第35話 天井の蜘蛛

 女友達のエリがいなくなった。突然大学に来なくなったのだ。ラインやメールで連絡を取ろうとしても返事がない。

「なあ、どうする?」

 友人の誠司(せいじ)が聞いてきたが、俺にもどうしたらいいか分からなかった。

 エリはほとんど天涯孤独らしく、どこに連絡していいか分からない。警察に届けを出してはみたが、あれは「身元の分からない死体が出てきたら照らし合わせてみる」ぐらいのもので、積極的な捜索はしてもらえないらしい。

 何か情報は得られないかと、俺達はエリを知っている者なら普段交流がない人間にも手当り次第声をかけてみた。だが、「知らない。自分達も心配している」という返事しか返って来なかった。また、失踪しなければならない理由も、思い当る者はいなかった。


 結局、それからエリを見つけ出すことはできず、数か月が経った。悲しくはあったが、なんとなく彼女はこのまま帰らないだろうと覚悟を決め始めたとき、誠司が俺の家に連絡もなく飛び込んできた。

「エリが! エリが!」

 彼はひどく興奮していて、それだけ言うのがやっとのようだった。そして震える手で、一枚のDVDを手渡してきた。それはラベルもパッケージもなく、個人で造られた物のようだった。白い円盤に、ただマジックでERIとだけ書かれている。

 誠司によると、怪しげなサイトで売っていた無修正のエロビデオを買おうとしたら、間違えて頼んだ覚えのないDVDが送られて来たという。

「それが、スナッフビデオだったんだよ」

 俺も実際見たことはないが、ネットの情報でスナッフビデオがどういった物かは知っていた。人が残酷に殺されるシーンを収めた映像で、そういった趣味の人にはたまらないらしい。

 嫌な予感を殺しながら、俺はDVDをプレイヤーの中に入れる。手の汗でケースが開けづらかった。

 画面に映し出されたのは、どこかの狭い地下室のようだった。壁も床も天井も、すべてコンクリートの打ちっぱなしになっている。画面奥に鉄の扉が一つあるだけで、窓も、荷物も何もない。天井の隅に、クモが巣を張っていた。

 その部屋の真ん中に、全裸のエリが立っていた。薬でも使われたのか、目がどこかうつろで、立っているのもつらそうな感じだ。

 ゴオッと細い管をガスが通るような音。なにか仕掛けがあるのだろう、床にライターのような小さな火が灯った。その火はみるみる大きくなり、床全体をおおい尽くす。そしてエリの膝ほどの大きさになる。

 隣で誠司が顔をそむけた気配がした。

 エリが腕で煙と炎を振り払うような動作をしながら、甲高い悲鳴を上げる。その声はどこか嬌声に似ていた。

 嫌悪と、恐怖と、そして正直にいえばかすかな興奮で、心臓が痛いくらいに高鳴った。

 エリのしなやかな手が自分のノドを押さえる。炎は容赦なく勢いを増し、エリの胸と頭を覆い尽くしていく。もう彼女の姿は影絵のようにしか見えなかった。その影が煙をまとい、苦しみのあまりこの世のものとは思えない舞踏を踊っている。

 そのうちに、だんだんとその影がロウソクのように溶け、縮んでいった。それにつれ炎も小さくなり、やがて消えていく。残されたのは、ちょうど人がうずくまったぐらいの黒い塊だけだった。

「なんで、なんでこんなこと……」

 自分が放った言葉が、ひどく震えていた。

「きっと、エリのやつ、借金でもしてたんじゃないか。でなければさらわれたか……それでスナッフビデオに……」

 画面には、相変わらず黒い残骸が映り続けている。動く物といえば、天井の隅のクモぐらいだ。いつのまに獲物を捕らえたのか、巣には蛾が一匹ばたついていた。

 そしてそれも真っ暗になり、DVDは止まった。

 おかしい。そんな言葉が頭に浮かんだのは、エリの死を認めたくなかったからかも知れない。

 いくら焼かれたといっても、火が赤く見える程度の温度で、人体が骨まで燃え尽きるものだろか。それに燃え残った塊。確かに真っ黒だが、よく見ると生々と赤く濡れている部分がないだろうか? それに火が消えたばかりなのになぜそこから煙が上がっていない?

 俺は、もう一度映像を最初から見ることにした。画面にまた地下室とクモの巣が写し出される。テレビのスピーカーから、エリの悲鳴が聞こえてくる。

 はやく違和感の正体を知りたくて、俺はそこで早送りのボタンを押した。

 画面の隅でクモがかさかさと動きまわり……『口から蛾を少しづつ吐き出し』て、『組み立て』ている。

 クモは、とうとう完璧な蛾を作り出した。ばたばたと羽を暴れさせる蛾を。

 この映像は逆回しだ。本来の時間をさかのぼった状態でDVDに収められて――

 チャイムの音がなった。

『ねえ、いる? ごめんね、いきなり来て!』

 それは、聞きなれたエリの声だった。

 誠司が立ち上がって玄関に向かう。

 だが、俺は画面から目を逸らす事が出来なかった。

 玄関から、二人の会話が聞こえてくる。

『今までどこに行ってたんだよ! 連絡もなしに』

『ごめんごめん、ちょっと自分探しの旅って奴? なに、ひょっとして心配してくれてた?』

 ――だとすると、エリが焼かれて肉塊になったのではない。肉塊が焼かれてエリになったのだ。

 錬金術師が試験官を温めホムンクルスを作り出したように。

「あがるよ。おじゃましま?す!」

 俺があわててテレビの電源を消したのと、エリが部屋をのぞきこんだのはほとんど同じだった。この映像を本人に見せてはならない気がした。ましてやどういうことか問い詰めるなど考えもしなかった。

 エリは、俺が何を見ていたか気付いただろうか? それはわからない。少なくとも、俺が見たかぎり表情に変化はなかった。

 エリは「ただいま」と少し照れたように笑った。行方不明になる前と同じ笑顔で。

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