第24話 沢村 礼子と一冊の本

「失礼しまーす」

沢村さわむら 礼子れいこは胸をドキドキさせながら黒戸くろと しろの病室のドアを開けて中に入る。


礼子が部屋に入ると黒戸はボーッと外を眺め、チラッとドアの方を見ては一瞬『誰?』と思考を巡らせて寝呆ねぼけているかの様な表情でしばらくして何かに気づいたのかの様に驚いた表情に変わり彼女の顔を何度も見返す。


「さ、沢村……さん? 沢村さん……だよね? 本当に来てくれたの? じょ、冗談かと思ってた……僕なんかのお見舞いになんかいいのに……この前は夜遅くまで付き添ってもらっちゃってごめんね、沢村さんの方こそあの……あの時に殴られてた箇所は大丈夫なの?」

黒戸は面識の薄い沢村 礼子に対し驚きと緊張と非モテのさがか、とにかく何かを喋らないと場が持たないとばかりに慌て、取り敢えず礼子の事を心配し謝った。


「うん……ありがとう、私は大丈夫……お見舞いに来た私が心配されてるのってなんか可笑おかしいね」

私は病室にある来客用のパイプイスを設置しながら少しクスクス笑いながら座る。


「ほ、本当だね」

黒戸も困った顔をしながら同じように笑う。


(なんだろこの空気は、とても落ち着く、無理に笑うでもなく、無理に話しかけるでもなく、例えるならとても優しい空気、そう言えば私はこの部屋に入る前はとてもドキドキしていたのに、黒戸と話していたら知らないうちにとても心が落ち着いてきてた、それに自然に笑えてた)

礼子はそんな黒戸の笑顔を黙って見つめる。


「どうしたの?」

黒戸が黙って見つめてくる礼子を心配して声をかける。


「えっ!? あつ、うん、なんでもない……黒戸が無事で良かったな〜て思って」

「体だけは丈夫じょうぶなんだ、数日後には退院しようとは思っているからわざわざお見舞いにまで来てもらっちゃってごめん……」

黒戸が話してる最中、礼子は人差し指を黒戸の口に当てる。


「『ごめん』は言わない……気にしなくて良いんだよ、私が来たくて来たんだし」

礼子は少しほほを赤らめながら、少し恥ずかしそうに笑顔で言う。


「う、うん……ごめん、あっ……あっはっはっはっ。 そ、そうだ! 紅が……あつ、えーと僕の妹の事なんだけど、さっきまでお見舞い来てて、僕が搬送はんそうされた日に沢村さんに会ったって、綺麗な人だねって言ってたよ」

黒戸は何か話題がないかと思考を巡らせたが、唐突に思い浮かんだのが身内の話だった。


「えっ!? あぁ、紅ちゃん……来てたんだ、そ、そ、そうなの黒戸の妹さんなんだってね……この前の病院の帰りに会ってね……あの〜変な事を聞くけど、紅ちゃんってなんか格闘技とかやってたとかある?」

礼子は唐突な身内の話な上にあの紅の話題だった事もあり少しビクッとし、紅と入れ違いになっていた事にホッとした。


「えっ!? あっ、う〜ん格闘技はやってないけど、護身術程度に『合気道入門』って本で小学生の頃に一緒に本を読みながら独学で練習していた事がある程度だよ、今は全然やってないけどさ、でもその頃に一度だけなんかの大会で紅が優勝してたよ、僕はその大会会場までの道に迷って試合見れなくてさ、紅の試合が終わっちゃった頃に到着しちゃってさ」

黒戸は笑いながら話した。


「そ、そっか……なら昨日の夜見た光景は私の見間違いだったのかな? でも優勝するほどの実力者、いやいやでも小学生の頃の話だし」

礼子は黒戸の話を聞き、ブツブツと独り言を話し始めた。


「あっ! そうそう話変わるけど、咲が……姫野ひめの さきもね『お大事に』って、黒戸はあの日の学校帰りに会ってるんだってね咲と、彼女も心配してたよ」

礼子は来る前に咲に言付ことつけを頼まれていた事を思い出し伝える。


「えっ! あ、あの姫野さんが? 学年一の美少女って言われてる姫野さんが!?」

黒戸はそれを聞いて驚き少し嬉しい顔をする。


「えーなになに、咲の事もしかして好きなの? 紹介しようか?」

礼子はそんな事を言いつつ、複雑な気持ちをいだき、咲に対して嫉妬していた。


「ち、違うよ、ただ僕なんか心配してくれる人いるなんて嬉しかっただけで……」

「そんな事ない!! そんな事……そんな事を言わないで、咲だけじゃないよ、私だって……私だって心配してたよ……」

黒戸の悲観的な言葉がなんだかショックだった礼子は大声を張り上げる。


「う、うん、ごめん……そうだよね、なんか嫌な言い方したよね」

「ううん、いいの……私こそ大声を出してごめん」

二人の間に気まずい空気が流れ、しばらく病室に沈黙が訪れた。


こんな雰囲気だったからなのか、今話すしかないとここに来る前から礼子は自分の事をもっと話して知ってほしいと思っていた、昨日の事件の経緯もふくめて、そんな気持ちから、この沈黙を破るように礼子は淡々と語り出した。


「あのね黒戸に聞いてもらいたい話があるの……別に同情してくれとかそう言うんじゃなくて、ただ……つまらない昔話なんだけどさ」

礼子は黒戸の目を見つめ、スカートのすそをギュッと握り締めながら勇気を持って話し出す。


「……」

黒戸は真剣な目で礼子を見つめ返す。


「子供の頃に私の父は暴力的で、母さんや私は毎日のように暴力を受けて、その頃からかな男性を見ると暴力や恐怖を感じ苦手になっていったの、そんな毎日だったから中学の頃は荒れててさ、夜は家に帰らず、いつも夜な夜な不良が集まる様な集会に顔を出す様になってね……その時に行った集会で私に声をかけて来たのがあの……黒戸の事を刺してきた、久須くす 竜也たつやって奴なの」

礼子は昔を思い返す事で体が小刻こきざみに震えながら、一言一言を吐き出すように声に出した。


「……」

そんな礼子の話を黒戸は黙ったまま、真剣な眼差しで真面目に聞いていた。


「久須はその頃は私に優しくしてくれて、色々な悩みや相談を話す様になって、久須と話す内にさ男性に対する苦手意識も薄まって、少しずつあいつと親しくなってたんだけどね、ある日……私の父親がね誰かに襲われて大怪我を負って、それがきっかけなのか両親は離婚して私は母に引き取られ、それからしばらく穏やかな生活が続いたんだけど、ある時こんな噂を耳にしたの……父を襲ったのが久須だって、私はなんだか久須が怖くなってそれから集会には行かなくなったんだけど、しばらく経って彼らとの付き合いをしっかりとうと集会のみんなに最後の挨拶あいさつと思い集会場に行った時に久須と鉢合わせて、久須は私に襲いかかって来て、その時に私は……私は……ごめん」

礼子はその後を話そうとするが涙と鼻水で声が思うように出ない、話していくうちに足がガクガク震えて、手もブルブルと力が入らなくなり、必死に震えを止めようと両手で体を抱きしめる様に抑えるが止まらない。


「ご、ごめん、ごめん、黒戸、話さなきゃいけない事なのに」

鼻声交じりに、涙を流しながら、黒戸にこんな情けない恥ずかしい顔を見せまいと、顔を下にうつむきながら礼子は精一杯の声で黒戸に謝る。


その瞬間、二つの手が礼子の震える身体を包む様にギュッと優しく抱きしめ。


「もういいよ話さないで、大丈夫だから、もう沢村さんは自分を責めないでいいから、僕が怪我した事に責任を感じなくていいから」

黒戸は礼子を抱きしめ、耳元で優しくささやく。


「ち、違うの、それだけじゃ……私は学校じゃ黒戸の事を暗いとか言って馬鹿にしてた……クラスのみんなが黒戸の事を小馬鹿にしてる時も他人事の様にただただ傍観者ぼうかんしゃして、私は嫌な奴なの……自分は助けなかったのに助けられて……」

礼子は唇をギュッと噛み締めた。


「それは違うよ……僕が助けたかったから助けたんだし、周りが僕を馬鹿にしてるのも知ってた、沢村さんが、いや姫野さんや美希も僕を馬鹿にしてるのは知ってる、ただ僕は気にしないだけなんだ、だから沢村さん達が気にする事じゃないし、もし嫌な奴というなら、馬鹿にされてる事を知って知らんぷりしてる僕自身だって嫌な奴なんだよ」

黒戸はそう言うと、抱きしめていた手を離し、礼子に背を向けて少し遠い目で窓の方を眺め。


「こんな事をかたるのは恥ずかしいんだけど……他の人には内緒ね、笑わないで聞いてくれる?」

黒戸はこっちを向いて人差し指を口に当てると、礼子は無言で頷うなずいた。


「僕ね子供の頃から夢があって漫画家になりたいんだ……だからね周りが何言おうが、何してこようが、そんなの構ってるぐらいなら夢に向かって少しでも頑張っていたい、虐めたい奴がいたなら虐めてくればいいし、僕はただそれを無視するだけだから」

そう言うと黒戸はかばんから一冊の本を取り出した。


「これね僕が中学生の頃にお小遣い貯めて自費出版した本なんだ、今読んだら下手で才能のカケラもない漫画だけど、何かをやった結果は僕にとってはとても貴重で大事な経験だったんだよ、だから今度はなんか出版社とかに投稿して賞取れるぐらい上手くなりたいってそう思うの……だから僕はそんな周りの悪口や嫌がらせに構ってる暇なんかないんだ……だから、えーと……なんか話が脱線してるね、ごめん何言ってんだろうね」

黒戸は頭を掻きながら、恥ずかしそうに照れ笑いした,


「ううん、話してくれてとても嬉しいし、なんで黒戸が強いのか分かった気がする……ねぇ、その漫画読ませてもらって良い?」

礼子は嬉しかった、色々と自分に黒戸が打ち明けてくれた事が。


「えっ!? い、いいけど……笑わないでよ」

黒戸は恥ずかしそうに礼子に本を渡し、礼子は本を受け取ると直ぐに読み始めた。


ーー

ーー

ーー


礼子が本を読み始めてどの位時間が経っただろうか、黒戸はこちらを不安そうに伺いながら見つめる、これと言ったストーリーも無く、山も落ちもない、絵も上手いわけでもない、だけど礼子はその本を読み終わった後に、今まで抱えていた不安や悩みなどが掻き消され心が癒されているのを感じた。


礼子は本を見つめながら涙を浮かべ、その涙は頬を流れ顎からしたたり落ちると紙面を馴染にじませた。


「あっ!? ごめん、黒戸の本なのに……」


「あぁ大丈夫……気にしないで」


「ねぇ黒戸……この本を私に売ってちょうだい!」

礼子は読み終わった後、どうしてもこの本が欲しくなった、それほど心に、身体全体に衝撃が走ったのだ。


「えっ!? あぁ別に……沢村さんが気に入ってくれたって言うならあげるよ、ただ家に帰れば新品の本があるから、そっちの綺麗な本を今度あげるよ」


「ううん……これで良い……これが良い、この黒戸が持っていた本が良い」

礼子は本を大切そうに胸に抱えて、黒戸の温もりを本から感じていた。


「そうなの、沢村さんがいいなら僕は構わないけど」

黒戸も自分の本が褒められた事が嬉しかったのだろう、照れながら「ありがとう」と礼子に言った。


「でっ……」

するとすかさず礼子は突然険しい表情に変わり。

「ずーと引っかかっていた事がひとつあるんだけど」と言いながら、黒戸に詰め寄る。


「えっ!? な、何……ど、どうしたの急に怖い顔して……」

黒戸は顔をかしげて、不安そうに礼子の顔を伺う。


「さっき話してた時に凄く気になっていた事があってね……黒戸は私や咲の事を苗字で呼ぶけど、美希は美希って名前で呼ぶじゃない、だったら私も名前で呼んで欲しいの……だ、だめ?」

礼子はすこし恥ずかしそうに、黒戸が寝てるベッドに顔を埋め、目だけ上目遣いに甘えるように黒戸に訴える。


「い、いやダメじゃないけど、一度だけ言うくらいなら……」

「ヤダ! これからず〜と」

黒戸は困った顔で恥ずかしそうに苦笑いを浮かべるが、礼子はねた感じで我儘わがままを言ってみた。


「ず〜〜と……!? 別にいいけど、本当に名前で呼ぶの?」

「うん」

「れ、れ、礼子さん」

「『さん』いらない」

「要求が細かいな……れ、礼子」

「……」

黒戸が礼子の名前を言うと、黒戸も礼子もお互い顔を真っ赤にした。


「し、し……白」

礼子も黒戸を名前で呼んでみたが、呼んだ後あまりの恥ずかしさに両手で顔を覆う。


「また……また呼んでよ白!」

「えっ! ま、また……れ、礼子」

礼子は嬉しさのあまりにやけてしまい、顔をうつむかせ、そのままベットの布団に顔を埋め続ける。


「白……大好き」

礼子はそのまま黒戸に聞こえない小さな声で自分の気持ちを叫んだ。

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