第30話 桜吹雪よ、舞い上がれ
宙に浮かぶ真穂羅には、一寸の隙もない。
紗矢音は桜音に抱き締められていることへの喜びと緊張を感じながらも、この場が戦場と化す気配を感じていた。
「……桜音どの」
「大姫、きちんと伝えなくてごめん。もうひとつ伝えなければならないことがあるけど、それはこの戦いを終えたら」
桜音は目を臥せ、それから唐突に紗矢音の額に唇を近付けた。
「……っ」
「……? ──えっ!?」
あたたかくて柔らかな何かが触れ、紗矢音は一瞬でこれ以上ない程に赤面した。胸が張り裂けそうに痛み、反射的に額に手を置こうとして躊躇う。額が熱く、熱を発する。
紗矢音が硬直していると、桜音はわずかに頬を染めた後に彼女に背を向けた。
「行くんだ、大姫。桜舞が始まるまで、それ程時がない。桜舞は、僕にとっても特別なものだから。……走って」
「でも……っ、必ず迎えに来て下さい!」
「うん。約束するよ」
絶対ですよ。紗矢音は念押しすると、後ろ髪を引かれる思いで駆け出した。目指すのは、桜舞が行われようとしている内裏。
(必ずやり遂げて、ちゃんと言わなくちゃ。……桜音どののことが好きだって)
それを告げるまで、諦めるわけにはいかない。桜舞も、千年桜を呪から救い出すことも。
始めは仕方なくだった桜舞だが、桜音がそれを力に変えるならば話は別だ。彼の力を取り戻す手伝いが出来るかもしれない、と紗矢音は駆ける速度を上げた。
紗矢音が離れるのを背中に感じながら、桜音は目の前に浮かぶ青年を見上げた。
「待っていてくれるとは思わなかったな」
「今生の別れだろう? 最期なのだから、情けをかけるくらいのことはしてやるよ」
意外だと微笑む桜音に向かって、真穂羅はふんっと鼻を鳴らす。せせら笑いながら彼が言った言葉に、桜音は眉をわずかに動かした。
「最期になんて、するつもりはないよ」
「そんなこと言っていられるのも、今のうちだ。後で命乞いしたところで聞く耳は持たないぞ?」
「こちらの台詞かな」
「……小賢しい奴」
真穂羅がくるっと人差し指を回すと、空中に穴が空く。そこに手を突っ込むと、 ズルズルと真っ黒な刀が引き出された。その刀を構え、真穂羅は高圧的に笑う。
「これで、お前を八つ裂きにしてやる」
「その刀は……ぐっ」
「千年桜の力はそんなものか?」
他愛もない。真穂羅は勢いよく叩きつけた刀に更に力を加え、じりじりと桜音を追い詰めて行く。
桜音は奥歯を噛み締めると、背後に迫っていた壁に足の裏をつけた。踏ん張って体を支えると、少しずつ腕に力をかけていく。
「その刀、この世のものではないな?」
「ご名答。流石、千年生きてきた桜の化身だな」
真穂羅は驚くことなく笑うと、弾かれた刀を構え直した。その時、切っ先が生き物のように動く。
「えっ」
桜音が驚くのも無理はない。真穂羅は刀を後ろ手に構えているのだから、刃だけが動くはずもないのだ。それにもかかわらず、真っ黒な刃だけが伸びて桜音に襲いかかった。
刃は複数に分かれ、雨のように降り注ぐ。
「……っ、はぁっ」
背後から襲って来た刃を躱し損ねて肩を切られたが、大きな傷ではない。桜音は気迫と共に刀で正面からの刃を弾くと、更に右と左から来るものを退けた。
「──っ、キリがない」
更に分裂した刃は桜音を容赦なく傷付け、更に溢れ出すように降る。その雨の中を逃げ回り、首を狙って来た刃を弾き返した。
更に背後から突っ込んで来た切っ先の一本を両断すると、桜音は「はあっ」という気合と共に数え切れない斬撃を繰り出す。それが止んだ時、彼に殺到していた刃という刃が斬り刻まれて飛散した。
「……へえ、やるな」
散っていく己の刀を見詰め、真穂羅は感心したように頷く。そして、ふと何かに気が付いて嗤った。
「……なんだよ、あれで終わりか?」
「――ッ。うる、さい」
かはっ。桜音は喉を押さえてうずくまると、息が詰まるのを感じて首を掴む。
(息が出来なくなってきている? くそ、これも……)
わずかに残る息の通り道が塞がれないことを願いながら、桜音は余裕綽々で自分を見上げる真穂羅を睨みつける。そこに諦めの色はなく、死への覚悟もない。あるのは、生き抜くという意志だけである。
「気に入らないな。俺の呪が強くなっているのに、それに抗って来る。……もっと強くしないと息根は止められないか?」
「――ぐっ」
真穂羅が拳を握ると、桜音の首にまとわりつく『呪』がうねる。それが何度も気道を塞ぎ、その度に桜音は息苦しさに胸を焼いた。
「――くっ」
「何っ!?」
このままではいけない。起死回生を狙った桜音の一手は、斬撃となって真穂羅を襲った。
不意を突かれ、真穂羅が体勢を崩す。そこにもう一押し、桜音は渾身の力を籠めて刀に霊力を乗せる。桜吹雪をまとい、それは薄紅色に染まる。
「――負けない。ただ、願いのために」
願うのは、共に生きたいと願う大切な存在たちと共にいること。例え今この一瞬が千年桜にとっての一瞬であっても、もう構わないと思った。
桜吹雪の隙間から、真穂羅の目を見開く顔が見えた。それはそれは明瞭に、こちらに来いとでもいうのか。
「――っ、くそっ。必ずお前を倒す……真穂羅!」
「――っ、やれるものならやってみやがれ!」
真穂羅もまた、この急展開を追う。再び力を籠めて刃と成し、斬りかかって来る桜音と相対した。
――ザンッ
二つの刃が交わり、何かを斬り裂いた。
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