第4章 永き願いの果て

残り続けた願い

第33話 巨体の化生

 守親が『何か』と対峙した頃、紗矢音はあと少しで内裏の門というところまで来ていた。遠くに篝火が見え、安堵したいのを我慢して走る。

 そんな中、風に乗ってわずかに悪意を持った霊力波動が紗矢音の体を打った。ふと足を止め、紗矢音は内裏の方を見上げる。すると見上げた先にある内裏からは、二つの力の光が見えた。

(兄上? それから……これは、誰?)

 一つは知らない気配だ。守親の力は力強くて暖かいが、もう一つは鋭利な刃物を思わせる強さがある。

「急がなくちゃ」

 紗矢音は内裏の門を守る門番の目を盗むため、塀際に植えられた木をよじ登る。門番も内部の様子が気になり気もそぞろだったが、警戒するに越したことはない。

 木の上から塀の縁を掴んで体を跳び移らせると、紗矢音はそっと内側へと下りた。音を極力抑え、さっと周りを見渡す。

「──あっちか」

 より強い灯火ともしびのともる方へ、紗矢音は足音を気にせずに走り抜ける。そして見たのは、衝撃と動揺と唖然に支配された天照殿だった。

「何、これは……?」

 紗矢音が見たものは、右往左往する人々、または逃げ惑う人々、そしてあまりの出来事に驚き固まってしまった何人か。更にその奥に、天照殿での膠着状態があった。

 御簾の裏であったはずの場所で、壮年の男が腰を抜かしている。彼の直衣は他の人たちに比べて格別上等で、彼が帝なのだろうと察した。帝の傍にはへっぴり腰ながらも彼を守ろうと刀の柄に手を掛ける男が見える。

 彼らの更に前に、守親がいた。彼は既に抜刀しており、桜色に仄かに輝くそれの切っ先を誰かに向けていた。紗矢音のいるところからは相手の背中しか見えないが、守親が窮地に陥っていることだけは理解出来る。

 紗矢音は危険を顧みず、手にしていた桜守の刀を抜く。

「──っ、兄上!」

「馬鹿野郎、来るな!」

「うっ!?」

 叫ぶ紗矢音は、守親に罵倒されて一瞬動きを止めた。そして目の前を刃物が通り抜けるのを見る。もしもただ駆け出していたら、考えてしまった紗矢音の背を冷や汗が伝った。

 一閃させた舞姫は、全くそう思っていない顔で「あら、残念」と笑った。

「始末出来れば後が楽だったのに……。まあ、仕方がないですね」

「あなたは……?」

 舞姫の衣に身を包み、微笑む姫君。その美しい容貌に気圧されつつも、紗矢音は紫を基調とした衣をまとう彼女に問いかけた。

 すると舞姫は唇で弧を描き、細く長い指を口元にあてた。

「そういえば、お会いしてはいなかったわ。わたくしは、章。あなたには真穂羅の主の一人だと言った方がわかりやすいでしょうね」

「真穂羅の!? じゃあ、あなたがこの国を……?」

「本来ならば、我らの一族が継ぐはずだった。それを横取りしたのはお前たちだろう。我々は、あるべき姿へと全てを戻すだけ」

 そうでしょう、と章は帝を見下ろす。対する帝は顔面蒼白で、真面に応対出来るような状況にない。彼を守る側近も口を利けず、他の貴族たちはもっての外だ。

 下手に動けずにいる紗矢音と守親。二人以外を脅威と判じなかったのか、章はおもむろに己が呼び出したそれの毛深い前足を撫でてやる。

「お前たちがわたくしたちをどう思おうと、それは詮無い事。……だって、あなた方はこの子に殺されるんですもの」

「――ぐるるっ」

 章が「この子」と呼んだそれが、一歩ずつ前に歩き出す。ずしん、ずしんと建物を震わせ、今度こそ儀式のために集まっていた貴族たちが蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

「……大きい」

 紗矢音の呟きの通り、それは大きい。高さはゆうに天照殿の屋根の高さまであり、太く黒い毛に覆われた脚が踏み締める度に地面にひびが入った。姿は狼に似て、太く鋭い牙が口から覗いている。闇に沈んだ瞳が紗矢音を捉え、雄叫びを上げて飛び掛かって来た。

「なっ!?」

「大姫、動くなよ!」

 このままでは踏み潰される。命の危機を感じて動けずにいた紗矢音の前に、守親が飛び出して来る。彼の広い背中に守られた途端、守親の霊力が爆発した。

「桜花秘伝――守壁断絶」

「ガウッ」

 突如として現れた透明な壁に阻まれ、化生は悔しそうに顔を歪める。その隙を突き、我に返った紗矢音が跳躍して斬りかかった。

「やあっ」

「グルッ……」

 化生も簡単には斬らせず、咄嗟に顔を上げると大口を開いた。そこに落ちるのかと身を固くした紗矢音だが、化生の目的は違う。喉の奥から霊力の風を渦巻かせ、空中の紗矢音に向かって放ったのだ。

「なっ」

「大姫、秘伝を使え!」

 宙で逃げることも出来ずに衝撃を覚悟した紗矢音に対し、守親が叫ぶ。

 守親が言った意味を正確に理解し、紗矢音は振り下ろした刀をくるっと一回転させた。再び上段の構えをして、風をも斬り裂くつもりで斬撃を浴びせかける。

「桜花秘伝――風桜斬ふうおうざん!」

 紗矢音の刀を中心に風が巻き起こり、化生の風と真正面からぶつかった。どちらが押すかわからずにいたが、徐々に紗矢音の風が優勢になっていく。

 自分が劣勢に立たされていることに気付いたのか、化生の吐く風の強さが増す。

「グ……グオオォ」

「わたしだって、負けるわけにはいかないっ」

 風と風の境界で、紗矢音と化生は睨み合う形となった。その時、紗矢音が「うまくいく」と思ってはいけなかったかもしれない。化生の風が更に強さを増し、空中で何も掴むことの出来なかった紗矢音が飛ばされて地面に叩きつけられそうになった。

「――危ない」

 守親が霊力で創った壁が紗矢音を助け、ゆっくりと地上に降ろしてくれる。

「ありがとうございます、兄上」

「構わない。……ところで、お前は明信に会ったか?」

「? いえ。恐らく入れ違いかと……兄上?」

「じゃあ、明信は何処に?」

 再び嫌な予感がして、守親は迷いを振り払うようにさらに大きな障壁を展開させた。そして紗矢音と息を合わせ、渾身の一撃を繰り出すのである。

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