第二章 通勤電車

日本の都市特有の、統一感のない風景が電車の窓を通り過ぎていく。

白い箱のマンション、瓦屋根、原色の看板、朽ちかけたビル・・etc。

 

吊革に身体を揺らしながら、ひとみはボンヤリ眺めていた。


(それにしても今朝の夢・・・。

あーあ、せっかくいい感じだったのにぃ。

な、何なのよー、あのタコ焼きはー?

これも絶対、アイツのせいだわ・・・)


頬を膨らませ、唇をキュッとしめている。


(でも懐かしい夢だった・・・・。

小さい頃はよく見ていたものね。

毎日、放送が楽しみだったわ。


結局、結末は知らないんだけど・・・・。

きっとそうよ、ボンボンが王子様で

プリンプリンを迎えに来るのよぉ・・・。

でも、タコ焼きはないわよねー?)


ひとみは小さい頃よく父の膝の上で、この人形劇の再放送を見ていた。


「ひょっこりひょうたん島」等のシリーズの人形劇で、コメディタッチで井上ひさし先生が原作を書いていた。


知らないと言うなかれ、あったのですよ。

随分、昔ですけど。


ひとみという名前も偶然、主人公の王女様の声を担当している当時のアイドル歌手と同じ名前だった為、よけいに自分をプリンプリン王女に重ねて、イメージしていた。

そして自分もきっと将来、白馬に乗った王子様と結婚するんだと、顔を見上げて父に言っていた。


父は優しい微笑みで娘を見つめながら、愛おしそうに髪を撫で付けていたものだった。

そんなくすぐったい思い出に、白い歯がこぼれそうになるのだが、ついタコ焼きのイメージがちらついて又、不機嫌な顔に戻った。


その原因というのが・・・。


その時、ひとみのお尻に何かおぞましい感触が伝わってきた。

満員電車なのである程度の事はあきらめていたが、これは明らかにチカンの動きである。


手の平がなぞるように、おぞましく動いている。

電車が新宿駅に着いた時、ひとみはその手首を思いきりつかんで上に挙げた。


そして大声で叫んだ。


「チカンですー!」


人波に流されながら二人がホームに吐き出されると、年配の男が顔を真っ赤にしていた。 

ひとみが睨むと、その手を振りほどくようにして人混みに逃げていった。


柱の脇に腕を組んで立ったまましばらく睨んでいると、肩をポンと叩かれ振り向いた。

堀江優子が立っていた。


長めの艶のある髪を肩越しに下げ、切れ長の目を細めて笑っている。

身体の前で、小さなバッグを両手で持っている。


「相変わらずねぇ。

よくあんな事できるわ・・・。

私なら恐くて絶対ダメ」


ひとみはまだ興奮が冷めやらぬまま、大股に歩きながら言った。


「何、言ってるの・・・。

あんな奴らをのさばらせておくから、

懲りずに何度でも触ってくるのよ。


私は絶対イヤ。

許さないんだから・・・」


二人は同期で入社したせいもあって、仲が良かった。

それにひとみのオテンバな性格と反対に、やや内向的で、おしとよかな優子は好対照で社内でも男子社員の人気を二分していた。


優子はまだ目を釣り上げているひとみの横顔をながめながら、おかしそうに言った。


「ホラホラ、もう会社に着くわよ・・・。

そんなに不機嫌な顔をしていると、

又ケンカになっちゃうわよ、青井課長と・・・」


一瞬立ち止まりそうになったが、人波が多いせいもあって急ぎ足になりながら、優子の顔を見つめて言った。


「あ、あいつの話はしないでくれるー?

思い出しただけでムカムカするわ。

今朝だって・・・」


言いかけて、ひとみは顔を赤らめた。

まさか夢にまで見たとは、とても言えないのであった。


優子は取り直すように優しく言った。


「もう・・・ひとみったら。

そんなに悪い人じゃないと思うけどなー、

青井課長・・・。

どこが、そんなにイヤなのよ?」


エントランスホールの柱の蔭に来ると、ひとみは立ち止まりキッパリと言った。


「ゼーンブ、何もかも・・・。

タバコはプカプカ吸うわ、

大きな声で電話して・・・。


それがモロ、関西弁・・・。

あつくるしい顔で、

まくしたててデリカシーの欠片もないわ。


私の事だって『オイッ』ですもんね。

アンタの女房じゃないわよっ・・て。

しかも、今時、ワープロも打てないで、

急ぎの原稿しょっちゅうよこすから、

おかげでこの頃、残業ばっかりよ・・・。


この間の土、日なんか、

やっとお母さんの休みがとれて、

楽しみにしていたショッピングも

中止になったのよぉ・・・。


あー、なんでアイツが私の課に

転勤して来なきゃならないのぉ・・・?」


優子は何も言えず、クスクス笑っている。


「あーあ、優子はいいわよね。

だって上司が、田坂課長なんですもの・・・」


そう言うと、うっとりとした表情でエレベーターホールに歩いていった。


二人は、ある中堅商事会社の営業部に勤めている。

そこは4つの課に分かれているのだが、一課の課長が優子の上司の田坂正広(三十七   歳)である。


T大出身で、社内のエリート代表でもある。


甘いマスクにスマートな仕事ぶり、セクハラなど無縁でフェミニスト風な態度は、ひとみでなくても女性社員には人気がある。

特にパソコン関係も早くから取り組み、ワープロも全て自分でうっている姿にひとみは密かに恋心を抱いていた。


(だけど・・・)


ひとみは思った。

田坂には美しい妻がいるのだ。


時々電話を取り次ぐと、奇麗な声で丁寧に礼を言う。

それだけが欠点といえば欠点で、他は全て、ひとみの理想にかなった白馬の(中年?)王子様なのであった。

 

ひとみは、いつかこのTVスターに似た男から誘われるのを夢に見ていた。


「オディオウさん、

お食事でもご一緒、てぃませんか?」


こう鼻にかかった独特のアクセントで言われたら、迷わず付いていくだろうと思っている。

 

そして・・・二課。

ひとみが所属する部署である。


その課長が、この4月で大阪支社から東京本社へ転勤してきた。

青井義和(三十七歳)、京都のK大出身でこっちもエリート?なのである。


未だに、ひとみは優子に聞かされた言葉が信じられなかった。


「田坂課長と青井課長って営業部じゃあ、

群を抜いて成績がいいんですって。


今度、青井課長が転勤してきたのも、

二人を同じ営業部で競わせて、

次期営業部長にどちらかを抜擢する為なんですって」


ひとみは青井と初めて会った日の事を思い出していた。

4月の初め、ひとみが会社に出社して来てロビーに歩いて行くと、男に呼び止められた。

 

ネクタイがよれている。

不精髭が伸びていて、髪も少し寝癖がついている。


どこか、元ボクサーの俳優に似ている。


何か胡散くさそうな中年であった。

しかも脇には競馬新聞を挟んでいる。


「あのう、スンマセン、

栄京商事の営業部は何階か、わかります?」


ひとみは一瞬、眉をひそめたが自分もそこに行くので案内しますと言った。

男は人なつっこそうな笑顔を見せると、ホッとして言った。


「ああ、良かった。営業部の人ですか?」

「ええ、そうですけど・・・。」


「ボクー、今日から転勤してきたんやけど・・・

東京本社も久しぶりやったから、忘れてしもてん。

助かったわぁ・・・」


馴れ馴れしい男であると、ひとみは思った。 

ひとみは関西弁が苦手であった。


別に大阪に恨みがあるというわけではないのだが、一応、夢見る乙女であると思っているひとみは、ロマンのかけらもない感じがするアクセントに、生理的な悪寒を覚えてしまう。


「そうですか・・・

私、早川ひとみと申します。

営業部の事務を担当しています」


それでも礼儀として挨拶をした。


「はー、そうですか。

ボクー、青井義和いいますぅ・・・。


大阪支社から営業部に転勤になったんですわ・・・。

まだ配属とかわからんけど、

よろしくお願いしますぅ・・・」


男も丁寧に挨拶を返したが、しかし・・・と思った。

配属初日にこんなだらしない格好をして、おまけに競馬新聞まで持ってくるなんて、典型的な落ちこぼれ社員だと思う。


田坂とは正反対のイメージである。

そして、その日新しく配属された課長として紹介されたのが、何と青井であった。


一応、不精髭を剃ってはいたが、髪の寝癖はそのままだった。 

ひとみは最悪の気分で、この新課長をながめるのであった。


その後、顔見知りという事で何かとズーズーしく話かけてくる。

前の課長は、おとなしい初老の人だったのでよけい油っこく感じる。


おまけにプカプカとタバコをふかすわ、ワープロの書類作成は急に言ってくるわで、日が経つにつれて徐々に怒りがつのっていった。

そのうち、ひとみの性格も手伝って、二人は大っぴらに口喧嘩をするようになっていた。


とりあえず上司として敬語を使ってはいるのだが、ひとみの言葉は辛辣だった。

青井も負けておらず、大きな声の関西弁でやり返すのだった。


そうなると、どちらも一歩も退かず表面上は穏やかなのだが(本人達が思っているだけ)心の水面下で激しいバトルを展開していた。

そんな青井が田坂とライバルになる程のエリートとは、ひとみにはどうしても信じられなかった。


自分の席について一通り雑用を済ませた後、お茶を課長席まで運んで机に置くと、ひとみは低い声で言った。


「おはようございます」

「おう・・・サンキュウ」


これも不機嫌そうな顔でチラッと上目遣いに見ると、独り言のように言った。

ゴルフ焼けなのか浅黒い顔を脂汗でテカラせて、禁煙パイポを噛むようにくわえて書類を書いている。


つい先日、あまりのチェーンスモーカーぶりにひとみが業をにやし、女子社員を先導して社内全面禁煙に成功したのだった。

元々、実験的に何度か禁煙はされている。


大阪から転勤してきた青井以外は、殆ど社内では喫煙している人はいなかったのだ。

勝ち誇ったように微笑むひとみから、禁煙パイポをプレゼントされた青井は苦虫をつぶしたような顔になっていた。


この顔は可愛いのだが、何かにつけて刃向かってくる女子社員を前にして、ズーズーしさで名を馳せていた彼も、いささか閉口しているのだった。

まるで古女房のように、やかましく口をはさんでくる。


やれ、タバコは吸うな。

静かな声で電話しろ、だ。


ワープロを頼む時は早めに渡してくれだの・・・。

この間、休日出勤させて悪いと思って夕食に誘ったが、おそろしい目で睨み断ると、サッサと帰っていった。


こいつは苦手だ、と思っている。


できれば関わらずにいたいのだが、なんせ転勤したばかりであまり勝手もわからず、どうしても書類作りのためのワープロ等で、この生意気な自分の娘のような年頃の女に頼らざるを得ないのである。


社内では、ほぼ毎日のようにしておこる二人のケンカ越しの遣り取りが、今では一日のイベントとして期待されているのであった。

特に、あの禁煙パイポ事件は営業二課の伝説として語り継がれるだろうと、社員食堂ではおもしろおかしく伝えられていた。


ひとみは席に戻ると、パソコンのスイッチを押しながらチラッと青井の方を見た。

人が何と言おうと、自分がイヤなものには断固とした態度を示すのだと思った。


いくら自分が中年を好きだといっても、この男は別であった。

自分の好みは、父と似た田坂の様なスマートな男なのだ。


青井は、とにかく・・・暑苦しいのだ。

よく、ひとみは優子に言う。


「とにかく、あの関西弁がイヤ・・・。

ロマンのかけらもないもの。


あの人なんか、ほら何とかって・・・

大阪の劇場の横で、

屋台の店をやってそうなんだもん。

タコ焼きいかっすかーって・・・」 


「おっかしーい、

そう言えば、そうねー・・・」


あの優子でさえクスクス笑うほど、およそロマンとは縁遠い男であった。


「でも青井課長ってすごいのよ・・・。

英語はおろかフランス語、

中国語その他5か国語ぐらいペラペラなんですって」


優子がかばうと、おもしろくない顔をしながらも、ひとみは渋々認めた。


「そうなのよねー・・・・。

この間、電話をとったらイタリア語が飛び込んできて、

オタオタしてたら・・・。


私だって・・・英検一級なのよぉ・・・。

そしたらズカズカ歩いてきて、かせって、

油っこい手で私から受話器奪って話してんのよ。


でも、おかしいの・・・確かにイタリア語なんだけど、

アクセントは大阪弁なの・・・。


あの人の言葉って、みんな同じに聞こえるちゃう・・・

よく相手に通じるわね。


いつか英語話している時、そっちの方が、

日本語より分かり易かったわ・・・。


関西弁で大声でまくしたてられると、

何言っているのかさっぱり分からないんですもの」


そんな話をしては、二人はクスクス笑い合うのであった。

向こうのデスクでは、田坂が流暢な英語で電話をしている。


静かで優しい声だ。

営業部は社内で一番、活気のある部署だ。


どんどん、海外からも電話が入る。

やがて、ひとみもその喧騒の中に埋もれていくのだった。


高層ビルから見える東京は、遠くの方までびっしりビルや家でうまっている。

その又遠くに、霞むように富士山が姿を見せている。


東京の春の姿、である。

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