第8話 何もないから、意識する。

「どれにする?」

「うわっ、すごい!」


 リビングの一角にある和室。プロジェクターを起動させ、引き戸を閉める。ちなみに背中にはクッションをひいてある。即席のソファーだ。和室だから落ち着くし、クッションのもたれ心地も素晴らしい。長年の研究結果に基づく最適解である。ビバ俺の休日スタイル。

 手元のスマホに表示されている映画を見せると、小梅は目を輝かせた。パジャマから着替えていて、初日の白いニットに、ロングスカートを穿いている。


「でも、分からんしなぁ」

「うーん……あ、」

「どしたん?」

「いや、そういやこの映画最近人気だったよなぁと思って」

「CM見たことあるけど……ホラーやんな」

「だよね〜。やめとこうか」


 ホラー映画は好き嫌い分かれるし。そう思ってスクロールしようとすると、小梅が不意に映画の再生ボタンを押した。

 スクリーンに、暗い部屋で主人公がうずくまっている様子がうつしだされる。


「え、」

「見たいんやろ?」

「でもホラーだよ?」

「初めてやけど、たぶん大丈夫」


 ピースした小梅に嫌な予感を覚える。小梅さんや、ピースのタイミングいつも間違えてないか?





☆☆☆☆☆

 しょっぱなから人が死にがちなこの映画。隣の小梅は明らかに怖がっていた。わりと本気で。

 じゃっかん涙目になってるのを見て、映画を止めるか悩む。スマホに手を伸ばそうとすると、その手を止められた。きっ、と眼力を入れて首を振っているけど、その目がうるうるだから意味がない。


「泣いてんじゃん」

「泣いてない」

「バチバチ泣いてんじゃん」

「泣いてない」

「夜一人で寝れる?」

「寝れるわ。子どもちゃうし」


 からかい気味に尋ねる。拗ねたように抱えた膝に顔を埋めるが、画面いっぱいに映し出されたぐちゃぐちゃの顔に小さく悲鳴をのんだ。怯えているけど、でも声には出さない。精一杯強がっているらしい。

 なんか小動物み強いよなぁ。小さいし。うさぎの耳とかしっぽとか生えてても違和感なさそう。


「……ほんとに夜一人で寝れる?」


 もう一度、今度は半分ガチで尋ねた。

 むぅ、と効果音がつきそうな顔をする。もう子どもじゃない、と言いたいんだろう。


「…………いじわる」


 ほんの少しだけ唇を噛んで。ほんの少しだけ頬を膨らませて。上目づかいで。目をうるませて。


……忘れてたけど、この子美人なんだった。


 再会してすぐ小梅だと分からなかったくらいには。一生に一度見るか見ないかのラインにいるくらいには。出会い頭、サラサラの髪にできた輪に天使なんじゃないかとふと思ったくらいには。


 ドキッとして、急いで映画を消す。あっ、と声を出したけど、もう遅い。室内も程よく暗くて、クッションのおかげで座り心地だっていい。

 失恋したのに……いや、失恋直後だからか。

 なんだかどうしようもない気持ちになって、適当に画面を押すと、幼児アニメの平和な音が流れ出した。

 一気にさっきの空気が空中分解して、胸を撫で下ろす。


「久しぶりやなこれ見るの」

「……そうだな」

「今見たらちょっと話とか違ってみえるな」

「そうだな」


 ほんと、心臓に悪い。小梅はからから笑いながらアニメを見てるけど。美人ってやっぱり怖いわ。


 あぐらに頬づえをついて悶々と考える。小梅は妹みたいだけど、それはあくまでであって、実際はそうじゃない。昔とは違って、体つきだって女の子らしくなってるし、仕草だって圧倒的に可愛くなった。他の女子と比べても。そのくせ、会話が続かなくても気まずくならないし、お互いのことをよく知ってるんだから困る。

 穏やかな午後の昼下がり。ぼんやり考えていると、いつの間にか2人して頭を預け合って寝ていた。


 












☆☆☆☆☆

「それ……」

「え? ……あぁ、なんでもないから。昔のことだし、気にしないで」


 ──さっき目が覚めて、お風呂上がり。固まった小梅の声で気づく。体の中で暴れ回る火照りに腕まくりをして脱衣所を出たのが悪かった。思わず上から手で抑えつける。ずっと1人だったから、忘れていた。昨日まではちゃんと気をつけてたのに。

 左手首に刻まれた数本の傷……というか、その跡。

 小梅は心配そうに見つめていたけど、何も言わなかった。いや、言えなかったんだろう。


「……わかった。話してくれるまで、聞かない」


 小梅が来てから初めて、本気で気まずかった。

 ――10年のブランクは、大きすぎる。

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