重衡の身より出たる蛍かな 🌠

上月くるを

第1話 保育園から一緒のあいつ




 部活が思いがけず遅くなり、近道をしようと田んぼ道を選んだのがいけなかった。

 蛙の声ばかりにぎやかな農道には、街灯というものがほとんど設置されていない。


 並行して走る高速道路のインターチェンジが農村には場ちがいな灯を撒いている。

 対照的な真暗闇を気にしながら、ミヤコは数百キロ遠くにある東京の街を思った。


 片恋のままで終わった先輩はいまごろ、垢ぬけた女たちと一緒にいるのだろうな。

 カラオケ好きなおばあちゃんの十八番『木綿のハンカチーフ』の歌詞がせつない。


 都会の絵の具に染まらないで……といっても、こっちにいたときからすでに都会感満載で、いってみれば、そのチャラさ加減に憧れていたんだものね~、あたし。💦



      🚴



 ペダルに乗せた足に力を入れかけたとき、うしろから来た自転車が横に止まった。

 「こんなに暗い道、危ねえだろうが、ひとりで」保育園から一緒のフウタだった。


 なんとなく自転車を押し、ふたり並んで歩き出す。

 とそのとき、ふうわりと青い灯りが舞い上がった。



 ――重衡しげひらの身より出たる蛍かな



 え、なにさ、それ? ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

 あ、ごめん、あたしのおばあちゃんの俳句。


 へえ、おばあちゃん、俳句やってるんだ~。

 うん、独学っていうか、趣味程度だけどね。


 いまの重衡ってさあ、平清盛の息子さんのことだよね? たしか五男だったっけ?

 源氏につかまって頼朝の政略に利用され、京へ返送されるときに処刑された……。


 で、京から鎌倉へ送られる前、ひそかに師と仰ぐ法然上人に、自分のような大悪人でも往生できるかを問い、だれでも念仏を称えるだけで大丈夫との確約を得た……。


 意外な台詞を聞いて、ミヤコはええっと声をあげそうになった。この人って意外に侮れなかったりしちゃうのかな。陸上部はノウキンばかりかと思っていたけど……。



      👤



 念仏を唱えながら倒れた重衡の身体から出たのは、血ではなく蛍だったんだよね。

 うん、ものかげにひそんでいた千手せんじゅという女の人もすぐあとを追ったんだよね。


 歴史研究部としては陸上部の素人なんぞに負けていられないので、少し力みつつもオブラートをかけたつもりだったが、「重衡の想い人……」打てば響かれてしまう。


 想い人なんて、やだ……薄赤くなったミヤコは、周囲が暗くて幸いだったと思う。

 そんな恥ずかしいことを、しれっと口にするなんて、こいつ、ますます侮れぬな。


 蛍といえば、ひときわ大型の源氏蛍は以仁王もちひとおうを擁して政変を企てた源頼政の無念に由来するけど、おまえのおばあちゃんが詠んだのは、平家ゆかりの蛍なんだね。


 え? う、うん、まあ、そうだね……。

 こいつ、どこまでの歴史通なんだろう。

 


      🖊️



 ところでさあ、さっきの俳句、おれ、好きだな、素朴で、作為が感じられなくて。

 あ、ありがと……。おばあちゃん、出たじゃなくて飛んだにするか迷ったみたい。


 あ、そりゃあ、だんぜん「出たる」でしょう、重衡の魂がふっと抜けたんだから。

 だ……だよねえ、あたしもそう思ってたんだ……。フウタくんも詠むの? 俳句。


 いやいやいやいや、それこそ独学もいいとこ、ほんの少しばかりたしなむ程度だよ。

 ただね、生意気なようだけど、テレビでやっている奇をてらった句はあんまり……。


 へえ、そっかあ……似ているよね、感じ方が。あたしというよりおばあちゃんと。

 ミヤコのおばあちゃんが元気なうちに話してみたかったな、いまは施設だよね?


 やだ、よく知ってるね、ひとのうちのことを。なんだか恥ずかしいんだけど……。

 だってさ、おれの母親、介護職員だからさあ。あ、守秘義務違反か? これって。


 そっかあ、フウタのおかあさんにお世話になっているんだ、うちのおばあちゃん。

 あの……相当に遅ればせだけど、いつもありがとう、やさしく介護してもらって。


 ちょっと認知が入ってるけど、それは仕方ないよね、かなりご高齢だから。でも、俳句のことは別らしく、冴えている日は何句も詠めるって、おふくろ言っていたよ。


 俳句はおばあちゃんの人生そのものだから。句集を作ったらって勧めたんだけど、どうしてもウンと言ってくれないから、こっそりネットにあげてんだ~、あたし。


 へえ、そっかあ。じゃあ、半永久的にのこるんだね、おばあちゃんの心の軌跡。

っていうか、おまえ、けっこういい孫娘やってんじゃんよお、見直したぜ、おれ。



      🌠



 ふっと気づけば、フウタの家との分かれ道に来ていた。

 江戸末期の道祖神の夫婦が仲よく肩を組み合っている。


 じゃ、またね~。

 うん、またな~。


 ついさっきの傷心モードはどこへやら、ミヤコはぐんと力強くペダルを漕ぎ出す。

 やけに華やいでいる自分に照れたが、暗闇は蛍の不定形飛翔の舞台だった。🥰


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