第38話 なんか

 飛鳥が黙々とチャーハンを食べ始めた。やっぱり腹は減っていたらしい。


「うまいだろ〜?」


 食べてくれたこと、ほめてくれたことが結構嬉しかったりする。飛鳥が素直に「うまい」と言ってくれるなんて。

 その様子を見ていたら自分の中に、ある考えが浮かぶ。聞いてみようかな、了承してくれるかな。それとも拒否されるかな。

 色々な思いを抱きながらも、やはり聞いてしまおうと思い、大翔はテーブルに置いた拳に力を入れた。


「飛鳥さん、あのさ……アンタ、そのケガした腕だろ。今までみたいに一人だと結構きついだろ」


 飛鳥はチラッとこちらに視線を向けた、が何も言わないまま、スプーンを口に運んでいた。彼が弱音を吐くことはない、それは知っている。

 だから今言った質問に返事を求めようとは思わない。


「オレ、午後はあと二時間しか、アンタんとこにはいられないけどさ。もしアンタが賛成してくれるなら。オレ、自分の仕事が終わったらアンタのとこに来て“なんか”手伝ったりとか、できたらなぁと思ってるんだけど、どうよ?」


 飛鳥はチャーハンにスプーンを刺したまま、固まった。視線が困ったように天井を見たり、ガラステーブルの上を見たり……こちらを見たり。


「なんか、とは、なんだ」


「え? え〜と、なんかだよ」


「なんだそれは」


「な、なんかって言われたら、なんかだよっ! な、ん、か」


 なぜか強気になって言い返してしまう。別に明確な答えなんかないからだ。

 飛鳥は呆れたような顔をしていた。


「だからなんかとは、なんなんだ」


「オ、オレだってよくわかんねぇ!」


「なんか、がか?」


「あぁ、なんかが」


 お互いになんかなんかの言い合いになり、それ以外の言葉はないままに時間だけが過ぎてゆく。これでは一生終わりが見えない。今度はお互いに顔を見合わせて、そのまま数十秒が経過する――そして先に根を上げたのは。


「飛鳥さん、あのさっ!」


 議論になっている“なんか”について、思いついたことを口にしてみることにした。


「な、なんだったら、その、仕事でもいいし! こんな感じで飯作りでもいい! それ以外も手伝うけど、どうするっ?」


「仕事、以外?」


「……風呂とかっ?」


「……風呂……」


「あ、あと着替えかっ」


「……着替え……」


「ト、トイレも、手伝うっ!」


 それを聞いた飛鳥はもちろん戸惑っていた。しかし悩んだ結果、当然自分だけではできないと判断したのか、渋々な感じで「トイレ以外は頼む」と小さくつぶやいた。






(まさかホントに頼まれるとは……)


 このことは所長には内緒だ。利用者と信頼関係を築くのは大事だけど深入りをしてはいけない……そう言っていた所長のことだ。すでに今日の仕事が終わったのに利用者の家に入り浸る自分を見たら、いくら優しい所長でも今度こそは本気で怒るかもしれない。


「飛鳥さん、これはこっちな。あれはあっち、それはそっちに置いたからな。じゃ、オレは夕飯作るわ」


 大翔は飛鳥の指示通りに書類を片づけたり、ファイリングしたり、飛鳥の仕事が少しでも進むようにと細々動き回った。

 時刻は夕方六時過ぎ。窓から見える空はもう日が暮れていた。


 この後、自分は夕飯を作る予定だ。飛鳥の家に来る前に材料は買っておいた。今日は無難にカレーでも作ろうと材料を冷蔵庫から出して「よ〜し」と気合いを入れていたところだ。


 自分はこうして仕事の時間外に飛鳥宅で彼の仕事を手伝い、野菜を切って調理をしようとしている。この一連の流れに給料は発生しない。なぜならこれは自分が言い出したことだ、完全なボランティアのつもりだ。


 しかし飛鳥は「金は払う」と言って、なかなか無償のボランティアであることについては、うなずいてくれない。自分はお金がほしいわけじゃない、と説明したのだが。


 結局「材料費だけ出す」という結果になり、カレーの材料費は全て飛鳥持ちで。さらに自分も夕飯を食べていく、ということになった。お腹も満たされる対価なので結果的にはありがたいと思う。肉とか買う時、ちょっと良い値段の買ってきちゃおうかなとか、小さいことを考えてしまった。


 料理をするのは苦ではない。母親とその再婚相手である新しい父親、その二人の子供である弟達はそれで一つの家族というものになっているから。自分のは分けて、それぞれで食事の準備をすることが多かった。もちろんたまに忙しい両親に代わって弟達の食事を作ったりもしていた。


 自分はもう高校を卒業して成人になった身。一人暮らしもいずれは考えている。そんな自分が実の母といえ、いつまでも甘えているわけにはいかない。そう思って、あえて「食事は別にしたい」と自分から申し出たのだ。


 けれど高澤所長への借金があるうちは一人暮らしはまだ難しいのが現実。もうちょっとだけ家には居候させてもらわなければならない。母には「気にしない気にしない」とは言われているけど。


 一方、飛鳥は別の点を気にしていた。自分が夜に彼の元に来ることを非常に心配していたのだ。

 家に“身重な人”もいるのにいいのか、と。

 身重ってなんだっけ? と思ってしまったけど。


 そういえばちょっと前、自分宛てに届いたメールの内容を、ちょうどそばにいた飛鳥は知っているのだった。


 妊娠した、ゆかりのことを。


『あぁ? 大丈夫だって。あっちは手伝ってくれるヤツがいっぱいいるからな。オレなんかいなくても平気平気』


 そう言うと飛鳥は眉を曲げ、複雑そうな顔をしていた。それでいいのか、と言いたげだった。

 そんな表情をする飛鳥を(変なヤツだな)と思いながら自分は首を傾げていた。


(何が悪いんだよ、別に大丈夫だろ。何がそんなに気になるんだろ……う〜ん、わからん)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る