35:潜入! メフィメレス家の実験場(?)

 周囲には幾つかの血痕が残されていた。

 ノイン君によれば、五人ほど腕や足を傷付けてやっただけで、実力差を思い知った彼らは逃げ出してしまったらしい。


「奴ら、あの屋敷とは関係のないただの野盗だったのかな?」


 ノイン君がそう言うのは、彼らが逃げ去ったという方向が、いずれもあの屋敷とは反対方向だったからだ。


「分かりません。けど、墓から頻繁に遺体を掘り起こしているのだとすれば、あのくらいの人数は必要かもしれませんよ?」


 墓の周りの地面をよく見ると、あちこちに無造作に掘り返したような真新しい土の跡が目に付いた。

 それが正式な埋葬時の跡なのか、それともその後で行われた盗掘の跡なのかは判断が付かない。


「関係はあるけど、奴らは雇われの、ただの死体集め係ってこと?」

「全て推測ですが、その可能性はあります」


「掘り返してる現場でも見ないと、断定はできないか」

「でも、それを悠長に待っている時間はないと思います。彼らに雇い主がいるなら、わたしたちのことを報告されるかもしれません」


「ということは……」

「はい。行きましょう。急いであの屋敷に行って確かめないと。完全に警備を固められてからでは手を出せなくなる恐れがあります」


  *


 わたしたちは墓地から馬を駆って、堂々と屋敷へと近付いた。

 屋敷の人間から用向きを問われた場合には、墓参りの際に野党に襲われたので匿って欲しいと言う演技プランについても申し合わせしておいた。

 理由をこじつけ、無理矢理にでも中に入って捜索しよう。

 見込みが間違っていたら謝ればいい。

 屋敷にいるのが無関係な人間であれば、そもそも訪ねてみることに危険はないはずだし。

 強気に強気に。

 なにしろこちらはミハイル様のお命が懸っているかもしれない一大事なのだ。


 だけど、屋敷の前で馬を降りたときには、わたしたちのそんな気勢は完全に削がれていた。

 人がいる気配がまるでないのだった。

 廃屋とまでは言わないけれど、少なくとも屋敷の大きさに見合うだけの使用人が働いている様子がない。

 正面の扉は開け放たれたままだったし、庭の手入れも行き届いていない。

 微かに人が住んでいた形跡はあるけれど、その火は完全に消えてしまっていた。


「見込み違いだったか」


 そう呟くノイン君の声もガランとした中庭の壁に反響して寂しい印象を強めた。

 そうかもしれない。

 内心で同意しながら、それでも諦めきれずに周囲を観察すると、わたしたちが入って来た門とは反対側の出入口付近にポツンと置かれた荷車が目に付いた。

 真っ直ぐそちらに向かって歩いて行く。


「その荷車がどうかしたのか?」

「ええ。この葉は怪しいです」


 馬を引きながら付いてきたノイン君に向かって答える。


「ただの草じゃないか?」

「ただの草を用もなく荷車に積んだりはしません。それに、これはこの辺りには見られない草です」


 そう。近付いてみて分かった。

 これはあの毒草だわ。

 ルギスが娘のヴィタリスに渡した火傷痕の偽証に使った毒草。

 そしておそらく、あの書簡に書かれていた秘薬の材料の一つでもある。

 きっと、国境の近くからわざわざ運んで来たんだ。

 そんなものが置いてあるとしたら、やはりここは……。


「ノイン様。この屋敷を詳しく調べましょう。中に人が潜んでいる可能性もあります」


 小声でそう告げると、ノイン君もわたしの緊張を察したらしく、引き締まった顔になって頷いた。

 用心深く耳をそばだて人の気配を探る。


「ちょっと待っててくれ。向こうに馬を隠してくる」


 ノイン君が馬を引いて一旦屋敷を囲う外壁の外に出ていった。

 わたしはノイン君の背中を見送ってから、屋敷の軒下に自分の身を隠す。


 いつの間にか空は暗さを増し、今にも雨が降り出しそうな天候となっていた。

 嫌な感じ……。

 厚い雲のせいでよく見えないけど、そろそろ陽も傾いてくる時間だ。

 のんびりとは、していられないわ。


 不安と焦り。

 まるでわたしが感じ取った悪い予感に引き寄せられるように彼らはやって来た。

 先ほどわたしたちが入ってきた門扉の陰から、複数の男たちが姿を現したのだ。


 わたしはとっさに彼らから見えない位置に移動する。

 幸い男たちはこちらに気付いていない。

 そのまま息を潜めて観察していると、彼らはどうやら先ほど墓地で襲ってきた野盗の一味なのだと分かった。

 中の何人かは生々しい手傷を抱えている。

 彼らは入口付近で立ち止まり、盛んに足元の地面を気にしていた。


「間違いねえ。いるぜ、真新しい馬の足跡だ」

「中の方へ続いてるな」


「捕らえた方がいい」

「ああ、ここを探りに来た奴だとしたら、あのアダナスなまりの奴らに恩も売れるしな」


 まずいわ。見つかっちゃう。


 思わず助けを求めてノイン君が馬を連れ出した出口の方を振り返る。

 けど、丁度そのタイミングで響き渡ったノイン君の声は、わたしが振り返った方向とはまるで違う場所から聞こえてきたのだった。


「どこを見てる⁉ こっちだ! 相手をしてやるから掛かって来い!」


 視線を戻すと、野盗たちが後ろを振り返り、次々に剣を抜き払っていた。

 ノイン君の声は屋敷の外。正門の側から聞こえていた。


「囲め! 逃がすな!」


 野盗たちは回れ右をして屋敷の外へと駆けて行く。

 ノイン君が注意を引き付けて彼らを外へと誘導してくれたのだ。

 だけど、わたしにそれが分かるということは、野盗にだってそのことに気付く者がいたっておかしくないということだった。


「待て。女もいたはずだ。何人か付いて来い。この辺を探すぞ」


 嘘でしょ⁉

 こっちにも来るわ!


 わたしは慌てて振り返り、姿勢を低くしたまま建屋の裏手へと回り込んだ。

 すぐ近くに勝手口のような扉を見つけ、それを押し開く。


 良かった。開いてる。それに中には誰もいない。

 でもそれは、とりあえず入口付近には人がいないというだけだ。

 かつては、ちゃんとした調理場であったろうと思われるその場所は、そのまま屋敷の奥へと続いていた。

 ここがメフィメレス家の秘密の実験場だとすると、廃屋のように見えるこの場所も、奥に行けば人が潜んでいる可能性はある。


 静まり返った屋敷の中を一人で進んでいくのは恐ろしかったけど、後ろからはあの野盗たちが追ってくる。

 躊躇ちゅうちょはしていられない。

 わたしは覚悟を固める間もなく、足を忍ばせ屋敷の奥へと入っていった。

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