独身者なら買える値段の車なんだ」

 あの車を良く調べるとあれは前回言った空冷式でなく、三菱の当時最新式の水冷エンジンを載せている車だ。今と違って車離れしていない若者の憧れの的だから、そんな車に乗る人が心に何の思いも抱かない人を乗せるわけが無いだろう。今と違ってやっとの思いで手に入れた憧れの車に、そう簡単に自分の将来に縁の無い女を寄せつけない、とこの車の持ち主から桜木はそう決め込んだ。

「なーるほどそう云うことか桜木くんが内の活動に深入りする訳は本当にそれだけだったんか」

「今更何を云うんだ勘ぐりもいいところだ夕紀からは本の査定を頼まれたけれど亡くなった人の事情を聞くうちにどんな人か想像を駆り立てられてしまっただけさ、それでいよいよ辿り着ければ良いんだけど、どんな舞台が待っているか、まさか空振りで一から出直しだけはごめんこうむりたいね」

うちのばあちゃんがちゃんとあたしから聞いた通りの名前が載ってたんだから間違いない」

 美紀は自信たっぷりに言い切る。

「夕紀もそうだが美紀もおばあちゃん子だってなあ」

「今みたいにみんなが保育園に行かなかったからねだから結構居るよねそいでさあ桜木君はどうだったの」

「俺っちは丹後の田舎だから車も余り来ないからみんな子供同士で遊ばせていたまあ遊ぶ空き地は一杯あって年長者のリーダーシップで決まり事を決めて隠れんぼする藪や林もあるから日暮れまでみんな遊んだもんさ。なんせ海が近いから男達は漁に出て女達が家を守ってるから保育園も幼稚園も行かせるのは街の役所や会社で働いて共働きしている連中じゃないのかなあ」

「じゃあ桜木君も子供の頃は漁師になるつもりだったの」

「だがみんな舞鶴の水産高校へ行く中で俺は地元の高校を選んだからなあ」

 どうも桜木の実家はそこそこの旧家らしく、親も地元では名士で知られているから、その影響をもろに受けてそのまま今の文学部へ進んだようだ。

「じゃあ学校へ行きだしてからは近所の子と遊ぶより本を読むようになったの」

 美紀にそう言われても、小学校時代まではやはり家に帰ると鞄をほっぽり出して、みんなと遊びに行っていた。小学生の六年頃から進学を意識して、勉強に熱を入れだしたが行き詰まると小説を読んで気分転換を図っていた。それが中学生になると、小説を読む合間に学校の勉強をするようになる。大学生になってこっちで勉強すれば、人間を取り巻く環境に関心が向き出して、そう言う方面の講義を聴くうちに夕紀と知り合った。

「だから夕紀からは小説を書く前の人間の心理を読み解く様になったのさ」

「それは夕紀ちゃんから教わったの?」

「まああの子は結構田舎では見かけないほど、垢抜けした考えを持っていたのには驚いて、どうすればこう言う考え方に行き着くんだろうと、こっそりと同じ講義を聴くようになったんだ」

「でもあたしは桜木君を一度も見かけなかったのに」

「そりゃあそうだ夕紀は文学部の講義を聴きに来ていたからなあ」

 要するに人間学部の基礎を多くの作家から酌み取ろうとしたところが美紀たちとはちょっと違っていた。

 そうか桜木は人間学部に興味を持ち、夕紀は文学に関心を持って、そう言う共通点で二人は接したのか。取りあえずはこの中里介山は、その双方の共通点らしいから読むと云って美紀は一巻を持ち帰った。



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