第3話 別れ 3

「ねえ、マル~、歌を歌いに来たのぉぉ?」

 マルはようやく、彼女がニジャイの妹のヌンである事に気が付いた。ヌンは煙の立ちこめる向こうから、マルに「中に入れ」というようにヒラヒラ手を振っている。彼の横で寝そべってキセルを吸っている少年が、ヌンの腕を床に叩きつけて

「よせ!」

 と言った。

「うるさいわね。そんな事言うんならもうあんたのこと抱いてやんない。あたしはマルの歌が聞きたいの!」

 この時、外からニジャイの怒鳴り声が聞こえてきた。

「おい! ブダイ! お前、あれを火にくべちまったのかよ!」

 激しい怒号と、それに続く少年の悲鳴。何人かの少年はもそもそと起き上がり、けんかを止めるために外に出て行った。それでも残り半分の少年は眠そうに床にねそべったままだった。部屋に少し隙間が出来たので、マルは中に入ってヌンの横に座った。

「ねえ、ここで何してるの?」

「別に。ダラダラしてるだけ。兄ちゃんが持って来たもの食べて、連れてきた子を抱くの」

「そんな事して、平気なの?」

「さあね。何が何だか分かんない。いやな奴もいるけど、そういうときは魔法の粉を吸って忘れちゃう」

「ヌン、何だかひどく顔色が悪いよ。父さんの所に戻ったら?」

「父さんはあたしの事なんかどーでもいいのよ。ねええ、マル、あたしの事を心配してくれてんのぉぉ?」

 ヌンはトロンとした目をマルに向けた。

「優しいのねぇ。ねーえ、次来る時は、体、洗って来てくれない? そしたらあたしあんたを抱いてあげてもいいわよ。魔法の粉を吸って、目をつむってるの。そしたらあんたのイボは見えない。そして、ギューッとあんたを抱くの。するとあんたがあたしの耳元で歌を歌う。そしたらね、フフフフ、あんたがきっと王子様に思えてくるわ」

 ヌンはそう言った後、急にけたたましく笑い出した。マルは、こんな事を言うヌンは普通じゃない、と思った。

「ねえ、こんな所にいない方がいいと思うよ。嫌でもお父さんの所に戻った方が」

 マルはヌンの耳元にそっと囁き、カッシの方を振り返って言った。

「やっぱりおら、帰るよ。ニジャイに何を頼まれるのか知らないけど、おら、やりたくない」

「マルはそう言うと思った」

 カッシは言った。マルとカッシは梯子段を下りた。

「そこまで送ってくよ。森で迷っちゃいけねえからな」

 カッシは言った。マルはカッシと並んで歩きながら思った。ヌンの様子がどう見てもおかしい。それは「魔法の実」を砕いた粉を吸ったせいかもしれない。ただそれだけでもない気もする。けれどもマルは、カッシにどうしてもその事を言えなかった。カッシ達「山のもん」はみんな、魔法の実を売る事で生計を立てているのだ。

(どうしたらいいんだろう……)

 マルは森を出て、カッシと別れてからも考えていた。ヌンがあそこで少年達にされている事を思うと体が震えてくる。とてもあのまま放っておく事は出来ない。でもどうしたら? マルの力ではどうにもならない。誰かに相談したい。でも誰に? マルは相談出来そうな友人や同じ教室で学んだ生徒達の顔を次々と思い浮かべた。ヒサリ先生? ナティ? この二人ならきっと、この事を知ったら怒り出すだろう。そして今すぐヌンの所に連れて行け、と言い出しそうだ。でもそんな事になったら、二人に危険が及ぶのではないか。どうもあそこに集まっていた人達はみんな普通じゃない感じだ。じゃあ誰に言う? メメ? しかしメメは「あいつらの好きにさせとけば」って言いそうだ。テルミ? 彼ならヌンの事を心配してくれそうだけど、自分と同じで何も出来ないだろう……。

あれこれ考えた末に、マルはラドゥが良いのではないか、と思った。ラドゥは学校で一緒に学んだ仲間の中で最年長だ。頼りになるし落ち着いているし、何かを相談したらいつでも適切なアドバイスをくれる。そう思うとマルは少し落ち着いた。すると、さまざまな思いが次から次へと膨れ上がった。

(ニジャイがおらに頼もうとしたのはカサン語を読む仕事みたいだった。でも何を? 何のため? 何かいかがわしい内容の本なんだろうか?)

 考え出すと気になって仕方が無かった。もう少し我慢してあそこにとどまり、詳しく聞き出せば良かった、と思った

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