第13話 感じた黒いものは流しておきましょう

 人というものは、心底分からない状況に陥ると笑いたくなるものなのですね。

 

 うふふふふ。

 この御方は今なんと仰ったのかしら?


 議長様、今のご発言は私が聞き間違えたことにしてよろしいですか?



 遠くの父に救いを求め、目を逸らそうとしましたが、先ににこりと微笑まれてしまいました。

 

 それでもなんとか視界の端に父の姿を捉えましたところ、物凄い勢いで顔を振り、早く断りなさいと伝えてきます。

 父はもしかして事前にこのことを知っていたのでしょうか?


 いいえ、そんなはずはありません。

 知っていたら父は私に注意を促していたでしょうし、対策も一緒に考えていたことでしょう。

 それ以前に、この議会にも参加しなくていいと言っていたでしょうから。


 

 議長様は私の返事を待っているのか、キラキラと澄んだ瞳でずっと私を眺めておりました。

 下から見上げられるというのは、こうも落ち着かないものなのですね。

 頭頂部を見下ろすことは昔から好んできましたが、見上げられることは別だったようです。


 そのように現実逃避として議長様のご発言と関係ないことばかり考えておりましたら、議長様は私が返事に困っていると捉えられたのでしょう。

 またこちらが何か言う前に、説明を付け足してくださいました。


「今している求婚について、補足しておきますね」


 あぁ、どうしましょう。

 それは聞き間違いにはさせてくれないのですね?


「まずバウゼン公爵家のあのくず……ろくでなし……レイノルドとかいうご令息殿との婚約破棄の件ですが、あの園遊会後すぐにあのくずが正式な申請書を提出しておりまして、ようやく昨日付けで承認がおりたところです。ですから、あなたは今、誰とも婚約していない状態にあります。私はそれを知って求婚しておりますので、どうか私があのくず……レイノルドと同じ考えを持つ男だと思わないでいただきたいです」


 この御方から聞いてはならない言葉を耳にしたような……

 それも何度も聞こえたような……


 私の心の平穏のためにも、気のせいということにしておきましょう。


 けれどもすでに婚約破棄が成立しているという話は初耳です。

 昨日ということならば、仕方のないことかもしれません。



「は?」



 これは私の声ではありませんでした。

 同じように聞き返したい気持ちにはありましたが、淑女として耐えていたからです。


 いいえ、耐えているというよりは。

 予測を超えたことばかり起こりましたから、考えることを止めていたように思います。


 頭が無になると、どうやら顔には常々作ってきた淑女の微笑みが戻ってしまうようです。



 そうして私がいつものように微笑みながら、私ではない声が聞かれた方に視線を向けましたところ。


 顔色をすっかり悪くされた公爵様が、議長様に向けて信じられないという顔を見せておりました。

 先までは威勢良く顔を赤らめておられましたというのに、別人のようですね。


 けれども議長様は、そちらを見ません。


「本当はもっと早くに処理し、あなたにご連絡を差し上げたかったのですが。陛下もごちゃごちゃとうるさくて、つい私も懲らしめる時間を長く……いえ、申請を通すのに少々時間が掛かり過ぎまして、この議会の前にお伝えすることがかないませんでした。ですから今日は、すぐにでもあなたにそのご報告をと考えていたのですが。こうして私を議長とは認めぬ貴族たちが勝手に証人尋問を始めてしまいましてね。これについても不甲斐なく、あなたには本当に申し訳なく思います」


 この御方は、先ほどから軽く謝り過ぎていると思うのですが。


「すぐに貴族らを叱責することも出来ましたが、今日は恥ずかしながら気が急いてしまいまして。これはいい機会だと、少しの間、傍観させていただきました。そのせいであなたに不快な想いをさせたことだけは心苦しく、後ほどどうか、私めに改めて謝罪の機会を与えて頂けますか?」


 ですから謝り過ぎですよ?

 それにまた分からないことを仰いましたね。


 気が急いた理由を、いい機会だという意味を、聞かないほうが良さそうだと思うのはどうしてでしょう?



「ど、どういうことですか、王子殿下!これでは話が違います!」


 すっかり狼狽えた公爵様は、議長様を詰るようにして言いました。



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