4 革命党

 夕刻にさしかかり、雪がちらついてきた。灰色の点線が、幾重にもなって視界をさえぎる。その中に、ぱっと橙色の灯りがあらわれた。それに照らされ、人影が浮かびあがる。洋装の人影だった。火が、その顔のあたりに近づく。

 猛禽を思わせる鉤鼻に、鋭く整った口髭。中年紳士──濱田実貞だった。

 濱田はパイプの煙草に火をつけると、マッチを放り捨てた。口の間から煙を洩らす。

 目の前には、町があった。翟沙洲県峠町──深い山々の谷間、高原にある町だった。

 町の入口にある簡素な木戸をくぐる。提灯はついている。が、住人の姿がない。

 馬を牽きつつ、往来を進む。鋭い眼はしきりに辺りをさぐっている。建物の中や物陰でうごめくものがあった。

 町の中ほど、追分のあたりで、馬が足を止めた。濱田も止まる。右脚をひいて半身になり、右手を腰元の拳銃にのばす。息と眉をひそめ、周囲を見まわす。

 屋根の上──濱田の右斜め後ろ──から、小銃の銃身があらわれた。銃口はまっすぐに、洋装の男を見つめている。

 指が、その撃鉄を引き起こした。

 濱田の顔と身体がすばやく回り、拳銃が火を噴いた。屋根の上で、肉を抉る音と重さのある水音がした。小銃──スペンサー騎銃カービン──が転がり落ちてきた。

 濱田は屋根の上を見つつ、姿勢をもどした。

 四方から撃鉄を起こす音がした。目を走らせる。

 目という目、銃口という銃口が、濱田を睨んでいる。物陰から、家屋の中から、屋根の上から──まなざしに隙間はなかった。

 どこからか、誰かが訊ねた。

「てめえ何者だ!」

 濱田はゆっくりと拳銃をおさめ、両手をあげた。

「濱田実貞という者だ」四方を見まわしながら叫ぶ。「自由党の者を探している」

「てめえも自由党か」同じ声が続けた。

「いや、ちがう」

「なら警察ポリスか」

「ポリスでもない」

「ではなぜ神谷を殺った」

「向こうが先に銃口をむけてきたからだ」濱田がいった。「これ以上危害を加えるつもりはない。姿を見せてくれ。私一人だけだ」

「信用ならん」声がつっぱねた。「まずは腰につけたそいつを置け」

「よかろう」

 濱田は周りに目を配りつつ、帯革ベルトをはずした。帯革はホルスターといっしょになっていて、まわりに金属薬莢カートリッジが連なっているものだった。それを掲げてから、慎重に地面においた。

「置いたぞ」濱田がいった。口髭の下で、挑むように上歯をのぞかせる。「姿をみせてくれ。もう銃はない」

 風が起こった。雪も強まる。

 いたるところの戸が勢いよく開いた。物陰や屋根の上で影が動く。銃を持った男たちがあらわれた。百姓風の衣装を着ていて、軒並み薄汚れている。

 男たちは続々と濱田に詰めよってくる。目という目は、訝しみと憤りに満ちていた。

 銃口や長脇差が喉元にせまる。それでも濱田は口元の笑みを消さなかった。

 男たちをかき分け、洋装の男が五人ほどあらわれた。みな、赤い側章が走った洋袴ズボンを穿き、黒い肋骨服ドルマンを着ていた。

 そのうちの二人──猪皮を羽織った男と、ガン・ベルトを斜め掛けにした関羽髭の男──が、濱田の目の前に立った。ふたりは、値踏みするような目で、紳士のつま先から顔までを見まわした。

「犬か?」関羽髭の男がつぶやいた。

「ああ」猪皮の男がうなずいた。口角を横に吊り、下歯を見せる。「犬くせえな」

 濱田は鼻を鳴らした。「貴様のほうが臭い」

 猪皮の男が目を剥いた。歯を食いしばり、うなるように、「てめえ」うしろを振りむき、大きな声をあげる。「同志! こいつはポリスの犬畜生だ」

 周囲がざわめく。いくつか撃鉄を起こす音がした。

 濱田は喉を鳴らすように笑った。「何か、証拠でもあったか」

 猪皮の男は濱田に向きなおり、「証拠?」下から顔を近づけ、黄ばみきった歯を鳴らす。「てめえの、その態度が、何よりの証拠だ」

「そうか、態度か」濱田は声を立てて笑った。首を振る。「ならば貴様のほうが犬らしい態度だ」右の人差指で、残りの洋服たちをさしてまわす。「さしずめ残りが大将か。なるほどなるほど、態度か」

 猪皮の男の頬がぴくりと動いた。口元は笑ったまま、丸く剥いた目に憤りを浮かべ、歯の隙間から声を洩らした。「てめえ」右手が、腰の短剣にのびる。

 濱田は右肘をすばやく伸ばした。コートの袖から、小さな拳銃デリンジャーがこぼれだす。銃身が二つある、手のひらにおさまるほどの、まさしく拳銃だった。右腕を猪皮の男の胸元にのばし、引鉄を圧した。

 小さいが鋭い発砲音。猪皮の男は驚いた表情を浮かべ、止まった。ゆっくりと胸元をみる。空いた穴から、血がぢくぢくと溢れだし、服に染みが広がっていた。右手から短剣がこぼれ落ちる。男は仰向けに倒れた。

 すかさず濱田の腕と脚が動く。左腕が関羽髭の男の首にからまり、左脚が脚部を固める。拳銃を右のこめかみに当てがい、撃鉄を起こした。

「動くな」濱田が叫んだ。「話を聞け。聞かざればこいつも殺る」

 関羽髭の男が口を開いた。力ない声で、「同志、き、聞いてやってくれ」

 が、周りの男たちはいっせいに銃を向けた。濱田は苛立った目をくばった。

「待て」洋服のひとりが手をあげた。キツネ顔の美男子で、黒いインパネス・コートを羽織っている。濱田に向かって歩きだす。「銃をおろせ」

 男たちが銃をおろした。

「よかろう。聞くだけ聞いてやる」キツネ男がいった。「そいつを離してくれ」

 濱田は腕と脚をといた。関羽髭の男はよろよろと歩きだした。腰のあたりで両手を広げ、ほっとした表情を浮かべる。

「す、すまねえ萩原」関羽髭の男がいった。

「ああ」キツネ男は微笑みを浮かべた。「まったくだ」

 キツネ男はコートの下から右手を伸ばした。拳銃──コルト・シングルアクション・アーミィ──を握っていた。関羽髭の腹に鉛玉をぶち込む。髭男は声を洩らして膝をつき、うつぶせに倒れた。すれ違いざま、拳銃はためらわず火を噴き、男のこめかみに穴をあけた。

「みすみす取っ捕まるようなマヌケはいらねえんだ」キツネ男が抑揚なくいった。歩き続ける。濱田の顔に微笑みを向け、「さて、ジェントルマン」両手を広げる。「話を聞こうか」

 濱田は死体をながめていた。冷たく、感情のない目だった。

 脳裏には、胸を撃たれて倒れる、関羽髭の老人の姿。

 実際の速度より遅く、ゆっくりと血を噴き、倒れてゆく。

 目をキツネ男にうつし、もとの挑むような微笑みを浮かべなおし、訊ねた。「私がポリスの犬だと、思わんのか」

「その可能性は捨てきれん」キツネ男がこたえた。濱田の五歩前あたりで立ち止まる。「が、連中はあれを──いや、拳銃すらまともに持っていない」地面に置いた拳銃を指さす。「それになかなか腕がたつらしい。いちおうは信用できる」拳銃を左手に持ちかえ、右手を差しだす。「萩原雪信(はぎわらゆきのぶ)だ。この翟沙洲革命党を率いている」

 濱田は手を握りかえした。「濱田実貞。ただの流れ者だ」

「それで、ミスタ・濱田」萩原は繰りかえした。手をはなす。「どういった用でここに?」

「人を探している」濱田はパイプをくわえた。

「誰をだ?」

 マッチで火をつける。紫煙をくゆらせ、親指でマッチの根っこを弾いて火を消す。「伊村寛治という男だ」

「伊村を?」

「知ってるのか」

「ああ」萩原はうなずいた。「自由党最高の爆弾魔さ」目に訝しげな色が浮かぶ。「だが、奴になんの用だ」

 濱田は口角を軽く吊り、息をついた。「まだ疑うのか」

「まったく信頼できる他人なんぞいない」萩原はいった。「それに、万が一、ミスタ・濱田がポリスの犬だったとしても、我々には差し引きしても四十八人の同志が──ああ、いや」うしろを振りむく。

 濱田も同じほうを見た。

 ひとりの男が、五人の男に囲まれていた。男は首に縄をかけ、馬にまたがっていた。縄は鳥居に結んであった。

「信じてくれ」馬上の男がいった。顔は紫に腫れあがっている。「俺は犬なんかじゃない、俺は違う」

「嘘を言うな」五人のうち、もっとも年長の男がかえした。左手に持った紙きれをかかげる。「こいつはなんだ? 『現在ハ翟沙洲県峠町ニ屯ス』? どこに送ろうとした」

「しっ、知らん!」

「まあいい」紙きれを離し、左手を前に振る。「やれ!」

 馬の尻が叩かれる。馬はいななき、走りだした。男の足は地面につかなかった。間をおいて、糞と小便が垂れだした。舌を出したまま、絶命した。

 萩原は濱田のほうに向きなおり、微笑みを浮かべた。

「失礼、四十七人の同志がいる」話を続ける。「いくら腕がたつとはいえ、この数に囲まれて、無事でいられますかな?」

 濱田は縛り首の男をながめていた。

 また脳裏に、光景が浮かぶ。

 燃える陽光の下、枯れた木に吊り下がる、人肉の果実。

「うん」と、うなずく。目は死体を見つづけている。「妙な気は起こさないよう心掛ける。ああはなりたくないからな」

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