さくら音鳴る頃きみ想ふ

長月そら葉

序 『桜音伝説』

 和ノ国にて、桜は特別な存在だ。

 特に千年以上もの年月を経て守られて来た桜は、千年桜と呼ばれて神と崇められる。その訳として、こんな話が伝わっている。



 千年程昔のこと。まだ和ノ国が国としての形を成し切っていない頃のこと。

 一本の桜の木があった。

 まだ木としては若く、数多くの薄紅の花を咲かせていた。


 その桜の木を毎日のように愛でに来る、一人の姫がいた。

 姫は近くの屋敷に住み、年若くも体が弱く臥せりがちでいた。しかし桜の花を見ている間だけは心が安らぐとして、供も連れずに毎朝やって来た。


 姫はある日、一人の男と出逢う。桜の木の下で出逢った二人はやがて恋をした。

 互いを想い支え合う二人は、けれど秘された関係にあった。男はある役割を持った特別な者で、姫と結ばれることを許されなかったのだ。


 ある時、姫の体が一層弱り、残された時は幾ばくも無いと知らされた。

 姫は命の限りを察し、男に別れを告げる。しかし男は、それを嫌った。そして、一つの約束を結んだ。


「あなたを待つ。例え千年待つことになろうとも、あなただけを想い、待ち続ける」

「わたくしは、もうあなたと共にはいられないのですよ。待てど、次の命を得たわたくしは、あなたを忘れてしまっているかもしれません」

 切なげに悔しげに目を伏せた姫に、青年は優しく言い募った。

「それでも、あなたは私の生きる意味をくれた人だ。あなたが私を忘れるというのなら、あなたの幸せを願い見守るのみ」

 もしも覚えていたら。儚い願いを乗せ、男は微笑む。

「きっと、幸せにしてみせましょう。あなたが涙に濡れぬよう、微笑みを絶やさぬよう。……きっと、また出逢えよう」

「信じて、います」

 姫の頬を一筋の涙が伝い、それを男は指で拭った。


 しばらくして、姫は息を引き取った。眠るような穏やかな最期だった、と弟は記す。

 またその時、姫が息を止めた時、涼やかなが響き渡ったという。それはあの桜の木から鳴り響き、まるで姫の魂を惜しみ見送るようだった。

 人々はその切なげな音を耳にし、涙したという。

 その音は後に『桜音さくらね』と呼ばれるようになったが、二度と鳴り響くことはなかった。


 それから、桜はずっとその場に立ち続けている。

 約束が交わされ、千年。また一つの出逢いが、桜の下で結ばれようとしていた。

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