桜舞う夜の儀式

第28話 桜舞当日

 晴れ渡った空には雲ひとつなく、格好の日和となった。その日は朝から邸全体が慌ただしく、守親は呆れ顔で桜のもとにいた。

「守親、何もしなくて良いのかい?」

「桜音どの。……俺みたいなのは、何も手出ししない方が無難なんですよ。あれは女たちでなければわからない」

 肩を竦め、守親は隣に立つ桜音に苦笑を見せた。守親の言葉を示すかのように、邸からは珍しく賑やかな声が聞こえる。

 桜音は小さく微笑み、几帳の裏でごった返しているであろう様子を想像する。

「今日だったね、桜舞は」

「はい。春をことほぎ、新たな日々を送ることが出来ることに感謝する祭です。毎年のように内裏で行われています」

「僕も、昔はよく見に行った。それは素晴らしい舞を見せてもらっていたよ」

「桜舞は、千年桜に捧げるものでもありますから。……それはそうと、桜音どの」

「どうかしたかな?」

 桜音よりも守親の方が頭ひとつ分背が高い。桜音が守親を見上げると、守親は真剣な顔をして口を開く。

「俺そうだったんだねと以前おっしゃっていた意味を、教えていただきたいのです」

「……そう、だね。頃合いかな」

 初めて桜花秘伝という技を使った後、桜音の言った言葉の意味。守親がずっと気になっていたそれを彼が口にした時、桜音は少しだけ辛そうな顔をした。

「桜音どの……?」

 無理に聞くのはどうかと思い、守親は前言を撤回しようと試みた。しかし桜音は首を横に振り、良いんだと笑う。

「桜花秘伝。あの力を目にした時から、二人には伝えなければならないと思っていた。……きっと、それがこの戦いの鍵になる」

「それは……」

 桜音が数歩前に出て、くるりと振り返る。それだけで絵になる桜の化身の青年は、守親を真っ直ぐに見詰めた。

「守親と紗矢音、きみたちは――」


「兄上っ。……って、桜音どの!?」

 それから半刻ほど後、几帳の裏から逃げ出してきた紗矢音が簀の子に立った。兄が桜のもとにいることは知っていたが、桜音が共にいることは想定外だったらしい。

 顔を赤くして右往左往している紗矢音に、桜音は優しい眼差しを向けた。

「よく似合ってる。それが、今夜の?」

「は、はい。桜舞で着る衣の合わせをしていて、あまりにも長く拘束されるので兄上のもとに逃げようかと思ったのですが……。まさか、桜音どのまでいるなんて」

 紗矢音が身にまとうのは、桜舞の名に相応しい桜のかさねの下に括袴を穿いた独特の衣だ。襲も唐衣裳からぎぬも程枚数は重ねず、軽めの印象がある。

 長い黒髪は首の後ろで一括りにし、垂らす。顔の周りがすっきりとしながらも、豊かな黒髪が柔らかく揺れた。

 桜音に褒められて更に照れてしまった紗矢音に、桜音が話しかけている。そんな二人の様子を可愛らしいなと眺めつつも、守親は頭の片隅で考えていた。

(桜音どのが言ったことが真実なら、俺と紗矢音は……。桜音どのは自分で紗矢音には伝えると言っていたが)

 桜音と話す時、紗矢音は顔を真っ赤にしつつも本当に嬉しそうにしている。その表情の意味が分からない程呆けているつもりのない守親だが、彼女が事を知った時の反応が怖くもあった。

(本当のことを知った時、お前は傷付かないだろうか……?)

 守親でさえ、衝撃は免れなかった。そして同時に納得もしたのだが、未だに戸惑いもある。

 しかし、こればかりは紗矢音自身が受け入れて乗り越えるしか術がない。

 守親は紗矢音たちに気に止められないように吸った息を吐くと、ゆっくりとした足取りで二人に近付いて行った。

「大姫」

「あ、兄上……」

「桜音どのの言う通り、よく似合ってる。流石は俺の妹だな」

「兄上まで……。う、嬉しいですけど恥ずかしいです」

 頬に手を添え、耳まで真っ赤に染める紗矢音。舞うためのものとはいえ、新たな衣に袖を通すことが出来るのが嬉しいらしい。

 しばし照れていた紗矢音だが、ようやく胸に手を当てて深く息を吸う。そして吐き出すと、真っ直ぐな目をして桜音と守親を見詰めた。

「精一杯、やってきます。……見てて、くれますか?」

「勿論。誰よりも、紗矢音を応援しているから」

「ああ。お前が頑張ったのは俺も桜音どのもよく知ってるから、気の済むようにやって来い」

「――ありがとうございます」

 二人の温かい心遣いを貰い、紗矢音は改めて笑みを浮かべた。


 衣装合わせが終わると、紗矢音は一時解放された。衣を狩衣に着替え、桜守の刀を手に庭へ下りる。守親は内裏へ戻ったが、桜音が当然ながら庭に留まっている。

「桜音どの、真穂羅との戦いに供えたいので相手をお願いします」

「わかった。……それが終わったら、僕に少しだけ時を貸してくれるかな?」

「え?」

 思いがけない申し出を受け、紗矢音は目を丸くする。そして少し切なげに歪んだ桜音の顔を見て、言葉を失う。

「桜音ど……」

「さあ、始めようか」

 紗矢音の言葉に被せ、桜音は鍛錬の開始を告げた。桜舞のために屋敷を出るまで、時はあまり残されていない。

 一抹の不安を感じたものの、紗矢音は一度気持ちを切り替えた。今すべきことは、不安がることなどではないはずだ。

「――お願いします」

 今すべきは、桜音を守れる自分になること。紗矢音の決意を籠めた刃が昼の光に閃いた。

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