第三部 破滅的に生まれ変わる  7章 生贄

     ̄scene 1_



それは、彼の行いからすると自業自得なのだろうが…。 怨む死人の数が増えて強まった怨念の力は、広縞を緩やかに。 そして、確実に追い詰め出した。


この日の皮切りは、コドクの呪いをしていた被害者遺族の病死体が見つかった事であり。 連続して起こり始めた異変の続きは、地下鉄で広縞が、あの殺した女性の怨霊を見たことだ。 そして、解剖室では呪いをして亡くなった母親の遺体が、大量の虫に喰われた。


さて、木葉刑事を中心にして、事件に関わる者が衝撃的な出来事ばかりに右往左往するが。 その頃に犯人としての当事者たる広縞は、どうしていたか。 地下鉄で新宿に着くと、普段の行動から何となく降りて。 だが、帰りたくないものだから帰宅の途には向かわず駅構内をウロウロしてみる。 これまで新宿を歩くなど、何か明確な目的が有った時しかなく。 とにかくブラブラしてみようかと思うと、その遣り方も解らない。 仕方なく、近くに映画を見に行ったりして時間を潰した。


だが、これまで大学生の頃でさえ夜遊びなどした事も無い広縞だ。 真夜中が迫ると落ち着かなくなる。 最終の電車まで迷って駅構内を彷徨ったが、遂に不安から背中を押されて終電には迷っていながらも乗ってしまった。 大して凝った趣味も無い広縞だし、呑む事も付き合いで嗜むのみ。 だからこうなると何かも遣ることが無くなった。


終電の電車は、馬鹿みたいに混む都心。 久しぶりにギュウギュウ詰めの車内へ詰め込まれた広縞だが、今の彼にとっては他人が傍に居る安心感が感じられて。


(はァ、この人の中ならば、あんな幻覚なんか見ないだろう。 嗚呼、このまま居たい…)


生まれて初めて、満員電車が好きに成った。


だが、超満員の車内も、一駅一駅毎に人が降りる。 広縞の最寄り駅に降りる頃は、人もまばらに降りるのみ。 走り去って行く電車を見送った後のホームは、とても寂しいものである。


(どうしよう・・・。 もし、マンションで出られたら・・ああっ、帰るのが怖い)


自分の部屋で、あの幻覚とまだ捉えている幽霊らしきものを見たら、どうなるのか。 想像する広縞は、久しぶりに恐怖を感じる。 こんなに恐れを抱いた事など過去の経験を呼び起こそうとすると、かなり昔の記憶まで遡る必要が出て来る。 親戚の家の片隅に居た頃は、もう感情の起伏を面に出す事は無かった。 似た恐ろしさと云えば、同級生や学校の上級生徒に虐められ、校舎の屋上から突き落とされ掛けた事などがそうだろう。


(嗚呼、どうしよう。 帰りたくない…)


橋上駅のホームのベンチに座り、ぼんやり明るい駅前のライトを眺めていると。


「すいませんが、お客さん。 もうそろそろ、シャッターが閉まりますよ」


と、駅員に声を掛けられる。


「あ、はい……」


此処に居座る理由を一瞬でも探してしまったのは・・・やはり、あの女性の姿を度々に見たからだろうか。 立ち上がり、階段に向かって歩いて行く足が、異様に重く感じる。


下に降りて、駅構内の階段に差し掛かると。


「おぇっ、おっ・・う゛ぇぇっ!」


階段の手摺りにしがみ付いて、吐瀉している若者が居る。 横を離れて通り過ぎる時に、あの殺害した女性の姿になりはしないかと、見返る。


強烈な恐怖に掻き乱された広縞の心は、もう平常には戻れない。 


(嗚呼、そういや、まだ・・深夜まで駅前のスーパーはやってたな)


改札を出て、南口に向かう時に。 確か、何時も寄るスーパーが、深夜の遅い時間帯まで営業をしているのを思い出した。


(今の時間は?)


腕時計を見れば、後30分以上は開いている。


(良かった)


安心を得た広縞はロータリー前に出ると、酔っ払いや自転車で帰る人達を見て。


(まだ人の姿があるな。 出来れば一緒にマンションまで・・って、無理だよな)


まだ人が居る事に、一応の安心を得た。 誰かに金を渡して、一緒にマンションまで帰るなんてバカな事を考えてしまう。 この醜い顔だ、そんな事を頼んでもどうなるか…。


内心に怯える広縞が、縋る思いで立ち寄ったスーパーとは。 生鮮食料品を扱う店と、安い衣服や医薬品を扱う店。 そして、24時間営業の本とレンタルビデオを扱う店の集まった、複合型商業施設だ。 歩道沿いから明るい光が零れる駐車場に入り。 食料品を扱うスーパーの方に入った広縞。 チラッと見た隣のドラッグストアは、既に閉まっている。


(なるべく長く・・長く……)


店内に入って見れば、レジの並びには店員が2人しか居ない状況だ。 他の店員が店仕舞いの作業に入っている中、買い物籠を手に店内を回り出す広縞。 店内中央に、様々な商品を陳列する棚の列から隣の棚の列に行く移動や、死角と成ってパッと見えていない場所に歩いて行くときに、何度も周囲を確認する。


大して食べる方でも無い自分だから、残っている僅かな出来合い物の惣菜を幾つかと。 少しばかり拘りを持つ飲むものを籠に入れて回っていると…。


“本日も、ご来店ありがとうございます……”


閉店5分前の放送が流れる。


「もう・・か」


こんな夜中だ。 閉店では仕方無くと、広縞はレジに行って支払いを済ませる。 然し、買い物袋にゆっくりと買った物を詰めようと思っていたら、量が少ないので店員がやってしまった。


(アホが、この・・・バカ女)


小太りのオバチャンに、内心で悪態を吐き捲くる広縞だが。 店を出れば、まだ隣の本屋が開いていると思う。


処が、本屋に行って見ると。


“本日・明日、店内内装工事の為、お休みします。”


の、張り紙。


「はあ・・・。 クソっ、マジかよ」


河川敷で女性を殺した以来と思える、伝法な口調になる広縞の身体にドッと疲れが溢れる。 駅前の明るい居酒屋前で。


(何時だ?)


つい今しがたに見たと思われる腕時計では、深夜2時を回ったばかり。 駅から歩いて20分の場所に在る高層マンションが、広縞の住まい。


(チッ、帰るしかないか)


居酒屋にでも入れば良さそうなものだが、目の前では閉店にすると客を払い出す女将らしき中年の女性が居て。 酔っ払いが何人か外へと出て来る。 これでは、もう居酒屋も頼みに成らない。 仕方無しに、なるべく車の通る明るい道を選び帰路をダラダラ歩いては、途中にあるコンビに入って飲みもしなそうな酒を買ったり。 最近は読んだ事も無い、アダルト雑誌を買い込んだりしてみた……。 


自分なりに色々とダラダラ、ブラブラしてみたのだが。 結局、故意に寄り道をしてみても、3時過ぎにはマンションの前に辿り着いてしまった。


(はぁ、仕方無い………)


連休となる初日の明日には、神社にでも行ってお守りを貰おうかと思う広縞は、マンションの玄関口に向かった。 40階建てのマンションの最上階が、広縞の家と言って良い。


この広縞にして、そんなに良い所に住んでいるのかと思うが。 先ず、人生の転機となる母親の残した保険金が手元に多く有った。 そして、新入社員の頃から今の会社で花形とも云える開発部に居て。 26・7歳の頃には、開発技術者のトップを走っていた広縞だ。 あの同僚の清水も、後から入社した室長の女性も、広縞の功績にはケチを付けられない。 過去には、社内特別報酬者に何度も選ばれた彼にとって、1億2千万のマンションすら買えない物ではなかった。


これだけ裕福になれたのだ、殺人など馬鹿馬鹿しい。 普通ならば、そう感じるだろう。 だが、幼い頃から抑圧された生き方をして来た広縞にとって、姪を徹底的に陵辱したあの快感や開放感は、今生の至福といえる体験だった。 その快楽を得る為に、あらゆる思考が働く。


もし、だ。 犯罪を犯しても問われない世界で。


“趣味は?”


と、広縞が問われたならば。


“殺人とレイプ”


こう答えたい。


そんな広縞が、幻覚に怯えてマンションの入り口に向かうと、強化ガラス戸の自動ドアが。 このドアは、指紋とパスワードの二重セキュリティーで。 一致しないと、直ぐに夜勤の者と後から警備会社からガードマンが来る。


「・・・」


虚ろな面持ちのままに、指紋検査と暗証番号の入力を終えて、ガラス戸の先に入った広縞。 トボトボ歩くエントランスは、高級感のある広い場所だ。 自動販売機も、公衆電話も、分煙された喫煙所も、円形の曇りガラスに仕切らた共有の待合所も在る。 また、裏口のドアから外へ出れば、マンションを蛇行しながら半周する木々に囲まれたプロムナードにも出れる。 パン、飲料、スナック菓子等の自動販売機の前を歩いて行けば、上に向かうエレベーターの前に。 三つ在るエレベーターの右端が丁度、下に降りている。


(あの女は、本当に所謂の“幽霊”なのか? そんなものが、この世に存在したのか? 昔話だの逸話だの、そんなものは都合良く生み出された創作の範疇じゃないのか? 解らない、アレが何か、解らない……)


広縞の頭の中は“幽霊”と云う、自分のとらえる形では幻覚の事でいっぱいだ。 “幽霊”と云う非科学的な存在を完全に信じる事は出来ていない。 だが、見える幻覚に化学者として向き合うと、それはそうとしか答えが出ない。 人の中に居て、自分にしか見えない。 神出鬼没の様に現れるあの殺害された女性は、幻覚とするにしても精神や神経の病からくるものとは思えない。


(俺は、正常だ)


“昇り”のボタンを押して。 開いたエレベーターに乗り込むと、最上階のボタンを押す。 殺人を繰り返していながらに、自分を正常と思う彼は異常なのかも知れないが。 人の中に居て、醜い顔以外で不審に思われる行動をしたのは、あの死んだ女性の姿を見てからで。 それまでの普段では、他人から首を傾げられる様な行動はした事が無い。 苦悶する様に、あの死んだ女性の事を頭の中で考える広縞だが。


だが、エレベーターに乗り込んで閉まるドアを見た時だ。


「わ"あぁぁっ!!!!!!」


とんでもない大声を出し驚いて、背後のエレベーターの奥の壁際まで退いた広縞。 なんと、エントランスのエレベーター前、自分が立って居た場所に例の彼女が既に立っていた。 閉まって行くドアの隙間が無くなるまで、自分が殺した筈の女性が最後の在りのままの姿で立っているのを見てしまう。 かち合った視線を外せない、その髪の毛の間より覗く憎しみの篭った瞳は、恐ろしいほどに冷たく感じられた。


上に昇り始めたエレベーター内で。


「ああ・・・あっ、あ"っ! ああ・・ききっ・・来た・・きっ来たあぁ………」


まさか、真後ろに立っていたなんて! 気付かなかった事をどうこうより、こんなに間近まで迫っていたと知る。 その恐怖が、体の温度を急速に奪って行く。

震えて立ち竦むしか出来ない自分は、前を見たまま動けない。


そして、17階をエレベーターが過ぎる時だ。


― ゴト…。 ―


それなりの重さを持った何かが、床に落ちる音がする。 然も、それは広縞にとても近い。 足に伝わった振動から察するに、恐らくは広縞の足元付近だ。


「・・・・・」


何が在るのか、エレベーターまで着いて来た幽霊を見た後だ。 ガタガタと震える全身に広がる悪寒と恐怖は、迫る危険を知らせるシグナルの様で。 何か、絶対に見ては成らない物が其処には在る、と感じるのだが。


(なに・・が?)


恐る恐る・・・広縞の目が下に移動する。 すると、視界の中の片隅に、何かが映り始めた。 黒い・・・長めの繊維状の糸みたいな物が見える。  医療用の商品を扱って研究する広縞には、それが人の髪の毛と認識するまでには、さほどの時間も要さなかった。


「あ・・ああああああ・・・・あた・・あた・あたまっ!!!!」


見えているのは、不気味に黒い髪を振り乱した後頭部。 然も・・・、身体が・・無い。 更に良く見れば、首すらも無い。 それは、切り取られたのか、人間の頭部のみ。


後、10階で最上階と云う時だ。


― に゛ぃぃぃ・・・くぅぅぅぅぅ・・・い゛ひぃぃぃぃぃぃぃぃ…。 ―


地獄の底から手を伸ばして湧き上がって来るかのように、不気味な女性の声が広縞の耳へと聴こえてくる。


「ハヒぃぃぃぃっ!!!!!!」


広縞が脅えて、呼吸も儘成らない有様に陥る。 然し、一度でも見てしまった以上、今度は見ていないとおれない程に怯える中。 視界の中で、後頭部だけを見せていた顔が、突然ゴロリと転がった。


「うぎゃあああああっ!!!!!!」


大声を上げた広縞。 自分に向けて顔を見せる、床に転がる誰かの顔は・・・目を開いて、広縞の顔をしっかりと凝視していた。 生きている人とは到底に思えない程に、血色の無い白い蝋の様な顔は、確かに女性の顔であった。


― にぃ・ぐぅ・・いぃぃぃ。 しね・・・しね・・・・しねぇ・・しねぇぇぇぇぇぇぇ……。 ―


顔だけなのに、生きているかのように口を動かす女性の顔。 口から声が出ているのか、喉も無い顔全体から出ているのか、それも分からない。 エレベーターの中で共鳴するかの様に聴こえる恐ろしき声。


広縞は、最上階へと着いて開いたドアに向かって、縺れ倒れ込む様に飛び出した。


「うわああああああっ、たったたた・・助けてくれっ!!」


エレベーターを出た先は、横に伸びる外の廊下。 広縞の部屋の玄関まで行く、コンクリートの床である。


エレベーターから飛び出した広縞は、外側の手摺りの壁にぶつかって、戦慄の走る顔のまま冷たい床に倒れ込んだ。


(まっまま・・まさか、この・まっまま・・・部屋までくっ、くっ、来るぅぅ?)


そう考えると、冗談では無いと想う。 だから、その体勢のままからバッと振り返って、ドアが閉まり始めたエレベーターの中を見返した。


「・・・・・」


早まった呼吸が、肩や胸を強く動かす中で。 閉まるドアの隙間から見たエレベーター内に、顔は・・・転がって無かった。


「はっ、は・・はぁ」


脱力感に襲われた広縞は、暫く其処から立ち上がれず。 蒸し暑い深夜の一時を、茫然自失のままに過ごすのだった。






      ̄scene 2_



それから、数日後。


東京にも梅雨明け宣言が出され、例年通りに暑い夏がやってきた。 照り付ける日差しは、見るもギラギラと眩しくて。 大人も含めた夏休みのピークが始まる頃。


「おい、木葉っ! こりゃ〜〜一体どうなってるんだっ?!!!」


その日の朝。 警視庁に出勤した木葉刑事は、警視庁内の捜査一課長室に呼び出され、円尾(まるお)一課長にどやされていた。


「スミマセン、課長。 自分にも・・・良くは…」


木葉刑事とは、10歳ちょっとしか年の差が変わらない男性で。 見るからにインテリ然とした風貌の色眼鏡を掛けた課長。 たった数日の間で立て続けに起こる異変に、苦虫を噛み潰した顔で喚き立てる。


「バカっ!!!!! 数日前に死んだっ、ガイシャの遺族である母親の遺体を、所轄の刑事に掛け合って解剖に回して欲しいと頼んだのはっ、お前だろうっ!!!! お前が、何か引っかかってそうしたんだろうがっ!!!!! だがな、その遺族の遺体はっ、大量の虫に喰われちまったっ!!!!! 然も今日になって別の遺族が、また変死体で3人も発見されてるんだっ!!!!」


「えっ!!! それっ、ほ・ホントウ・・・ですか?」


この突き付けられた事実に因り。 越智水医師との話し合いで自分の感じた推測が、いよいよ現実に変わった、と木葉刑事は思う。


課長は、色眼鏡を外して頭を抱える。


「事実だっ、事実っ! 昨夜の夜半から今日の朝に掛けて、続けて3つの遺体が発見された・・・。 然も、お前が解剖に回させたあの遺族同様に、3人の遺体と変わった遺族は、妙チクリンな儀式をやってやがったっ!」


全く、何がどうなっているのか意味が解らないと、デスクを叩く一課長。


そして、また新しい展開に驚くしか無い木葉刑事だ。


「課長、妙ってのは、それは・・あの、虫に食べられた遺族みたいに・・・ですか?」


聴いて来る木葉刑事に対して、睨み付ける様な視線を返す一課長。


「そうだ。 然も、3人ともバラバラに勝手な事をやっていたっ!」


怒鳴られる事に慣れた木葉刑事は、また探る様に。


「と、申しますと?」


上がって来た報告書を掴み取り、嫌々に見る一課長。


「えぇ~と、立て続けに発見された一つ目の遺体は、神社の境内の杉に在って。 奇妙な・・“丑の刻参り”とか云うんだろ?」


「わら人形に、釘を打ち込むって・・アレですか」


「そう、そう云う行為をやっていた跡が在るとよ。 そんでっ、2体目の遺体は、部屋に閉じ篭って。 “こっくりさん”って云うものをやっていたらしいっ」


「すると課長、3人の遺族の死因は・・病死ですかね?」


「知るかっ! 一心不乱で飲まず食わずして、こんな行為を何日もするのをどう診るっ!? んっ?」


鋭く問われ、恐縮する木葉刑事は。


「その経緯からしますと・・・‘自殺’、・・ですかね?」


木葉刑事の意見に、


「はっ!」


と、報告書をデスクに投げる一課長。


「それなら、自殺が立て続けに3つ起こった訳だっ。 例の強姦殺人犯人に、後追い自殺したこの罪も加味したいよなっ! そうだろっ、木葉っ!!!!!!!」


「あ゛っ、え? 課長、最後の3人目も、・・自殺なんですか?」


すると、木葉刑事に指差して来る一課長で在り。


「こっちは、自殺で確定だっ。 3人目は、あ~っと・・、何だ? 泥人形を作って、え~っと・・。 針で刺す・・ナントカって儀式をしてたとか。 然も、儀式の最後に、自分で自分の心臓を抉り出したとよっ! 自殺、自殺だっ!!!」


咎める様な一課長の話に、木葉刑事は驚くしか無い。


(じ・自殺? まさか、あの女性の怨霊が自殺させてるのか?)


気が、一気に遠退く木葉刑事。


その前では、対処に困って頭を抱える課長が居て。


「何なんだっ! ドイツもコイツも・・一体、何をしてるんだっ!!!!」


独り怒鳴る一課長だが。


一方の木葉刑事は、もはや推測が現実に成ったと確信した。 立て続けに遺体で見つかった3人の被害者遺族がやっていたものは、どの儀式も“呪う”行為だ。


(自殺と引き換えに、呪いを成立させようとしたんだ。 コイツは・・・ヤバい。 先生の言ってた事が、本当になったぞ)


後から越智水医師より追加の連絡が有った。 自らの命を掛けて、相手を呪う儀式の事を古びた或る言い方では“死呪詛”(しじゅそ)と云うらしい。 それが、怨霊の導きに因って、連続強姦殺人事件の犯人を狙うべく行われているのだ。


そして、木葉刑事が一課長の前で立つ其処に、新たな異変が飛び込んで来た。


専用回線の電話連絡が来て、一課長は粗く受話器を取る。


「はいっ、此方一課長の円尾っ」


苛立って応えた円尾まるお一課長は、みるみるうちに目を見開く。


「な゛っ、何だとぉ」


間近でその様子を見ていた木葉刑事は、明らかに何か在ったと察する。


「わ、わかった」


通話を終えた一課長は、受話器を置いて。


「木葉・・俺は、もう死にそう・・・だ」


「課長?」


「今、ほ・報告が入った」


「はい?」


「見つかった遺族の遺体それぞれが・・消えたとよ」


「はぁ・・は、はぁっ?」


木葉刑事の反応を受けて、彼を見た一課長が言った。


「一体は、突然に全身が溶け。 一体は、自然界では考えられないほどの急速に腐敗した」


「そんな・・まさっ、まさか」


「事実だ。 然も、最後の自殺確定の遺体は、燃えた…」


その一言に、唖然とした木葉刑事。


(燃え・・た? まさか、火事?)



驚く木葉刑事に、頭を抱える一課長が問う。


「教えてくれ、木葉。 遺体が安置された解剖室で、突然の発火など有り得るのか? 燃焼促進剤も、何も、見つかってない…」


気を落とす一課長。


茫然と立ち尽くした木葉刑事は、信じられ無かった。


(こんな・事まで、霊にで・出来るのか? だが、見つかった被害者遺族の遺体は、これで4つ。 然し、確認されている連続事件の被害者は、十二件。 ヤバい、これはヤバ過ぎる)


もう自分の手には負えないと思った木葉刑事は、一課長から解放されると直ぐに、越智水医師へ連絡を入れた。 然し、後々に勝手な依頼を所轄にしたとして班より一時的にはずされ待機を命じられた。 この事件の捜査から外されてしまったのだ。


だが、犯人の広縞を狙う怨霊の力は、着実に犠牲者を増やす事に成る。





      ̄scene 3_




待機を命じられた木葉刑事が、この新たな事態の事を話し合おうと越智水医師と連絡を取ろうとする時。 あの男、諸悪の根源とも言える広縞は、夏の休暇期間を一体どう過ごしていただろうか。


この、被害者遺族の遺体が3体も発見された後の日の朝。 広縞が、あの高層マンションから外に出て行く姿が見られた。 白いズボンに、こげ茶のポロシャツを着ている。 ネットで調べた怨霊に効くお守り等の情報を携帯に入れ。 今日もそれを頼り神社を探して、都内の彼方此方に行くつもりだった。


(ふ・ふぅ)


あの夜に、エレベーターで生首を見てから今日までは、なかなか眠れて居ない広縞。 目の下に隈が出来て、痩せこけ始めた顔は憔悴の極みに近い。


さて。 そんな広縞が特に一番気に成るのは、エレベーターで見た顔の女性に全く見覚えが無い事だ。


(あの顔。 変わり果てていたけど、今まで殺した女のどれにも当てはまらない。 私のタイプでは無かったな…。 一体、誰だろうか)


最寄り駅から電車に乗り、通勤とは逆方向の駅に向かって行く。 目的の駅で下車した広縞は、携帯のナビを見ながら歩き出した。


今日、巡る最初の神社を探して、近場に向かった広縞。 その目的の神社の周りは、マンションやアパートだらけで、都心の郊外として開発が進んだ場所。


(住宅のビルがこんなに・・。 本当に、こんな所に神社なんか…)


眺める感想を思って居ると。 スーパーの前を過ぎた右手に、場違いな竹林が現れた。


(あ、此処・・らしいな)


竹林とブロック塀の間には、人が二人ぐらいは並んで歩ける道が在る。 石畳の並ぶ土の道で、最初の鳥居を潜って道に入って行くと。 古めかしい鳥居が次々と参道に並んで在り。 伸びる竹林に囲まれた石畳の境内には、彼岸花・・曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が、血のように赤い大輪を咲かせていた。


(こんな場所に神社が…)


短い石畳の道を更に行けば、都会に囲まれてながらにして、忘れ去られた様な空間に小型の社が、8畳間程の建物で存在していて。 開けた境内の右側には、お札やお守りを売る木造の寂れた販売所があった。


(誰か、居るのかな)


手入れはされている境内だが、人気などを感じられる場所では無い。 近場にはマンションやアパートに加えてスーパー、コンビニ、役所に囲まれた場所でも在り。 少し離れた方向からは、車の走行音が絶え間なく聞こえた。


そんな社前の開けた場所で、広縞がぐるりと境内を見回した時だ。


「ようこそ、トガミ神社へ。 如何なされましたかな?」


穏やかな大人びた男性の声に導かれて、広縞がその方へ顔を向けると・・。 社の脇から、一人の神主らしき袴姿の年配男性が現れた。


「あ・あの、御札を・・・下さい」


と、広縞が云うと。


近くにやって来た年配の神主らしき男性は、広縞の姿を見て酷く驚いた顔をした。 そして、まじまじと真剣な眼差しにて、広縞の全身を見る。


「あの・・お・御札を…」


と、掠れた声で広縞が再度言えば。


「失礼ですが、貴方。 一体、何を為されたのですか?」


いきなりこんな事を言われた広縞の方がドキリとしてしまい。


「あ・・え゛?」


然し、神主の男性は、重々しい雰囲気を纏い始め。 真剣で、且つ深刻そうな面持ちに成る。 その様子は、まるで余命宣告を告げに来た医師の様で在り。


「初対面の間柄で、この様に云うのは・・その、憚られますが。 貴方・・・・このままでは、近々に魂まで祟られて死にますぞ」


神主の言い方は、深刻ながらにゆっくりだが。 徐に、ブスリと刺される様な、“単刀直入”ならぬ“単刀徐入”と例えるものの物言いで在り。 言われた広縞は、突然の事で顔を蒼褪めさせた。


(あ゛・・そんな、何も話して無いのに、見ただけでわっ、解るのか?)


一方、驚く広縞の視界の中では、神主姿の年配男性の方が急に汗を顔に噴出させて。


「嗚呼、何と・・禍々しい幽霊の気配だ。 貴方の後ろには、非常に強い怨霊が憑いてます。 それも、1人や2人ではない」


「え゛っ。 あっ、え?」


自身の背後を見て慌てる広縞に、神主は更に近付いて。


「だが………」


と、何故か。 言葉を途中で止めた神主。


今度は、慌てる広縞から神主に迫り。


「あああああ・・なっ、何とかなりませんかっ?!!!!!」 


必死の形相になり、神主の襟元を掴む。


すると、目つきを鋭くした神主は、その広縞を見据え。


「貴方の背中に見える怨念の影。 その何人かの内の2人は、テレビのニュースに出ていた顔ですな」


「は・・はぁ?」


「ご存知在りませんか? ほら、例の連続強姦殺人事件です」


「え"っ?」


まさか、幽霊から自分の犯行が暴かれたのか、広縞の驚きはもう時が止まる程のものだ。


然し、年配男性の神主は話を続けて。


「あの事件の被害者のご遺族が、この2・3日で突然に、何人もお亡くなりになられていますが」


「………」


そう言われた広縞は、返答に困って口を噤む。 実は、幽霊に怯え過ぎてテレビに出る人の顔が怖くて、テレビすらまともに観て居なかった広縞。 点けっ放しにしていたが、怖い声が出ないかと心配して消音に。


その間、


“何をしていたか?”


と、問われると。 二階のロフトルームにて、神社や幽霊について検索したり。 また、捜査の進展ついて、文字のみのネットニュースで検索していた。


「それっ、そそ・それが?」


とにかく何か、話を聴こうと広縞は反射的に言う。 もう普段の冷静さは何処にも無い。


「不思議な事に、何故か。 貴方の背中には、その亡くなった方々の姿が視える。 然も、只の幽霊ではない。 怨念に因る、‘怨霊’などと云う姿で現れているのか…。 不躾な問い掛けに成るやも知れませんが、それを此処で説明が出来ますかな?」


少し長い話だが。 結局は、自身の悪行について質問された広縞。 自分が犯人だと云う事は誰も知らない筈だと思っている彼は、こんな質問をされても口を開けて黙るしか無い。 自分の犯した罪は、バレれば“死刑”が確実である。 


(マズイっ、い・言える訳が…)


返す言葉が見つからない広縞は、エレベーターで見た生首の顔には、全く見覚えが無かった。


“一体、あれは誰なのか”


と、必死に思っていたら・・。 こんな所から、その答えが出たのである。


「あ・あのっ、おっおお・・御札を・・売ってください。 その内、また・・来ます」


苦し紛れに、神主へ搾り出した声。


何かを察した神主は、ゆっくり一つだけ頷くと。 販売所に身体を一旦は向けてから、再度また広縞を見返すと。


「もし、本当に来るなら、早い方がいいですぞ。 貴方の背中に居る幽霊は、もはや怨霊・・。 然も、憎しみの憎悪に命を捨てた、“死呪詛”(しじゅそ)に変わっている。 いずれ、そう遠くない所で貴方の命は、その怨霊に奪われる。 どんな素晴らしい文字の御札でも、その怨霊には単なる時間稼ぎにしか成りません。 これだけは、理解して頂きたい」


内心を見透かされ、脅しを貰った様な思いがした広縞。 御守りや破魔矢の他に、何十枚もの御札を買い求めて。 それを抱えるや神主から逃げる様にして、震える足取りでマンションに戻る。


(ま、まっ、まさか、幽霊からこ・こんな風に悟られそうに成るとは…。 正直な処、思わなかった)


が、逆にこの神社の御札には、とても効き目が有りそうな気もした広縞。


昼過ぎにマンションへ戻ると。 窓から、玄関から、トイレに浴槽にまでも、買って来た御札を貼り付ける広縞。


(恐らくはこれだっ!! これが一番効きそうだっ!)


昨日まで買った、別の神社やお寺の御札まで剥がし。 トガミ神社の御札へと張り替える。


(バレる寸前だったが、とにかくこれだ。 これで幽霊を撃退できれば、俺の身は安泰だ。 あの人気の無い神社だ、効き目が在ればもう一度買い求め。 その時に、あの神主を殺せばいい……)


あの神主から自分が犯人と判明しそうな気がした広縞。 だが、現実に武器で、物理的な何かではどうにもならなそうな幽霊の対処が先だ。 幽霊さえ、幻覚さえ見えなくなればイイ。


そして、貼り終える後に昼下がりに成り。


(そう云えば、あの神主が言ってたな。 ニュースでやってたとか……)


神主の話を思い出して、脅えるままにテレビを点けた。 神主のあの言葉が、酷く気に成ったからだ。


午後、特番の様な緊急ニュース番組で。


“呪われた連続殺人者っ! 遺族の恨みは、今、何処に?!!”


と、血の様な赤い文字で、そんなタイトルが出る。


(おいおい、私は遺族の事なんか知らないぞ)


然も、番組を観ていると…。 ご丁寧にも、自分のやった犯行の中で、事件にまで成っている全ての現場にて。 殺された被害者の顔を出しては、事件の解っている状況をリポーターが説明し。 その後、被害者遺族の不審死事件を扱う。


此処で、


「あっ!」


広縞は、やっと解った。 やはり、エレベーターで見た生首の顔は、自分が殺した女子高生の母親である事が解った。


(そっ・・そんなっ!!!! まっ・ままま・・まさかっ)


神主が言っていた事が本当だった・・・、と理解するのだが。 番組を観ている中で、アラーム音と共に画面上の場所に、ニュース速報が入って来た。 自分の殺した遺族の、また新たな変死体が出たと云うのだ。


(おいっ! そっちは、お・おおっ、オレじゃないぞっ!!!!!!)


リビングのテーブルの脇で蹲っては、番組を食い入る様に観る広縞。 自分は、遺族には何の干渉していない筈なのに。 突然、自殺者が多数も続けて出るなんて…。 一体、何が起こっているのか、全く解らなかった。


だが…。 既に広縞を取り囲む呪いの包囲網は、ほぼ出来上がりを迎えていたのである。




      ̄scene 4_




さて、広縞の解りもしない場所にて、或る事態が動いている。 それは、被害者遺族が何故か、‘呪い’と云う行為をしていた事だが。 いよいよその不可解な流れも、最後の事態(フェーズ)に差し迫っている。


そして、最後の‘呪い’が行われていた場所とは。 東京都と千葉県の県境にて、都心とも程近い場所。 地下鉄に乗り入れる在来線の停まる大きな駅が在る所から、徒歩で数分圏内に在る。 10階建てぐらいの横に長いマンションで、だった。


時は、広縞が神社から逃げ帰り。 マンションに戻った頃にまで、少し遡る。


この連日に続いて最高気温を更新し。 今日もまた、今年最高の猛暑日に成りそうな昼間だ。 横に長いマンションの正面玄関口より右手側の、6階に在る一室にて。 何故か、住人が居るのにも関わらず、カーテンがビッシリと閉じてしまっている一室が在る。 真昼で、そろそろ外の気温が、36℃を超えそうな暑さなのに。 この部屋には、扇風機も、クーラーも付いていない・・。 日光を遮るカーテンを締め切った部屋だろうが、室内の温度は高くなっていて。 恐らくはジッとしていても、汗が止め処なく溢れ出てくるだろう。


さて、この灯りも点けていない暗い部屋の中では、


「萌炎不動明王・・・火災不動王………」


と、ブツブツと念仏の様なものを唱える声がする。


それが聞こえて来る場所とは、居間らしきテーブルの在る一間。 そして、念仏の様な呪言を呟いているのは、タンスに向かって正坐をする人物で在る。 数珠を嵌めた手を合わせ一心不乱に呟くその人物は、髪の毛が白く、頭の天辺が禿ているが。 身体つきは、やや小太りの体型の老人の様だった。


が、然し……。


その老人の顔を見たならば、殆どの者は驚くに違いない。


何故なら、その老人の顔は、目つきが驚くほどに鋭く。 ヒクヒクと動く鼻は、怒りや憎しみを湛えて動いて。 明らかに、唯ならぬ殺気を満ち溢れさせて居ると解るからだ。


然し、見た目から判断しても、70は超えて居そうな老人なのに。 この真夏の最中、冷房も点けずして顔の全体を汗塗れにしながら、何故にこんな事をしているのだろうか。


「萌炎不動明王・・・火災不動王・・・・萌炎不動明王・・・火災不動王・・・・萌炎不動明王・・・火災不動王・・・・」


一心不乱・・。 正に、その言葉を体現している様子だが。 目の下の隈といい、充血した眼といい、腫れぼったい瞼といい、明らかに憔悴してやつれている様に見える。


然も、老人の下半身から湧くのか、この部屋は異臭さえしている。 恐らくはトイレにも行かずして、この老人は一体、何時頃からこんな事をしているのだろうか。


また、薄暗い中でその老人が向かうタンスの上には、黒い仏壇が置かれていた。 剣山の様に線香が乱れ並ぶ、灰の入った壺が真ん中に在り。 左右に、短くなりつつも小さな蝋燭の明かりが灯り。 その全てを照らしていた。


この老人が行っているのは、一体何なのか。 リビングの床に開かれて放置される、挿し絵入りで書かれた本を見ると、それが何か解る様だ。


“厭魅”(えんみ)


こう呼ばれる呪術の一つで在り。 唱えるだけで、相手を呪い殺す程に強力な呪文らしい。


だが、この呪術を行っている老人とは。 以前、埼玉の川岸で木葉刑事に呼び止められた、あの老人だった。


何故、こんな風に成ったのか…。


その答えは、仏壇の遺影となる。 中学生か、高校生の少女に在った。


老人の一人暮らしにしては、少し広い気もするこの2LDKのマンションだが。 実は、初老と成った頃にこの老人が、妻と暮らす為の終の住処として、退職金の一部を使って買ったものだったが…。


ガンで妻を亡くしてからは、二十歳で結婚した娘と孫娘の事が、老人の生き甲斐であった。


処が、で在る。 可愛い可愛い孫娘を無惨にも、広縞こと強姦殺人魔に奪われた。 老人の募る憎しみは、山よりも高く。 そして、悲しみと共に貯まる怨みは、海よりも深くまで…。


辛く、黙って居れない老人は、それから毎日外に出ては。 同じ被害者の各現場に足を運び、手を合わせていた。


然し、内心では。


“もしかしたら’犯人を見かけるかも知れない”


・・と、思ったのだ。


だが、あの日。 橋の上で、木葉刑事と別れてからだ。


(確かに、あの刑事さんに言われる通りだ。 毎日、こうして何処かの現場に足を運んで居るんだ。 儂は、本当に何も見ていないのだろうか…)


毎日、各現場に手を合わせに行った事を思い出しながらマンションに戻ると。 この老人も、怨霊と化した女性と遭遇した。


夕暮れ時で、然もあの姿だ。 


「げぇっ!」


リビングの入り口で驚き、腰を抜かした老人だが。


怨霊と化した女性の口から、


― にいぃぃくぅぅぅいぃぃぃぃ・・。 アイツが・・にく・・い・・・。 おなじ・・・アイツがに・・くい……。 ―


と、仏壇の孫娘の遺影を指差されながら、その声を聞いた。


(なっ、なっ、な・何だって? ‘憎い’? ‘おなじ’っ?)


自分に危害を加える様子は無い幽霊を見て、次第に冷静に成って考えると。


(はっ! まさかっ、この女性も・・孫娘と同じ様に、あの事件の被害者かっ)


そう、こうして被害者遺族で在る老人は、悪霊の持つ怨みの意志を感じ取ってしまったのである。


そして、その声に導かれるままに、夜の古本屋に向かった老人。 頭の中に、怨霊の声が響いていた。


“のろぇぇぇ、のろえぇぇ、アイツを・・・のろえっ!”


独り頷いた老人は、何時の間にか買った本を頼りに、この“厭魅”を行っていた。 孫娘の事を忘れられる筈も無く、泣き崩れて立ち直れない娘を思うと。 更に、腹の底から犯人が憎くなり。 憂さ晴らしで始めたつもりが・・・日に、日にと、一心不乱へと変わり。


今では、


(犯人っ! 死ねっ! この怨みよっ、届け!! 死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!!!!!!!!!!)


と、もう命を投げ出す気持ちで、全ての意識が凝り固まっている老人だった。


一方。


― プルルル~。 プルルル~。 プルルル~。 ―


先程から玄関口では、ずっと電話が鳴り響いている。


然し、呪術に没頭する老人の耳には、その音すら聞こえていない様……。


いや、違う。


もう老人の心には・・・、正常なる人の心が残っては居なかった。


‘血走る目’


‘飲み食いもしないで、呪うこと以外を放棄した顔’


其処には、鬼気迫る狂気のみが篭る。


そして、そんな老人の少し離れた後ろには、・・・やはり。


― そう・・だ。 のろえ・・その・まま・・・もっと、もっと・・・のろえぇぇぇぇぇぇ…。 ―


あの怨霊と成った女性が居る。


然し…、何でだろうか。


最初に呪いへと引きずり込んだ、一人目の遺族で在る母親の時よりも。 怨霊と化した女性の顔は、更に歪んで化け物の様。 然し、声だけはハッキリと、怖いほどにしっかりと聴こえる。


「七つの卒塔婆を建て・・・・みじん・・・すいじん・・・計反国とぉ・・・う゛うう・・」


呪文を唱える老人の身体が、突然に震え出した。 顔を見るに、どうやら苦しい様だ。 身体がブルブル震え、数珠を握る手は、酷く痙攣を起こしているかの様に成る。


そして、遂に。


「う゛っ、うぐぅ・・ぶっ、ぷぷぷぷ・・」


朦朧とするかの如く揺れ動き、呻き出す老人の顔は更に苦痛に歪んで行き。 ギリギリと見開き血走った眼が、視点すら定まらなくなり。 ヒクヒクと動いていた鼻も、穴を広げ痙攣し。 呪言すら喋れなく成っては、パクパクと震える口。 異常を来したあらゆる全てが、頂点に達した・・その時だ。 老人の弱る心臓に圧し掛かっていたこれまでの負担が、一気に爆発したのであろう。


「う゛ぐぅぅぅぅ、ぶっ」


呻き声を立て。 老人は目を開けたままに、フラ~っと仏壇の前に倒れた。 引き出しの閉まったタンスへ頭を激しくぶつけて、白目を剥き、泡の様なものすら口から吐いて、無造作に横たわる。


すると…。


老人の倒れた姿を見た怨霊の顔は、何処か満足げであり。 スぅ~っと姿を消してしまう。


そして、また。


死んだ老人の背中からのっそりと立ち上がる影が在り。


また、一人の魂が・・・、怨みの念に呑まれたのである。

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