第1話 樹の店

「樹、コーヒーちょうだい」


 いとこの白土美香しらとみかが椅子にドカっと座った。俺はヤレヤレと首を横に振る。

 彼女は美容部員だけあり、容姿が美しいのだが、気を許している俺の前では素が出てしまうようだ。


「もうちょっと女らしくしろよ……」


 俺は小言を言いながら、コーヒーを彼女に渡した。


「“女らしく”とか時代遅れだよ?」


 彼女が不機嫌そうにそう答えたが、俺が淹れたコーヒーを一口飲むと、彼女の口元が自然と緩んだ。まったく素直じゃないんだから……美味いなら『美味い』と素直に言えばいいのに。



 俺は、高木樹たかぎいつき30歳。生まれ故郷の田舎から少し離れたこの街で、小さなカフェを営む冴えない男である。

 このカフェは、朝から昼過ぎまでのランチ営業と、夕方から夜のディナー営業をしている。カフェの看板メニューは、厳選した豆を使用したコーヒーと肉汁たっぷりのハンバーグだ。店は、大盛況とは言えないが、固定客も一定数いて細々と経営している状況だ。


 突然、店の入口にかけてあるドアベルが“チリンチリン”と美しい音で鳴り、それに似つかわしくない言葉使いの若者が店に入ってきた。


「おつかれっす!」

だろ?」


 先ほどの若者は、慣れた様子で店の奥へと入っていく。俺はため息を付きながら、開店準備を再開した。

 彼は、天堂てんどうあきら。この店唯一のバイトだ。彼は大学3年生で、主にディナー営業の時間に入ってくれている。男の俺がいうのもなんだが、なかなかのイケメンなので、彼目当ての女性客も多い。

 

「美香さん、今日仕事休み?」


 着替え終わった天堂が、ソムリエエプロン姿でカウンターに立った。美香は、苦々しい顔でその問いに答えた。


「そっ。デートの予定だったんだけど、ドタキャンされた。奥さんの体調が悪いんだって」

「ほらー。だから不倫なんてやめた方がいいって言ってるじゃないですか!」


 彼女は『分かってるつーの』と言いながら、コーヒーカップを傾けた。

 今はディナー営業の開店前で準備に大変忙しいのだが、ああ見えて実は傷ついている彼女を無慈悲に放り出すのは心苦しい。まぁ、身内だから特別ということで許してやることにした。


「あきらくん、モテるでしょ? 彼女いないの?」

「今はいません。でも、いい娘がいれば、すぐにでもほしいですよ!」


 そのままにしておくと、二人の世間話はいつまでも続く。


「今晩は予約で満席だから忙しくなるぞ。口だけじゃなくて、手も動かせよ」


 俺は、仕込みをしながら嫌味を言った。


「そんな忙しいなら、バイト増やしたら?」

「いい子がいれば、すぐにでもほしいですよ!」


 会話の邪魔をされた美香が冷たく言い放つので、俺は、わざと天堂の口真似をして抗議した。



 19時を回ると、小さな店内はすぐに満席になった。

 ドアベルが“チリンチリン”と鳴ったので、俺は他の客の対応をしながら『いらっしゃいませ』と言い、入口の方に視線を向けた。

 客は男女二人組だった。女は男の後ろに隠れていて、俺からはよく見えない。

 男は店内の様子を確認しながら、俺にダメもとで聞いてきた。


「二人なんですけど、席空いてますか?」

「すみません。今日は予約で満席なんですよ」

「そうですか……。」


 男は大変ばつが悪そうな顔で、女に何か話しかけていた。


「ごめんね、満席だってさ。もう一軒おすすめのお店があるから、そっちに行ってみよ?」

 

 彼女は下を向いたまま黙って頷いた。その姿を見た俺は、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、その客たちを入口まで見送った。

 俺が離れている間に注文が混みあってきたのか、手一杯になり始めた天堂がカウンターから俺を呼ぶ。


「樹さん!これお願いします!」


 その天道の声に反応した女が、突然俺の方を向いた。その姿に俺は一瞬たじろいだ。似ている。俺のかつての恋人に……。似ているどころではない。瓜二つだ。だが、彼女はもうこの世にはいない。


 かつての恋人、あかりとは、20才の時に付き合っていた。幸せはいつまでも続いていくと思っていた矢先、不慮の事故で彼女は亡くなってしまった。


「……いつき?」


 彼女は天堂の言葉を復唱すると、徐ろに俺の手を握り、その感触を確かめているようだった。俺は困惑したが、なぜかその手を振り払えない。俺の手を見つめる女の瞳は海の底の様に真っ黒で、男を自然と惹きつけるような妖しい光を放っていたのだ。

 しばらくして彼女は手を離し、『やっと見つけた』と意味深な言葉と笑みを残し、一緒にいた男に続いて店を後にした。

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