第十章  後楽園

ジェットコースターが近づいてきて、音が大きくなって追ってくる。

やがて離れていくと、徐々に歓声も小さくなっていく。


高校の物理の時間に習った事を、山中は思い出していた。 

隣を見ると、ひとみが遊園地のパンフレットを真剣に見つめている。


「ネッネ、やっぱり最初はジェットコースターにして。

それから・・・コーヒーカップもいいな。

わー、遊園地なんて久しぶり。

うれしいなー・・・」


無邪気に目を輝かせる天使を見つめ、山中は幸せをかみしめていた。

ゴールデンウイークも半ばの日曜日。


今日は同期の木下の頼みで、東京ドームで行なわれている品評会の手伝いに来ていた。

優子も来る予定だったのだが急用が出来たとかで、結局かけつけたのは山中とひとみの二人だけであった。


他の者も何かと予定があるらしく、特に用のない二人が来たのだ。

手伝いは一応午前中の一番忙しい時だけで、あとはコンパニオンや業者が入るので二人はお昼の弁当をごちそうになった後、お役御免になったのである。


ただ、せっかくここまで来たのだから、隣の後楽園の遊園地へ行きたいとひとみが言った。

山中にすれば、願ってもない事であった。


入社して3年になる二人は、山中がそれとなくデートに誘っても決まって多人数で行く仲良しデートしか、した事がなかった。

いつも、ひとみにはぐらかされてしまうのだった。


だからどういう理由であれ、二人きりで休日の遊園地で遊ぶという事は山中にとって心ときめく出来事なのであった。


「よし、じゃあ、

とにかくジェットコースターの所へ行ってみよう」


そう言うと山中は、思い切ってひとみの手を握って歩き出した。

ひとみは一瞬身体を固くしたが、ほんのり頬を染めると一緒に歩いていった。


ゴールデンウイークの日曜日ということですごい人の列である。

ひとみは、うんざりして言った。


「わー、すごい人・・・。

ねえ、やっぱりやめようか・・・」


山中は微笑みながら言った。


「せっかくだから、並ぼうよ。

僕は・・・このままでも楽しいよ」


握りしめた小さな手の感触が心地よかった。

ひとみは山中に見つめられて、又顔を赤くした。


照れ隠しのように顔を横に向けると、むこうから見慣れた顔が見えた。

タバコを横ぐわえにスパスパ吸って、苦虫をつぶしたような顔をしている。


手には競馬新聞を持って、赤鉛筆で印をつけている。

片方の耳にはイヤホーンをつけ、胸ポケットに小さなラジオでも入っているのか、しきりに首を振ったり手を上げたりしている。

 

「あっ、あれ・・・青井課長じゃない?」 

ひとみに言われて振り返ると、山中も青井を見つけた。


「いや・・・だ。

何で遊園地にいるのよ。

それも競馬新聞持って・・・。

おーい・・・青井さん・・・課長ぉー・・・」


よく通る高い声がして、青井が顔を上げると爆弾娘が手を振っている。

まずい所で会ったと新聞で顔を隠したが、時すでに遅く二人が近づいてくる。


「何やってんですか、こんな所で?」 

ひとみが、のぞき込むように言う。


「あー、何だ・・・・。

別にええやんけ、どーでも。

それより、お前らデートかー?」


青井は二人の握り合った手を見て言った。

ひとみはそれに気づくと顔を赤らめ、あわてて手を離した。


「違いますよ。

ほら、今日東京ドームで品評会があるでしょ?

三課の応援です・・・」 


山中も少し照れながら言った。


「あー、そういやー、そんなんあったな。

そんでも何や、ええ雰囲気やんか?」


青井がニヤニヤしていると、後ろから可愛い声がした。


「あっおとーちゃん・・・やっと見つけたぁ。

ママー、ここやー・・・。

おとーちゃん、見つけたでー」


はじけるような笑顔で、5才ぐらいの男の子が走ってきた。

タイガースの帽子をかぶっ、て白いポロシャツに青いショートパンツをはいている。


その後ろから、日傘をさした女性が歩いてきた。

山中は、その美しさにしばし呆然とした。


すらりとした長身(女性としては)を、白いブラウスと薄いブルーのタイトスカートで被っているが、豊かなバストが腰のくびれを強調している。

頬はバラ色に紅潮し、大きな目はキラキラと潤みながちに輝いている。


噂では聞いていたが、改めて実物を見たひとみは、その美しさに圧倒されていた。


何というか、大人の女の妖しさが漂っている。

自分にはないものが・・・とひとみは思った。


「もうー、どこに行ってたん?

ちょっとは、ジッとしときぃ・・・」


方々捜したのか、汗をかいてハンカチでぬぐっている。


「悪い、悪い・・・。

ちょっとレースが白熱してな。


そうや、紹介するわ・・・。

同じ課の山中君と早川さんや・・・。

これが俺の・・・」


青井が言いかけると、小さなタイガース帽子が大きな声で言った。


「あっ・・・この人、いっつも、

おとーちゃんが言ってはる女の人やろ?

ごっつー、美人やんー・・・?」


そう言うと自分の言葉に照れたのか、母親のうしろに隠れてしまった。


(か、かわいいじゃない・・・)


ひとみは顔を赤くして、子供を見た。

大きめのタイガースの帽子を少しずらして、こちらを見ている。


(関西弁もこんな可愛い子や美人が言うと、

かえって気持ちがいいものね・・・。

不思議だわぁ・・・) 


「お前・・・うまいなあー、

将来楽しみやでぇ・・・。

ああ、こいつが勇太で、こっちが美都子や」


青井が紹介すると、美都子は日傘を閉じて深々とおじぎをして言った。


「いつも青井がお世話になっております」

山中とひとみも、あわてて頭を下げて挨拶をした。

 

「こ、こちらこそ・・・

いつも課長には勉強させてもらっています」


「勇太君っていうの・・・。

可愛いわね、いくつ?」


「5才やー」


「そう、いいわね。

今日はみんなで遊園地来てるんだ。

そうそう、さっきの話だけど、

お家で私の事、なんて言ってるの・・・?」


青井はまずいと思ったのか、慌てて大声で言った。


「あー、もう7レースが終わるとこや・・・

すまん、美都子。

ちょっと馬券こうてくるだけやから・・・。

あとで携帯に電話するから。

ほな・・・な。

山中、うまいことやれよー・・・」 


逃げるようにして、青井は走っていった。

遊園地の隣に場外馬券売り場があるのだ。


はぐらかされたひとみは、腰に手をあてて見ている。

山中は笑っている。


「ねー、ママー。

僕・・・ジェットコースター、乗りたーい」


勇太が、母親のスカートをひっぱって言った。


「うーん、ママ、ちょっと疲れたわ。

ねっ、少しだけ休ませて・・・」


ひとみはそれを見ると、膝を折ってかがんで言った。


「ねっ、じゃあ、お姉ちゃん達と遊ぼうか?

ジェットコースターはちょっと混んでるから、

あの辺のすいてるのを、何か乗りましょうよ。

いいでしょ、山中さん・・・?」


山中は少し残念に思ったが、元々子供は好きなので苦笑いしながら頷いた。


「そんな・・・ご迷惑ですわ」

美都子がすまなそうに言った。


「いいんですよ。

それより携帯の番号、確認し合いましょう。

はぐれるといけないですから・・・」


二人は互いに番号を入力しあうと、そのまま別れていった。

勇太を真ん中に、山中とひとみは手をつないで歩いている。


何年か後に、この光景が現実になってはいないかと、少し胸が騒ぐ山中であった。

まんざら、この小さな侵入者もそう邪魔ではないと思った。


おかげで、ひとみとの会話を自然に出来るからうれしかった。

子供はよく躾られているのか、そうわがままも言わず、それでいて子供らしく何にでも感動して楽しんでいる。


コーヒーカップに乗りながら、ひとみは勇太の耳元でささやいた。


「ねえ、さっきの話だけど。

お父さん、私の事、何て、言ってるの・・・?」


ひとみは好奇心いっぱいで待っていると、くすぐったい息が耳にあたった。


「あのね・・・きっつい、女・・・やて」


(な、なにぃ・・・?)

途端に、ひとみの表情は険しくなった。


(あの・・・タコ焼きぃー・・・)


「そやけど、仕事はようできるし、

気ぃもついて、ええ人やって言うとったよ。


気ぃもつくって・・・

どこに、付いてるの・・・お姉ちゃん?」 


ひとみは急に顔を赤らめて、タイガースの坊やを見た。

無邪気な笑顔が、天使のようである。


青井にそっくりな顔をしていると思った。

もう、可愛いんだからぁーと、思わず勇太を抱きしめた。


「そうだ、これ降りたらアイスクリーム食べよー。

お姉ちゃん、おごってあげる」


「うん、ありがとう。

僕、丸いのん、積んであるのが、ええ・・・」


山中は二人の会話を楽しそうに眺めている。

今日、手伝いに来てよかったと思った。


今年のゴールデンウイークは、楽しい思い出になりそうだ。

青井とやっているメスレの企画も役員会を通ったし、ゴールデンウイークが終わったらさっそく綿密な資料を作ろうと気合いを入れた。


そして、もう一つ大切な事を・・・。


今日は休日。

誰の顔も楽しそうである。


初夏のさわやかな風が、ひとみの髪を吹き上げた。

山中は、それを美しいと思った。


ゴールデンウイーク、日曜の午後の事であった。


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