第9話 明信の過去

 ――ガサリ。

 鬼門の方角に置かれた社。それが廃されてから、一体どれほど経ったのだろうか。

 明信は一人、社に戻って来ていた。守親と紗矢音の兄妹と訪れた翌日のことである。

 昨日は先に化生に襲われたために行くことは出来なかったが、社の背後には広大な鎮守の森があった。そこに足を踏み入れることが、今回の目的だ。

 森は何十年何百年と時を使って育って来たと思われる木々に覆われていた。とはいえ日の光を遮るほど密集しているわけでもなく、穏やかな森に思えていたはずだった。しかし一歩ずつ足を進めるごとに、疑問は確信へと変わる。

(何故、鳥の声が全く聞こえない? それどころか、気配すらない)

 鳥に限らず、生き物全ての気配がない。これだけ広大な森であれば、虫がどれだけいてもおかしくないし、鳥も小動物もいるはずだ。熊がいても狸がいても驚きはしない。それにもかかわらず、自分以外の息が感じられなかった。

 明信は困惑し、霊力を研ぎ澄ませる。霊力を放つと、風もないのに明信の髪と狩衣の布が揺れた。

(何が、ある? ここで奴は何をしていた)

 人よりも少し霊力の多い明信は、幼い頃から他の人とは違った。

 聞こえないはずのものが聞こえ、見えないはずのものが見えた。死んだはずの男の姿を見、黄泉ノ国と呼ばれるこの世の裏側の生き物を知覚した。

 そんな特殊な性質がオカシイのだと知ったのは、明信が十歳になってすぐのことだった。同年代の子どもたちと遊んでいた時、偶然この世ならざるものを見た。それは、友人の一人が去年なくなったと言っていた祖母の姿。

 ――ねえ、きみのおばあさま。すぐ傍できみのこと見守ってるよ?

 ――何、言ってるの? 怖い。

 その少年は恐怖を顔に表し、近くにいた他の少年少女も怯えた様子を見せていた。当時、明信には何故彼らがそれ程恐怖するのかわからなかった。

 しかしその後、彼らが明信と遊ぶことはない。

 その代わり、傍にいたのは守親だった。

 ――お前、面白い奴だな。

 ――俺は、恐ろしい奴らしいぞ。お前も、一緒に居たら何を言われるか……。

 ――俺は桜守になるんだ。そんなもの、怖い内に入らないよ。

 ――……そっか。

 それから二人は共にいることが増え、やがて守親の妹である紗矢音も加わるようになった。彼女は物怖じせず、明信にも懐いてくれた。

 ――明信兄上は、怖くなんかないよ? 兄上と一緒。

 ――ありがとう、紗矢音。

 裳着を終え、今は「大姫」としか呼ばない少女。彼女の無邪気さと姫らしからぬ豪胆さには何度も助けられて来た。本人はそんな気はないのだろうが。

 守親と紗矢音。この二人は明信にとっての光だ。誇張でも何でもなく、明信を救ってくれた恩人なのである。本人たちに言うことは絶対にないが、感謝の念だけは確かなものだ。

(だからこそ、あの二人と一緒に居たい。そして、彼らが護りたいと願う桜も守り切ってみせる)

 己の願いのためにも、千年桜に呪をかける術師を探し出して止めさせなければ。

 明信は充分に高めた霊力を使い、森の中を探る。鳥どころか虫一匹も網にかからず、更に範囲を広げていく。

 そして本殿に近付いた時、違和感に気付いた。

(何か、ある?)

 霊力を戻し、明信は鎮守の森を出て拝殿に走る。そして人っ子一人いない境内を駆け、本殿の戸をこじ開けた。

「何だ、これ」

 そこにあったのは、神の依り代が置かれていたであろう台。そして、破り捨てられた『呪』と書かれた紙切れ一枚だった。

 触れようとして、手を引っ込める。霊力を高めたままだった明信の目には、その破れた紙から不穏な気配を感じ取った。

「仕方ない、か」

 明信は懐から式を一枚取り出すと、鳥の形に変えた。そしてその鳥に命じ、紙を拾い上げさせようとする。

「……だめ、か」

 札に戻ってしまった式を拾った明信が見せたのは、苦い表情。式は紙に触れた途端、その姿を保っていられなくなった。明信を超える力を持つ者によって使われたということだろう。

 しかし、このまま置いておくことも出来ない。どんな影響を及ぼすかわからないからだ。

 仕方なく、明信はその札を中心に結界を張った。ほんの小さなものだが、小さい方が力を籠めやすい。

「とても嫌だが、師匠を呼んで来るしかないか……嫌過ぎるが」

 きっと、師匠は未熟な弟子だとわざとらしくため息をつくに違いない。その姿を容易に想像出来てしまい、明信は眉間にしわを寄せた。

 明信の師、正輝まさてるは当代随一の力を持つ陰陽師だ。彼にかかればどんな呪いも撥ね返し、呪われた者はそれを撥ね返すことが出来ないと言われる。

 正輝は朝廷付き陰陽師を辞した後、一人山に引き籠っているはずだ。明日にでも、守親を道連れに尋ねようと明信は心に決めた。

「それまで、ここを頼むぞ」

 新たな式を召喚し、明信は白い犬の頭を撫でた。

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