第8話 離合

 常にどこかに意識があるような、浅い眠りだった。いつも以上に敏感になっていたようだ。焚き火の枝から出る音にも意識が引かれてしまう。それでも一刻半は休めていただろうか。たとえ座ったままだとは言え、多少は身体を休めることができたはずだ。

 世界には人の殺気や気配に敏感に反応できる者たちがいるらしいが、そんな達人や超人の域に達することはできない。決して若くはないが、自分の意志と体力にすがるしかない。それが現状だった。


 声。ベートとガレンだ。二人ともささやくような声だ。ルークスを起こさないようにするためだろうが、どちらも理由は違うだろう。


「……ダメだ。それは許さない」

「なんでだよ? もう良いじゃねえか。さっさとやって街に戻れば良い。別に見てる奴なんかはいねえよ」

「それで許されると思うのか? そもそも一日二日程度だ、我慢すれば良いだろう」

「我慢する必要なんか無えだろうが。このおっさんが消えても、どうせ誰も困りゃしねえよ」

「そういう問題じゃない。悪いが俺はもうお前に付き合うことはできない」

「……それはパーティーから抜けて、俺の敵になるってことか?」

「そう思われても良い。理由もなくあの人を襲うくらいなら、お前の敵になろう」

「てめぇ……」

「やめろ。今行くならば、俺も騒ぎたてるつもりはない。二対一になってまでやるつもりはないだろう?」

「ほぉ、そうかそうか。わかった。お前はまた一人寂しく組合で無駄に突っ立ってるんだな」

「また新しく探すさ」

「へっ、誰がお前みたいな堅物と一緒に組んでまで仕事をしようと思うんだよ? せっかく俺が使ってやろうってのによ」

「一人でもなんとかする」

「それができないから、組合でずっと一人でいたんだろうが」


 ガレンはそれきり黙ってしまったようだ。目を開けているわけではないので、表情は見えない。


「けっ。もう良い。二人共野垂れ死ね」


 足音が聞こえる。遠ざかっている。どうやらベートは一人で街に向かうようだ。この暗闇の中だ。いくら多少開けている川沿いでも、星明かり程度ではどうしても見えない段差がある。せめて松明でも持っていれば違うのだろうが、どうなのか。

 顔を正面に上げて、ベートが行った先を見るが、目の前の焚き火以外に明かりは見えない。空の星明かりでは役に立たないだろう。


「バカな奴だな。せめて適当な薪に火をつけて行くなりすれば良いのにな」

「起こしてしまったみたいだな。すまない」

「別に良いさ。そろそろ交代しても良い時間だろうしな」


 ガレンの方は見ずに、立ち上がり、身体を伸ばす。水筒から水を一口だけ飲み、器に水を入れ、焚き火に吊るす。ついでに干していた下着類を確認し、乾いている様子だったので、背負い袋にまとめて突っ込んだ。


「どこから聞いていたんだ?」

「なんとなく、薄っすらとだが声が聞こえていた気がしたな。しっかりと意識が覚醒したのは足音が聞こえてからだ。それで顔を上げたら、あいつが歩いていくところだった」

「……そうか」


 気を使ったのがわかったようだ。だが、ガレンはそれに対して何か言うでもなく、ベートが座っていた岩のところまで移動して、そのまま身体を預けた。


「それでは俺も休ませてもらう。すまないが、何かあれば声をかけてくれ」

「ああ。朝までは移動するつもりも無いし、気にせずに休め。警戒するなとまでは言わないがな」


 少しだけ苦笑して、ガレンはそのまま顔を膝に埋め、眠った。眠ったように見えるだけかもしれない。

 温まった湯を口に含む。火は小さくなっていない。薪も無駄に使われているわけでは無さそうだ。ガレンが適度に薪を足していたのだろう。ベートもと言っていたが、几帳面な性格がよく分かる。こちらに背を向けずに、ルークスの正面にあたる位置に座ったのも、襲撃された際に一箇所に固まっていると被害が拡大する可能性があることや、横にならずに身体を預けやすい場所であることを考慮してだろう。

 その辺りの、複数人での旅の基本とも言えることを守っているのは、好感が持てる。ベートはそんなことを考えずに、ルークスが信用できなかったから正面で動きが見える位置に座ったのだろう。ガレンにもそんな意識があるかもしれないが、そんな意識があればベートなどとはパーティーを組まないだろう。

 少しずつ湯を飲み、量が減ったら水筒の水を足し、また火にかける。身体を温めるように、少しずつ繰り返し飲み続ける。途中、一度小便に立ったが、特に何が起きるわけでもなく、その場で空が白むのを待った。


 空が少し白んできた頃、残りの薪をすべて焚き火に突っ込んだ。

 剣を持ち、背負い袋から乾いたボロ布と下着を取り出し川へ向かった。服を脱ぎ、裸になり、水を浴びる。身体の芯まで凍えそうな冷たさだ。痛みのような鋭い冷たさを感じたのも一瞬のこと、身体の奥底は逆に熱くなってくる。身体を擦り、水の中に潜って頭を洗う。水から頭を上げ、焚き火の方を見るが、ガレンに動きは無さそうだ。もう一度水の中に潜り、頭を洗った。岸に上がり、ボロ布で身体を拭く。濡れている方が寒いはずなのに、身体を拭いていくほど寒さを感じてくる。擦るように強く拭き、さっと下着と服を身に着けた。

 焚き火に戻るとガレンは目を覚ましていた。


「起きたか。まだすぐには出ないが、そろそろ夜が明ける」

「ああ。わかった。少し顔を洗ってくる」


 そう言って、億劫そうに立ち上がり川へと向かっていった。

 器に入れていた水を見ると、しっかり沸いていた。そこにポーチから出した茶葉を入れた。最後の一つまみだった。水浴びをすることができたら飲もうと決めて、ずっと残していたものだ。それをしばらく煮出すようにして茶を沸かしていく。

 残り2つの器それぞれに、パンと肉、香草、水を入れる。これで手持ちの食料はすべてなくなる。こちらも煮えるまでしばらく待った。

 茶が煮出された頃にガレンが戻ってきた。沸いた茶を盃型の器に少し分け、ガレンに差し出した。


「すまない」


 茶は少し濃すぎた。それでも数日振りに飲んだ茶だ。水浴びをした後だから、余計に身体に沁みてくる。


「まさか茶が飲めるとはな。野営中に茶を飲んだのは初めてだ」

「普段は調理はしないのか?」

「俺は得意ではなくてな。ベートと組んでからも、あいつも料理はしなかったから、湯と干し肉程度だな。その前のパーティーも料理するやつはいなかった。そもそも野営をするような依頼はあまりなかったが」

「なるほどな。ところで今日はどうするんだ? 街に戻るんだろう?」

「ああ、依頼については期間があるから、まずは一度戻るつもりだ」

「一人で戻れるのか?」

「ああ。この川を真っ直ぐいくだけだろう? 特に困ることはないさ」

「戦闘は?」

「……大丈夫だ」

「その盾と槍で、囲まれても大丈夫なのか?」


 ガレンは言葉に詰まった。上半身が隠れるような大きな盾と、身長より少し短い槍。攻撃を防ぎながら、槍で突き刺していく、集団で戦う兵士のような攻撃方法なのだろう。一対一の対人戦闘や、複数人で役割分担をして戦うのであれば強いが、いくら多少は開けた川沿いとは言え、森のような場所で戦うには不向きだ。ましてや、複数の魔物に囲まれたら、一人では対処しきれないだろう。


「どうせ目的地も同じだ。出発時間を分ける理由も無い。問題がなければ街まで一緒に行くか?」


 ガレンは目を見開き、驚いている。


「同情しているなら……」

「別に同情しているわけじゃない。俺自身、常に一人で行動したいわけじゃない。盾役が居た方が安全に街まで着けるしな」

「そうか……」

「完全に信用したわけではないし、パーティーを組もうという話でもない。臨時で一緒に行動するだけだ。それなら気楽だろう」

「すまない、恩に着る」

「別にそれはお互い様だ。恩に着るならこっちに頼む」


 そう言って、ルークスはパン粥の器を一つ差し出した。


「これは……」

「もちろん俺の分はある。俺が昼飯にしようと思ってたものをやる。それが最後の食料だ。しばらく一緒に行動するんだ。空腹で動きが鈍くなっていたら互いに足手まといだからな」

「……感謝する」


 ガレンはうつむきながら、パン粥をかき込み始めた。

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