第6話 進展ナシが逆にすごい

 何度も自分に問い詰める。週に三回の二時間、定期の仕事だぞ。すげぇ、オレのシフトがこれだけでかなり埋まってしまったぞ。


 もちろん、あの車椅子男の仕事だけが全てではない。他の依頼主のサービスだってある。

 けれど週五日勤務の三分の一ほどがあの男のサービスで埋まっている。あの仏頂面に会いまくるのは気が引けるが仕事だと割り切ればいい。頑張ったらご褒美あげるよ〜と高澤所長も言っていた。


 それだけ関われば少しは変わるかなと思った自分とあの男の関係性だが……これが驚くほど全く何も変わらない。

 男は淡々とパソコン作業をしているし、いつも仕事の指示をするだけでそれっきり。最初のうちは少し仕事内容を質問したりしていたけど、慣れたら「あれ」とか「それ」とか言われただけで「へーい」と身体が動く自分がいた。


(……それはそれで指示が雑だから、ムカつくんだけどなぁ。少しは労えってーの)


 男はプログラミング系の仕事をしているらしい――こっそりとパソコン画面を見て、多分そうなんだろうなと思った。画面上には難しい文字や記号がズラッと並んでいる。素人が見たら文字でも分解してるんですか、みたいな作業だ。

 よくわからないけれど集中しているんだろう。男はいつも静かで寡黙で素っ気なく。こちらの存在が見えていても、いないような感じでいる。


 だから自分も相手のことを意識しない。ただ掃除すればいいだけ、必要以上の話はしない。


(うーん、それだけだと、慣れちまえばやることは決まってるし、仕事としてはすげぇやりやすいような気がするよな。他のババァ相手だと……まぁ機嫌取ったり、嘘の世辞使ったり、ウザかったもんな)


 男からは時々「あれが抜けてた」とか「ゴミが残っていた」とかチマチマした小言は出るものの、話に聞いたクレームらしいものは出てきていない。事業所を何度も変えてきたらしいのに、なぜなんだろう。

 もしかしたら今はまだその“パワー”を溜めているだけなのかもしれない、いつかクレームを爆発させてやるぞパワー……みたいな?


 男は今日も黙々と仕事をしている。狩矢飛鳥の家に来るようになって早一ヶ月。実は未だに、この男の名字すら呼んだことがない。

 週三回の一日二時間、一ヶ月だと約十二日。一ヶ月の間に二十時間以上は男の元を訪れているというのに、この進展のなさはすごくないだろうか。一進一退もない現状維持というヤツ。


(さっぱりわかんねぇよな、この男……まぁ、友達ではねぇからな)


 いつものようにリビングでパソコン作業をする男の近くで、自分はひっそりと棚の上を拭いていた。

 いつも熱心だよなぁ、と思いながら。スマホを片手でスクロールさせる男の仕草を見ていた時だった。


(あっ)


 手が滑ったのか、男の手からスマホが離れる。男はそれに慌てたのか息を飲んでいた。

 それはいつかも見た光景だ。それでも自然と身体が反応し、大翔の伸ばされた手は床に叩きつけられそうになったスマホを素早くキャッチしていた。


(よく落ちるなぁ、このスマホ)


 大翔は「はい」と男にスマホを手渡そうとした。だが男は手を出さず、不思議なものを見るような目でこちらを見ている。


(……なんだよ、ケンカ売ってんのか)


 そんな物騒な考えはすぐに吹き飛ばされた。


「……なぜ、そんなことをする?」


 今まで大した言葉を発しなかった男が、ここにきて初めて疑問を発した。

 だがその問いの意味がよくわからない。


「なぜって、なんだよ?」


「お前が慌ててスマホを拾う意味がわからない」


(はぁ? なんだよそれ)


 大翔はスマホを持ったまま首をかしげた。


「他の人間はそこまでしなかった」


(だからなんなんだ、それ……)


 返答に困っていると男は大翔の手からスマホを受け取り「見て見ぬ振りばかりだった」と続けた。


(見て見ぬ振り……あー、なるほど。つまりはそんな小さなことだけど、誰もそこまで助けてはくれなかったっていうことか。まぁ確かにそうだろうな)


 おそらく、この男とあまり関わりたくないというのが、この家のサービスに入った人間の本音だ。だからこそ依頼主に何かあっても助けたりはしなかった。どうせ嫌味を言われるか、もしくは感謝なんてされないからだ。

 それは自分だって同意見だ。こんな性格がひねくれたヤツのことに深く首を突っ込もうとは思わない。


(でも、さ――)


「……オレもたまにやるけどさ、スマホって落としたら壊れちゃうじゃん。壊れたらアンタ、仕事で使ってんだから困るだろ。それに落ちたら拾うの大変だろうしさ。別に深い意味なんかない」


 アンタが困るだろうからと思って動いただけ。ただスマホを拾っただけ。そんなことぐらいを気にかけるなんて。この男はよほど周りから避けられていたのかもしれない。

 男は愚痴をこぼすように話を続ける。


「……そのくせ余計な話をしたり、人の顔色は常に伺ってきた。非常にめんどくさい人間ばかりだったな」


「あ〜それはわかるかも。特にババァとか、話長いもんな」


 非情に珍しい事態だが男に同意してしまった。つまりは今までの家事代行はご機嫌伺いはしているが肝心な時には役に立たない、そんな感じか。確かにこの男のご機嫌を伺ったところで仕方がないし、お互いにイライラするだけのような気がする。


(……というか、オレ、なんでこの男の気持ちを理解しようとしてんだろ。まぁいいや。この際だから一つ忠告がてら言ってみて、うっぷんを晴らしておこうかな)


 大翔はコホンと一つ咳払いをした。

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