第2話 拾ってきた子猫の処遇を決めかねているような

 アシュアールは強引に立ち上がらされ、三人のうち二人に腰と肩を抱かれて店を出ることになった。抱かれて、と言ってもそこに好意的な雰囲気はなかった。確保、拘束、の意味合いだ。がっちりとつかまれていて動けない。ここに縄なり何なり拘束具があればきっとそっちで縛られていたのだろう。

 抵抗はしなかった。するまいと判断したわけでも、できなかったわけでもない。怒りと殺意で心がいっぱいで頭が真っ白になってしまったからだ。こういう状況でも次の行動を取れるほどアシュアールは大人でも賢くもない。ただ興奮していて自分の感情の吐き出し口を見失っている。呼吸すら満足にできない。はあ、はあ、と肩で大きく息をした。


 店の外に連れ出される。大勢の騎士たちとすれ違う。みんなこちらを見つめているが話しかけてはこない。

 三人のうちの一人、アシュアールの肩を抱いている男が凄んだ。


「散れ。見世物じゃねぇんだよ」


 彼がそう言うと騎士たちは顔を背けた。


 やがて三人とアシュアールは村のはずれにある旅人用の宿にたどり着いた。巡礼者と隊商のための宿で村では礼拝堂の次に大きな建物だ。


 宿の主人が慌てた様子で出てきたが、アシュアールの腰を抱いている男が中から金属音のする小袋を投げてよこしたら黙って頭を下げて奥の控室に引っ込んだ。


 宿の中の一室に入ると、男たちはアシュアールを部屋の奥の壁にぶつけるかのように放り出した。アシュアールは壁に勢いよく背中を打ち付けた。痛い。

 床に座り込む。三人も目の前に並んでしゃがみ込む。


 改めて三人を見る。


 一人は筋肉質で特別大きく体格に恵まれて見えた。短い髪は整えられていないのかつんつんと外はねしている。大きな目は幼いわけではなくむしろ動くものを絶対に捉える動物の目のように見えた。口も大きい。

 もう一人は、隣の二人に比べると華奢に見えるものの、やはりアシュアールよりはたくましい。髪は短髪とも長髪とも言えないうなじが隠れる程度の長さで、やはり中途半端な長さの前髪が彼を若く優しく見せている。女性ウケは彼が一番良さそうだ。

 最後の一人は、最初の彼よりは細身だが、やはり肩のあたりががっちりしている。まっすぐの長い髪は後頭部でひとつに束ねられていた。目元はどちらかと言えば涼しげで、鼻筋が高くて唇が薄い。


 全員二十代半ばから三十歳くらいまでの若い青年だ。

 そして、三人とも金の瞳に赤い髪をしている。

 ヤズダの民だ。

 しかし、帝国の騎士団の制服を着て、腰に騎士の剣を提げている。


「少年」


 中途半端な髪型の伊達男が、優しい声と笑顔で身を寄せてきた。


「名前は?」


 アシュアールは素直に「アシュアール」と答えた。何も考えていなかった。聞かれたから反射的に答えた。好意も敵意もない。


「年齢は?」

「十四」

「ご家族は?」

「母が一人」

「困ったなあ」


 三人が揃って溜息をつく。


「皇族の暗殺はどういう刑に処されると思う?」


 そう問われてからようやく、自分の立場というものを理解した。


 自分は皇女ベアトリスを殺そうとして失敗した。大勢の人の前で刺そうとして、彼ら三人に止められ、ここまで連行された。

 皇族の暗殺――おおごとになってしまった。


 冷静になった。

 血の気が引いた。


「首を刎ねられますか」


 長髪の男が「それだけで済むと思っているのか」と鼻で息を吐く。


「共謀者がいないか拷問にかけられた上で投石刑、そして一族郎党皆殺しだ」


 あまりのことに、言葉を失った。


「ぼっ、僕」


 無意識にどもってしまう。


「か、母さんだけは。母さんだけは見逃してくれませんか」


 腕を伸ばして目の前にいた短髪の男の膝をつかんだ。男は顔色ひとつ変えずにアシュアールを見つめ続けた。


「僕はどうなってもいいんです。どうせ毎日芋の皮剥きだし、こんな人生どうだっていいんです。でも母さんは苦労してきたんです、僕を育てるために本当に苦労して、僕はもう母さんに苦労はかけたくなくて――」

「いやあ、僕らとしても助けてあげたいんだけど、今すぐハイとは言えないなあ」

「目撃者多数だからなあ。さすがの俺たちも全員の口をふさぐのは難しいなあ」

「お母上もお気の毒にな。可愛がってきた息子ならなおさらこんな不名誉な最期はつらかろう」


 今度は不安と恐怖で頭がいっぱいになった。気が動転して全身ががたがた震え出した。


「僕はどうしたらいいですか? どうしたら助かりますか」

「後悔するくらいならやるなよな」


 正論だった。しかしいまさら時間を巻き戻すことはできない。やってしまったことはもう取り消せないのだ。

 動揺で涙があふれる。伊達男が「よしよし」と頭を撫でてくれる。


「ちょっと確認したいんだけど、他に仲間がいるとかじゃねーんだよな? お前が独断でやったんだよな?」

「そうです、つい、かっとなって」

「誰かに命令されたとか、金を握らされたとか、そういうんじゃねーんだよな?」

「もちろんです! 本当に、店長に嫌がらせされて、イライラしてて、厨房だったからたまたまそこに包丁があって」


 うち二人が「嘘をついているようには見えないけど」「こんな子供が計画的犯行なんてのもないか」と話すが、長髪の男が「悪い奴は子供でも洗脳して利用するからな」と言った。アシュアールは慌てて「とんでもない!」と叫んだ。


「まあ……、不幸な境遇なんだろうな、というのは君のいでたちでわかるよ」


 言われてから自分の姿を見た。痩せてひょろひょろとした体、着古した服、腹は洗剤で汚れ、膝は床の謎の液体で濡れ、おそらく頭にはまだ卵の跡が残っている。背が高く清潔な騎士の隊服を着た三人に比べるとみすぼらしい子供であった。


「どうする? とりあえず連れてきたのはいいものの」

「エスファンド、何かいい案ない?」

「……ハーヴィー、何かいい案はないか?」

「…………ラジーズ、何かいい案はないかな?」

「おい、この三人の中でぐるぐる回すのやめろよ」

「貴様ら無責任だな」

「そう思うのなら事前に止めてよね」


 三人が内輪もめのような態度を見せ始める。しかしなんとなく真剣みがない。アシュアールは三人のやり取りが拾ってきた子犬や子猫の処遇を決めかねているような雰囲気に見えた。他人事のように、仲が良さそうだな、と思う。二十代後半の同じ世代、ヤズダ神聖王国出身の同じ民族、帝国騎士という同じ身分、友達同士なのかもしれない。


 戸が叩かれる音がした。三人が明るい声で「はーい」と答えた。


「ラジーズ、ハーヴィー、エスファンド。いらっしゃいますか」


 若い女の声だった。聞き慣れない声だ。しかし、ラジーズ、ハーヴィー、エスファンド、というのは誰が誰かわからないがとにかくこの三人の名前のようなので、どのみち知り合いだろう。


「全員います」

「入ってもよろしいですか」

「どうぞー」


 戸が外から開けられた。

 入ってきた人物を見て、アシュアールは目を丸く見開いた。

 長い銀の髪、宝石のような紫の瞳、若く美しい女性――見間違えようもない、自分がさっき刺そうとした皇女ベアトリスだ。


 ベアトリスは数名の騎士を引き連れてやってきたようだ。うち二人が彼女について部屋に入ってきたが、残りは廊下で待機するのか入らずに戸を閉めた。


 改めてベアトリスを見る。

 氷のような、冷たい印象の顔だった。人形のようである。表情がなく、思考が読めない。美しいし、年齢は二十代半ばくらいだと思うが、近寄りがたく、恐ろしい存在に見えた。


 三人の男たちがひざまずき直した。そして、皇女に向かってこうべを垂れた。少なくとも形だけでも臣下の礼を取る程度の関係ではあるらしい。


 皇女が足音もなく近づいてきた。

 アシュアールは息を止めたまま彼女を見上げていた。何かを言うことも、することもできなかった。


「あなた、お名前は?」


 どうしよう。


 長髪の男が「おい、殿下のご質問だ、答えろ」と促したので、アシュアールは慌てて「アシュアールです」と答えた。


「アシュアール」


 彼女は冷たい目でアシュアールを見下ろしていた。

 だが、次の時、予想外のことを言った。


「家に帰って荷物をまとめなさい」


 アシュアールはつい「え?」とこぼしてしまった。


「あなたを帝都に連れてまいります」

「帝都で処刑するんですか」

「いいえ。ですがあなたはもうこの村では暮らせないでしょう」


 少しの間、考えた。混乱と困惑で疲労した脳はなかなか動かなかったが、少しずつ皇女の言葉を反芻し始めた。

 処刑はされない。殺されはしないということだ。

 だがこの村では暮らせない。確かに、店にはもう戻れないだろう。三人の言うとおり、目撃者がたくさんいる。自分たち親子は後ろ指をさされ、石を投げられて暮らすことになる。村八分だ。生活できない。


 皇女は、口以外はどこも動いていないように見える、まばたきすらしていないように見える顔で、淡々と続けた。


「三人が救った命です。それに今村の者たちに聞き取りをしてあなたの身の上も調査させていただきました。もろもろの事情を勘案して帝都に連れて帰ります。帝都でどう扱うかは父上様にお伺いを立てねばなりませんが、事がうまく運べば騎士団の誰かの小姓になれるかもしれません」

「騎士団の誰かの小姓?」


 這いつくばって皇女に近づく。


「仕事をくださるんですか?」


 さっきまで殺そうと思っていた相手なのに、口から出てきたのは敬語だった。


「そんなに良くしてくださるんですか?」


 彼女はしばらく黙ってアシュアールを見つめていた。感情のない目だった。


「ここで起こったことはすべて揉み消します。わたくしの視察は完璧でなければなりません」


 そう言われると、腑に落ちる。彼女が気にしているのは視察が滞りなく済むかどうかであり、捨てられた子猫同然の自分の今後ではない。

 呆然としてしまった。

 皇族は、気分と建前のためだけに、人ひとりの人生を好きにできる。生かすも殺すも彼女の都合次第なのだ。

 けれどアシュアールはこの状況を脱するには従うしかないと判断した。自分は生きてこの村から逃げなければならない。


 勇気を振り絞って尋ねた。


「あの、皇女さま」

「何です?」

「僕、家に母親がいるんですが……あの、母も連れていってもいいでしょうか……?」


 言ってから肩をすくめた。わがままだろうか、ぜいたくだろうか。視線を落として息を飲む。

 彼女は何ともなく即答した。


「いいでしょう。連れておいでなさい」


 脱力した。


「ラジーズ、ハーヴィー、エスファンド」

「はい」

「この子の護衛兼見張りとしてよろしく頼みます。家についていって、ここに連れて帰っておいでなさい」


 三人が「御意」と元気よく答えた。



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