第4話 看板娘

 同居生活2日目。俺たちはショッピングモールへと買い物に来た。

 今朝方、彼女の鞄の中身を確認したところ、数枚の洋服と下着、化粧品などの日用品が入っていただけだった。これまで、たったこれだけの荷物で生活できていたことが不思議で仕方がない。

 色々と店を回り、折り畳みベッドと小さな机、あとは収納棚を買った。あの狭い部屋では、このくらいの量でも手狭な感じになってしまうだろう。


「よしっ! 必要な物はこれで全部揃ったかな?」


 俺は特大カートに載せられた荷物を見ながら蛍に確認した。


「樹さん、待ってください! 買い忘れがあります!」


 蛍は楽しそうに目指すべき店に向かって歩いて行く。その後ろを付いていくと、キラキラとライトアップされたお店の前に着いた。その店先にディスプレイされた商品の数々から俺は思わず目を逸らした。そう、辿り着いたお店は“ランジェリーショップ”だった。


「樹さ~ん! 樹さんはどんなのがお好みですか?」


 おいっ、勘弁してくれ……。

 俺の様子を気にすることなく、彼女は目を輝かせて商品を物色している。


「樹さんってば! 早く!」

「自分がいいやつにしろよ。俺の好みなんてどうでもいいだろ……」

「どうでもよくありません! いつか樹さんと時のために選んでるので、樹さんが一番好きなのを買いたいんです」


 こんな俺たちのやり取りを見ていた店員は、まるでバカップルを見るような冷たい視線を俺の方に向けた。彼女が勝手にやってることなのに……。俺にとっては完全な巻き込み事故である。



 先ほどの店で購入した物を大事そうに胸に抱え、蛍はご満悦の様子だ。

 結局、俺の方が根負けし、店員の冷たい視線を背中に感じつつ適当に目についた物を選んだ。しかし、それが思いのほか俺の好みの物であったことは彼女に黙っておくことにした。

 

「買うものも買ったし、明日から早速シフトに入ってもらうからな」

「このカエルの卵みたいなの何なんですか!? ……ん? 美味しい!」


 蛍はタピオカミルクティーに初挑戦している最中だ。夢中な様子から俺の話は聞こえていないかと思ったが、ミルクティーを一口飲むとすぐにバイトの話に戻って来た。


「ところで、私は何をしたらいいんですか?」


 そういえば、『忙しい』とは言いつつも、バイトの募集をかけていた訳ではなかったので、蛍に与える仕事も特には考えていなかった。通常、キッチンは俺、カウンターは天堂と分担しているので、彼女にはホールでの注文取りをしてもらうことにした。 




 次の日、店には白シャツとカフェエプロン姿の蛍がいた。その姿を見ると、まるでかつての恋人あかりと一緒に店を営んでいるような気持になり、もう叶うことがない夢にふと涙が出そうになった。


 蛍が初めて店に下りてきた時、お客さんを見て人形のようになってしまったことから心配をしていたが、彼女の仕事ぶりは予想以上の出来だった。決して満面の笑みではないが、彼女の微笑は人を……特に男性を惹きつける力があったのだ。

 彼女がバイトを始めてからというもの、来店する男性客の大半は蛍目当ての様である。中には、仕事中だというのに彼女をナンパする者まで現れ、俺はその都度ハラハラさせられたが、当の蛍は意にも介さず、そんな男たちを適当にあしらっていた。


 天堂の奴も蛍にちょっかいを出すのではないかと心配したが、初めのうちは『かわいいね』などと言っていたが、意外にもすぐにただのバイト仲間として接するようになった。




 そんなある日の夕方、ディナー営業の準備のためキッチンで食材の下処理をしていると、背後で何かが落ちる音がした。音がした方を振り向くと、美香が青ざめた顔で立ち尽くしているではないか。床には彼女の鞄が落ちている。


「なんで……? あかりさん……、死んだはずじゃ……」


 美香は目を見開き、怯えた表情で蛍のことを見つめている。

 いとこである美香は“灯”のことを知っている。もちろん彼女が死んだことも……。だから、かつての恋人あかりに瓜二つな蛍を見て驚くのは当然のことだ。


「美香、清水蛍きよみず ほたるだ。この間からバイトに入ってもらってる。そんでもって、ここの二階に住まわしてる」


 俺がここまで一気に説明すると、青ざめたままの美香は後ろに倒れかけた。ちょうどそこに天堂が現れ、倒れる寸前のところで彼女を支えてくれたので事なきを得た。


「美香さん、大丈夫? はいっ、お水」

「あきらくん、ありがとう。……ねぇ樹、一体どういうこと?」


 俺は彼女にここ最近の出来事をかいつまんで話して聞かせた。すると彼女は急に立ち上がり、珍しく声を荒げた。


「ねぇあんた、樹をどうするつもり!? 寄りによってあの女に似てるなんて……。やっと樹が立ち直ってくれたと思ったのに……。その顔で樹のそばにいないでよ!」


 すると蛍は、俺の静止を振り切って店を飛び出した。そしてその晩、彼女は家に戻ってくることはなかった。

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