小烏の思い出語り

小烏 つむぎ

第1話 ~黒猫のおじいちゃん~ 猫の日によせて

昔々その昔、とまでは昔ではないけれど、すこし昔のお話し。


 そのころ戸建ての借家に住んでいました。

子どもたちはまだ中学生でした。

比較的新しい住宅団地で同世代のご夫婦も多かったように思います。

どのお宅にも小さなお庭があってそれぞれ趣向をこらしていました。

お隣はイギリス庭園風なつくりで、庭の真ん中のシンボルツリーの枝に小さな台を作り鳥のためにナッツを置いておられました。

我が家は家主さんのこだわりか玄関先にドングリ、庭に木苺と香りのする花木、家のぐるりは雪柳で生け垣を作ってありました。

地域猫も何匹かいて庭で子育てしたり、時には部屋へ上がり込んだり、ペット厳禁の我が家に楽しみを与えてくれていました。


 初夏のある夜のこと。

外で猫の鳴き声がします。

子猫の親を呼ぶ声でもなく、親猫が子どもを探す声でもなく、もちろん猫の春の声でもありません。 

切羽つまって悲壮なその声の主を探しに外に出ました。家の裏を通る電車の線路脇の金網に、細長い黒いものがしがみついているのが見えました。

これが黒猫「おじいちゃん」との出会いでした。


 「おじいちゃん」と名付けたのは子どもたちです。

歯が抜けて口が臭く歯周病のようでした。

極端に痩せて背骨が浮き上がっていました。でも体格はよく毛並みも艶々、瞳はゴールドで長い尻尾は真っ直ぐ。去勢済で、撫でられることを嫌がる素振りもありません。そして、とてもイケメンでした。どこかの飼い猫だったような気がします。

そんな猫がなんで迷い猫になったのか不思議ですが、結局飼い主さんは見つかりませんでした。

 我が家は借家でペット厳禁だったので、留守中と夜は外で過ごしてもらうという決まりを作って、「おじいちゃん」は通い猫、たまたま家に上がったの、という体で一緒に過ごしました。

お決まりの段ボールで家を作り、蚊除けに蚊取り線香を焚き、古い柔らかなバスタオルを敷いて、子どもたちが段ボールの家に名前やイラストを書きました。

「おじいちゃん」はとても分をわきまえた猫でした。朝起きて「おじいちゃん」の家の側の窓を開けると、のんびりとあくびをしてゆっくりの伸びをしてからおもむろに部屋に上がってくるのです。

子どもたちは「おじいちゃん」にそれぞれの挨拶をして学校に向かいます。

娘は名残惜しげに撫でて撫でて、「待っててね!」と言って出かけます。

寡黙な息子は、「おじいちゃん」の頭をひと撫でして「行くわ」と言って出ていきます。反抗期に片足を突っ込んでいた息子は、親には口をききませんが「おじいちゃん」にはちゃんと挨拶していました。

「おじいちゃん」は網戸をよじ登ったり、カーテンをズタズタにしたり、トイレを間違えて粗相をしたり…そんなことは一度もなく、気の向いた時は膝や背中に乗ってきて人間を喜ばせました。

構われ過ぎてイライラしても爪を出すこともなく、人間が理解するまでひたすらその長く艶やかな尻尾を神経質に揺らして不愉快なんだと表現していました。

猫の尻尾がこれ程雄弁だとは知りませんでした。


「おじいちゃん」はおそらく、二度目の飼い猫ライフをのんびりと楽しんでいたと思います。


 そうして夏が終わり、秋を過ごし、冬の終わり。

だんだんと弱っていく「おじいちゃん」を家族は見守るしかありませんでした。

「おじいちゃん」は手から特別の刺身を食べ、それでも自力でヨロヨロしながらもトイレに行き、夜は誰かに添い寝されるようになりました。

家族はできるだけ「おじいちゃん」のそばで過ごしました。反抗期入り口の息子も部屋には帰らず「おじいちゃん」のいる居間で漫画を読んでいました。


 そうして、春休みのある日。

その日私は仕事があって、娘だけが家におりました。

「おじいちゃん」は娘の腕の中で虹の橋を渡りました。独りぼっちでなく、娘の腕の温もりを感じて旅立ってくれたのが救いです。

「おじいちゃん」

短い間だったけど、我が家に来てくれて本当にありがとう。 


はい

 これでお話は お し ま い。

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