第12話 切迫

 口の中に香草の香りが広がる。同時に香草と薬効の苦味が、ぼやけた意識と視界を覚醒させていく。そして、丸薬を奥歯で噛み砕いた。

 崩れるように割れた丸薬は、口の中で溶けていく。凄まじい苦味だ。。それと同時に口の中が冷たくなる。実際に冷たくなるわけではなく、冷たく感じるような刺激成分が入っているのだ。口から息を吸わなくても、鼻から吸った息が、呼吸器官を冷たく刺激してくる。

 呼吸の通りがよくなり、少しだが体温が上がってくるのを感じる。視界がはっきりとした。身体の隅々に力が沸いてくるようだ。指先の感覚も鋭敏になっている気がする。


 ルークスは大きく息を吸い込み、叫んだ。


「すまん! もう大丈夫だ。前に出るぞ」


 ガレンは盾で弾き返すようにしながら、四つ手の攻撃を防いでいた。大型の盾とは言え、上半身しか隠れない。下半身を攻撃されれば避けられないだろう。

 ただ、ルークスの突きで左の前腕と後腕が使い物にならなくなったせいか、上や横から右腕を振り回すような攻撃ばかりだったため、ガレンも攻撃を弾くことができていた。

 ガレンの左側を周るようにして前に出て、後ろにたたらを踏んでいた四つ手に、左下から右の上段に向かって斬り上げた。


 手応えはあった。大きな叫び声をあげて、四つ手が後ろに吹き飛び、そして倒れた。一呼吸置いて、追撃をというところで、横から何かが割り込んできた。

 咄嗟に前方に転がるように倒れ込み、反動でそのまま起き上がる。ルークスとガレンの間に少し小さめの四つ手が立っていた。番となるもう一匹の四つ手だろう。待機していた場所からここまで移動してきたのだ。

 無傷の四つ手。だが、小型だ。それに今は二対一だ。この状況であれば勝てると思っていたが、後ろから音がする。唸り声だ。右足の位置をずらし、無傷の四つ手を視界から外さないように音の方に視線をやる。


 先程斬った四つ手のすぐ側。更にもう一匹。一回り大きい四つ手がそこに立っていた。


「もしかして……番じゃ……なく……親子……か?」


 つぶやくような、そして言葉に詰まるようなガレンの声が、やけに大きく聞こえた。


 ルークスはゆっくりと三歩後ろに下がった。右前方五歩程度の距離に小型が、その奥にガレンがいる。そして、左十歩少々に大型と倒れた四つ手がそれぞれいる。視線を動かさずに全体を見ることができる位置に付いたのだ。

 呆然としているガレンが見える。このままだと小型に襲われたとしても、すぐに傷を負ってしまいそうだ。ただ、幸か不幸か、二匹ともこちらに視線を向けている。どうやらもう一匹を倒したのが俺だということを理解しているようだ。


 覚悟を決めろ。ルークスは自分自身に言い聞かせる。二匹を相手取って無事に済むとは思わないが、ガレンが自分を取り戻すまでなんとか時間を稼ぐ程度であれば、何とかできるかもしれない。いや、できるはずだ。

 時間の流れが遅い。いや、そんな気がしているだけだろう。ルークスはこれまで経験したことが無い程に集中していた。


 剣を持ち替える余裕はないだろう。左手をそっと右腰に寄せ、ナイフを抜く。そのまま、右の肩紐を切り落とした。

 左肩に負荷がかかるが、走る勢いで腕を抜き、叫んだ。


「ガレン!!」


 何かを説明する余裕はない。背負い袋は地面に落ち、ルークスはそのまま大型の四つ手に向かい走り出した。

 大型に後ろから襲われるのが最も危険だと判断した。右手に長剣を、左手にナイフを握り大型に迫る。視界の端で小型も動いた気がした。ガレンはわからない。

 大型は一瞬体を沈めて重心を下げ、前腕も地面につけ、になってこちらに駆けてくる。


 早い。


 距離が縮まる。

 たった数歩しか走っていない気がする。実際にルークスは五歩も駆けていなかった。それにも関わらず、あと一歩でぶつかってしまう。そんな状況が目の前に見える。


 踏み出した左足が地面に着いた瞬間に、右側に飛ぶように倒れ込んだ。


 風。

 横を通り過ぎていく。


 無茶な倒れ方をしたが、二回ほど転がり立ちあがろうとするが、目の前に小型が迫っていた。


 小型は左の前腕後腕の二本を振りかぶっていた。咄嗟に長剣を振り上げるように叩き付けた。

 硬い感触が剣から伝わる。手応えはないが、腕の攻撃をずらすことができたようだ。そのまま体勢を立て直し、小型の右側へ回るように足を踏み出した。


 大型。迫っていた。

 後ろに跳ぶ。中腰で着地。


 小型。正面。

 左に転がる。

 起き上がりと同時に剣を振る。小型が後ろに飛び退った。


 一瞬の静寂。


 ナイフをしまい、剣を両手で握った。手数を増やすつもりでナイフを抜いていたが、手数どころか、ナイフを使った防御の余裕さえなかった。両手で剣を構えなければ、そのうち剣を叩き落とされそうだった。


 どう動くべきか。

 迷っている間も無く、小型の横から大型が駆けてきた。


 これも地面に飛び込むようにして躱す。そこに小型。何とか剣で弾くことができた。同時に大型の突進。またしても地面。小型。剣。


 三度ほど同じ展開を繰り返して、少しだけ距離が空いた。

 息が保たない。攻撃もできない。あの突進が厄介だ。あれは剣では止めることができない。何という連携だ。灰狼の連携の比ではない厄介さだった。


 どうやって攻撃すれば良いのか。いや、あと何回避けることができるか。そちらに考えが流れていく。このままでは確実にやられる。

 可能性は低いが、突進してくる大型に、相打ち覚悟でこちらも攻撃するしかない。運が良ければ、大型の後腕より先に剣が届くかもしれない。


 突き。


 これしかない。著しく可能性は低いが、賭ける以外にないだろう。

 剣を腰だめにして待ち構える。


 自分の息の荒さがわかる。疲労だけではない。極度の緊張が身体に空気を求めさせているのだった。

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