桜舞は刀に宿る
第19話 舞い手の姫
紗矢音たちと情報交換をした翌日、休んだ方が良いと言う妹たちを振り切った守親は内裏にいた。怪我はまだ疼くが、直衣を着ていれば誰からも悟られることはない。
内裏にいる者たちは、ほとんどが貴族だ。彼らは血を
「全く、あいつらは俺たちを何だと思っているんだ」
「貴族の癖に血を負いに行く、頭のおかしな奴らとでも思われてるんだろうな」
「明信」
巻物の積み上がった塗籠で整理に没頭していた守親は、背後から聞こえた返答に驚き振り返った。明信は塗籠の入口に背中を預け、こちらを見て苦笑している。
「お前、そんなこと表で口走ったら、それこそ嫌みの一つでも言われるだろうが。ここだけにしておけよ」
「わかっているよ。俺も、気絶しているわけにはいかないからな」
わずかに巻物を掴む指に力を入れ、守親は自嘲気味に呟いた。
明信は肩を竦めて回り込み、友の思い詰めた顔、その額に向かって指を向ける。パチンと音がして、痛みに驚いた守親が顔を上げた。
「痛っ……何をするんだ」
「独りで思い詰めるなよ? 俺や大姫、それに桜音どのもいることを忘れるな。俺たちは、お前が思っているよりもお前を頼りにしているし、頼られたいと思っているんだ」
「……ああ、そうだな」
額をさすり、守親はぽかんと明信を見詰めた。そして、明信の真剣な顔を見てから吹き出してしまう。
「おい」
「いや、すまない。何だか、笑いたくなって……くくっ」
「全く、仕方のない奴だな」
仕事中にもかかわらず、守親は笑いが止まらない。彼の目の端に浮かぶ涙が笑い過ぎによるものなのかそうでないのか、明信には判断がつかなかった。
「そういえば、整理が終わったら顔を見せて欲しいと帝がおっしゃっていたぞ」
「帝が?」
棚からこぼれ落ちそうな巻物を整え、これで仕事は落ち着いたと息をつく。そんな時に思わぬことを言われて、守親は目を瞬かせた。
明信は師の正輝と共に帝の覚えめでたく、よく
職場に巻物やその名簿を持ち帰った後、守親の足は天照殿へと向いていた。
内裏の中でも最も神経を使うこと区域は、守親にとって苦手な場所だ。誰もが他人の顔色や思考を窺い、いつ足元を掬われるかわかったものではない。それでも帝という何者にも代えられない存在は大きく、彼に目をかけられていることは守親の誇りでもあった。
(そういえば、そろそろ桜舞の季節か)
天照殿の庭に植えられた桜の木々が白や薄紅、黄緑の花をつけている。それらを眺めて歩きながら、守親はふと目元を弛ませた。
桜舞とは、都で春に行われる大祭にて舞われるものだ。千年桜に感謝の念を伝え、子孫へと繋ぐために行われる。
昨年、桜舞の舞い手の一人に紗矢音が初めて選ばれた。桜守の家に生まれた娘は、裳着を終えると必ず一度は選ばれることになる。
紗矢音は他数名の娘と共に長袖の単と短めの袴を身に着け、桜の枝を髪に刺して舞い踊った。その
普段見ることのない、紗矢音の
今年も恐らく、素晴らしい舞台となるだろう。そんなことを考えて歩いていたためか、守親は
守親は何ともなかったが、少女はぺたんと尻もちをつく。怪我をしていないか、と守親は慌てて手を差し伸べた。
「申し訳ない。大事ないか?」
「こちらこそ、申し訳ございません。大事ありませんわ」
素直に守親の手を取ったのは、目の覚めるような美しい少女だった。黒髪が日の光に映え、重ねられた単は
何処かの貴族の姫君だろうか。姫だとして、几帳の裏にいないとは珍しい。
色々と考えていた守親は、不思議そうに自分を見詰める姫君に気付き咳払いする。
「──こほん。すまない、少し考え事をしていたんだ」
「いいえ、お気になさらず。……あなたは、桜守の方ですよね?」
「そうだが……失礼ながら、きみは?」
本名を尋ねたわけではない。名前には呪が宿り、名を知ることはその人の命運を握ることに等しい行為だ。そして名を呼べば、互いを縛る鎖となる。殊に、女の名は。
守親はそんな迷信を信じているわけではない。しかしながら、言霊というものは馬鹿に出来ないと考えるのみだ。
守親の問いに、姫君はくすっと微笑んでみせた。
「わたくしは、今年の桜舞の舞い手の一人ですわ。以後、お見知り置きを。──桜守、守親どの」
「……宜しく、舞い手どの」
挑戦的な瞳に感じるものがあり、守親はわずかに警戒を乗せて微笑んだ。心を許してはならない、という助言の声が聞こえた気がした。
「では、失礼致します」
そそと渡殿を歩いて行く姫君を見送り、守親もまた帝のもとへと踵を返した。
守親が角を曲がったのを見計らい、
「少しは印象付けられたかしら。さあ、舞いましょう。……滅びへ
手にしていた扇を開き、章は舞での仕草を確かめるように簡単に手を動かした。誰も居はしないが、その姿は牡丹の大輪が咲くように美しい。
(呪をかけることは、出来ないようね。流石は希代の陰陽師……の弟子といったところか)
あの場で命を絶つことも出来たが、陰陽師の
章は足音もなく几帳の裏に姿を消したが、その横顔には絶えず笑みが貼りつけられていた。
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