祭が始まる

 

 翌日、祭本番。


 夜の七時になって夜空に盛大に花火が舞い上がった。

 それが神輿が動き出す合図だった。

 神輿の進行ルートには昼の間に提灯をぶら下げられていた。

 地元の警察が交通規制をしてくれている。

 何の問題もなく町中を駆け回れば、三十分程度で神輿は神社に到達する。


 神輿の上に乗る頼斗は不安を隠すように大きく掛け声をあげていた。

 自分が抱いた不安が現実のものだとしたなら、と過る考えが心を焦らせる。

 しかし、頼斗は神輿の上に乗っているので駆け出すわけにもいかなかった。

 子供の頃から共にあった祭を壊すわけにもいかない。


 織輝という名前には昔から疑問を抱いていた。

 別にこの町は織物が盛んな町ではない。

 むしろ特産品と呼べるようなものがなく、だから若者達はこの町を離れていくのだ。


 ある時、佐脇の爺さんに一度だけ聞いた事があった。

 織輝とは当て字なのだと。

 本来は食鬼と書くのだと。


 

 巫女装束に身を包み、翼は神社の中に入っていった。

 普段は賽銭箱に近づくだけでも注意されるので、わくわくとする気持ちを抱いた。

 扉を閉めると、直前までついてきてくれていた母親が去っていく足音が聞こえた。

 翼は急に心細くなった。


 明かりが格子から差し込む月明かりぐらいでまだ暗闇になれないので奥までは見えないが、中には小さな輿があった。

 これからこの神社に訪れる神輿よりは、はるかに小さな輿。


 よく考えてみれば、そもそもこの神社の神様が何の神様なのか知らないなと翼は思った。

 初詣やお盆、年越し以外にも何かある度にこの神社に来ては賽銭箱に金を放り願い事を念じてきた。

 随分勝手な崇め方だが、今一度翼は目を閉じて手を合わせた。

 神輿が来るまでの間、自分を守ってもらえるようにと。


 目を開けた時、奥で何かが動いてる様に見えた。

 思わず声をあげそうになった翼は、手で口を押さえた。

 ゆっくりと後ろに下がり、扉に手をかける。


 開かない。


 扉がぴくりとも動かない。


 なんで!?、と声をあげた翼に奥から現れた影が飛びかかった。


 影は翼を押し倒し覆い被さった。

 両手を押さえられて、腰の辺りに乗られているので翼は足をばたつかせるものの何の抵抗にもならなかった。

 影、月明かりに照らされた赤い鬼の面をつけた人物は息を荒々しく吐いている。

 その呼吸と押さえられている手の感触から男だと判断できた。

 嫌、ともがくように抵抗する翼に対して鬼の面の男はただ押さえつけた姿勢のまま何もせずにじっとしていた。

 翼が抵抗するのに疲れるのを待っているようだ。


 翼は必死に身体を動かしてみせた。

 腰の辺りに乗る男の体重でだんだん呼吸も上手くできなくなってきていた。

 それでも翼は必死に身体を動かした。

 この男を退かして、この神社から出れば何事も無かったように事が済むと思っているからだ。

 何事も無かったように済ましたかったからだ。


 そんな翼の必死な抵抗に男は、無駄だよ、と翼の耳元で囁いた。

 男の言葉に、声に翼は絶望した。


 信じたくなかったのだ。

 信じたかったのだ。

 母親の話を。

 彼の事を。


「……オジサン、なの?」


 涙を浮かべ翼は声を震わせながらそう言った。

 鬼の面をつけた男は、翼が聞き慣れた笑い声で返事した。


 

「抵抗しないでくれ、傷付けたくない」


「なんで、こんなこと!?」


「これは伝統ある儀式なんだよ。巫女は鬼に捧げられなければならない」


 尾児が発する声は普段の温かみのある声と違い、抑揚の無い冷たい声だった。


「そんなの、昔話なんでしょ!?」


「違うよ、今も続く伝統ある儀式さ」


 翼には鬼の面が口を開けて笑っている様に見えた。


「鬼なんているわけない!?」


「いるよ、ほらここに。鬼は翼ちゃんの目の前に、ほら!」


 怒鳴るように尾児は言うと、押さえつけていた手を離し翼の胸元に手をやった。

 嫌、と叫ぶ翼の抵抗を無視し装束を強く引っ張る。

 翼のまだ幼い乳房が露になった。


「嫌ぁ、やめて!!」


 翼は尾児の腕を掴んだが、そのか細い小さな手は直ぐ様弾かれた。

 翼は必死に尾児の身体を退かそうと手を伸ばし、鬼の仮面を叩いた。

 ずれた仮面の下に見えた尾児の顔は、下卑た笑みを浮かべていた。

 尾児は舌打ちをして、翼の頬を叩いた。


「大人しく、大人しくしろよ! 儀式なんだよ、伝統ある儀式! これで町は救われんだよ! 毎年毎年、誰かが巫女になって俺にヤられてそれで町は救われてんだよ!! お前の母親だってそうだ!!」

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