第11話 疑惑(1)不穏な家

 最近の多くの人は、病院で亡くなる、或いは病院で死亡と診断される。

 だが、家でなくなり、家で死亡の診断を下される人も少なくはない。そういう場合は、警察官が呼ばれて他殺の有無を調べ、検視官が来て死亡を確認する。そして事件性なしと判断されたら、警察署に行って検視官が書いた死亡診断書を貰い、市役所へ行って死亡届を出す。

 そこからが葬祭係の仕事になる。

 火葬許可証を発行し、家へ行って遺体を清めてから白装束を着せ、寝台車で葬儀場へ運ぶ。

 ちょうど今向里と穂高は、亡くなった谷口清治さんの家へ着いた所だった。

「少なくとも、怯えるな、顔付きを変えるな、大きい声を出すな、笑うな。それであとは俺の指示に従えば何とかなる」

「はい」

 穂高はまだ緊張感に強張った顔をしていたが、どうにか頷いて、向里に続いて車を下りた。

 同じような外観の家が並ぶ住宅地の中の1軒で、とりたててどうという事はないように見えた。

 しかし、玄関に入り、もごもごと挨拶を口の中でしてから遺体のある奥のリビングへ向かうにつれて、それらが目につきだした。

 壁や柱、ガラス窓、家具などに、やたらと傷や破損がある。冷蔵庫はおおきくへこみ、食器棚のガラスは無くなっているし、中はやたらとスカスカだ。

 それでも大人しく向里についてリビングに行き、遺体を前にした。

 亡くなった清治は、身長は170センチほどで、まるまると太っていた。髪もひげも伸びてボサボサになっており、死んでいるせいだけとは思えない顔色の悪さだった。

 家族は疲れ果てた顔付きの両親と不機嫌そうな顔付きの妹で、穂高には、悲しんでいるようにも驚いているようにも見えない気がした。

「これから全身を清拭して、服を着せるのですが、白い経帷子でよろしいですか」

 向里が言うと、説明を遮るようにして父親が言った。

「お任せします。もう、普通で」

 穂高は奇妙な感じを受けたが、向里は無表情のまま、

「わかりました」

と応え、さっさとリビングを離れていく家族を見送った。

「向里さん、何か、変じゃないですか」

 こっそりと穂高が言うのに、向里はあっさりと小声で返した。

「黙れ。検視は済んでる。

 丁寧に全身をアルコールで拭け。でも、長く風呂に浸かってたせいで肌がふやけてる。強くこするなよ」

「は、はい」

 穂高はたちまち緊張感がよみがえって来て、違和感がどうのと考えている余裕はなくなった。

 生きていると、多少は協力しようとするものだ。しかし死んでいるとそうはいかない。腕を持ち上げる、体を傾ける、それだけでも思った以上に重く感じる。

 寝ている子は背負うと重い、というのと同じ原理だ。

 太っているので更に重い。

 穂高は遺体に直に触れるのは初めてだったので恐々だったのも最初だけで、すぐにそれどころじゃなくなった。

 それでどうにかこうにか向里の指示に従って遺体に帷子を着せ、両手を胸の上で組ませる。

 にじむ汗を穂高が拭っているうちに、向里が遺族にこの後の説明をし始める。

「明日の朝御遺体をお迎えに来て、斎場へ移送──」

「今すぐにでも斎場に運べませんか」

 が、その途中で父親がそう言った。

「その、住宅街だし、早く運んで欲しい」

 母親も妹も異存はないらしい。

 向里は頷きながら、

「わかりました。ちょっと確認します」

と言ってその場を離れると、斎場に連絡し、倉持に部屋の空き状況を確認し始めた。


 結局、部屋は空いていたのですぐに棺を運び込んで、向里と穂高で清治を棺に納め、それを寝台車に乗せ、斎場に搬入した。

 それ自体はある事なのだが、珍しいのは、誰も遺族が来ない事だった。

「なあんか変じゃない?」

 大場はおやつの饅頭を食べながら言った。

「そうなんですよね。それに家も、なんて言うかなあ。そう、ドラマで見た、家庭内暴力のある家みたいな感じだ、あれ!」

 穂高はよく似た光景を思い出した。

「ああ、なるほどね。家庭内暴力で暴れていたのはあの御遺体。で、家族は悩みのタネが死んでせいせいしてる。そんな感じかしら?」

 穂高は眉を寄せた。

「それでも、何か……」

 それに川口がきっぱりと言う。

「あら。家族を冷たいと責める気?それが本当なら、家族はどれだけ大変だったか。私はここへ配属になる前、そういう相談を受け付ける部署にいたから、嫌と言う程知ってるわよ。殺したいほど憎んだり、自殺したいほど困ってたりしてた人」

 穂高はそれに何も返せずに困っていると、向里が嘆息して言った。

「そもそも家庭内暴力があったかどうか、亡くなったあの人がしてたのかどうかわからないんだぞ」

 皆、

「あ、そうだった」

と舌を出し、お茶を啜ったのだった。


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