第4話 田中 里利の救世主

私、田中たなか里利りり東桜台高校の美術の教師をしている24歳だ、五つ上の自慢の姉が教師を目指している事で私も教師になると将来を決めていた。


ただそんな姉も実際教師になった一年目、教員を辞めざるを得なかった事を後で知った。


姉はもはとても真面目で優しく正義感に強い女性であるがゆえに教師、生徒、保護者の人間関係に苦しめられていたらしい。


私はそんな姉の姿を知っていたからこそ、教師と言う職業の辛さを苦しさも分かっているつもりだったし、初めてのクラスの担任を任される事を言い渡された時も色々な心境や不安な気持ちで一杯だった。


現実、美術の担当という事で周りの先生からも馬鹿にされてるのを感じるし、職員室にいると遠回しに嫌味を言われる事が多いのだ。


「本当に羨ましいです田中先生のように美術を教える立場は、正解もなければ、間違いもない、教師の采配一つでどうにもなりますからなぁ〜 私も美術を教える立場になりたいものですよ、わっはっはっは」

数学担当の眼鏡をかけた七三分けの四十代の高崎たかざきが高笑いしながら言った。


「はぁ〜……どうも」

私はどう答えていいか分からず、気の弱さも重なって愛想笑いをする事が精一杯で、場の空気をこわさんと笑うところでもない所でも愛想笑いを振りまき、馬鹿にされてるのも分かっていた、でもだいぶ歳の離れた高崎に反論したところで火に油を注ぐものだろ、さらなる嫌味を言われるだけなのだ。


他の先生方も私のような美術担当の先生などいてもいなくてもどうでもいいくらいにしか考えてないだろうから、当然助けてもくれない、だから私は極力、必要な用事がない意外は職員室ではなく、美術室にいるようにしているのだが、今はどうしても職員室に居なくてはいけない用事があったため仕方なくいた。


こうして日々、高崎の様な人間の嫌味を言われ続けても教師を続けて居られるのはこの本のおかげだろう。


私は昔に教職にについて直ぐ、今の東桜台高校に就任する前の学校で同じような嫌みや、嫌がらせなどの行為を受け、周りの教師とも上手くいかず、一年くらい教職を休んでいた時期があった。


早い話がノイローゼみたいなものになってしまい、しばらく家からも出れないぐらいに落ち込んでしまっていた。


最初の頃は部屋で一日中ぼ〜っとしてる事が多く、好きだったはずの絵も描く事がなかった。


姉に助けを求めたい気持ちで一杯だったが、また学校の人間関係に姉を巻き込む事が私には出来なかった、だからといって心配してくれる友人も知り合いもいないし、ただただ『死にたい』と言う思いが大きくなっていくのを感じでいた。

思いは行動に変わり、まずはネットでダークなサイトを検索したりし始めて、得体の知れない負の感情が私を支配しはじめていた。


悪い方向へのネットサーフィンが始まっていたのだろう、最初は周りが敵に思えて、暴力や殺し、他人の不幸ばかりを検索していた、最終的に「自殺サイト」に辿り着くまでにはそう時間は要さなかった。


私は死んだような虚ろな目で、部屋の電気もつけず、窓はカーテンを閉めきり、暗い部屋にはパソコンのモニターから放たれる灯りで照らされた私の顔だけが反射して浮き上がっていたのだ。


カチッ、カチッ、とモニターを凝視ぎょうししながら私はマウスをクリックして「自殺サイト」を閲覧し、死ぬための情報を漁っていた。


そんな日々が続いたある日、いつもの様に朦朧もうろうとサイトを閲覧して色々とクリックを繰り返していた時、間違って広告の箇所を右手の人差し指でクリックしてしまった。


いつもならネット環境の悪い私の家なら数十秒掛かるだろう読み込みが、その時に限り一瞬でページが開いたのである、その速さ足るや時間をも超越したかと思うほどの速さで、朦朧もうろうとしていた私も眼が覚めるほどだった。


私は慌てて開いたページを消そうとバツ印の所にカーソルを動かそうとした時、そのページに目がきつけられた、『今の貴方にお勧め商品』と書かれた文章に一冊の本の画像が表示されていた。


その本の表紙絵を見た瞬間、今までどんなに悩み悲しみ苦しもがいても、壊す事も破る事も出来なかった私の心の殻をその絵は小さなひびを入れてくれた気がした、それは本当に小さな小さなひび……でも今の私には大きな大きな、とても大きな小さなひび


でもダメ……今の私にはそんな小さなひびの入った殻すら破る事が出来ない……


モニターの前でカーソルをバツ印の上に合わせ、マウスを右手に乗せたまま、私は硬直していた。


たった一回クリックしただけで、私はまた元の暗い暗い闇の中に落ち死ぬ道を……誰か……助けて。


助かりたい……そのモニターに映り出された、表紙絵をもう一度見て、声に出るか出ないかかすれた声で


「死にたくない……」

私は心の奥、無意識にそんな言葉を口から吐き出しながら

体をブルブル震わせ……


「死にたくないよ……」

と今にも泣き出したくなる感情を抑えながら、モニターの画像を、その本の表示絵を眺めている時に、その本に帯が付いてるのに気がついた。


その帯には日本語で何か書かれていたが小さくて読めない、私はカーソルを動かし、その画像の帯を拡大した。


画像が拡大された時、ほほに冷たいものが流れ、机にポタポタと落ちるのを感じた、それは全く止まる気配もなく、鼻の穴からもズルズルと垂れてくる、それは目から溢れてるようで、モニターがボヤけて見えないが、私は拡大された時に、その言葉が目に入ってきていた。


『今を生きる』


その時、まばゆい光の中、私を苦しめていた暗い暗い闇のような殻が弾け飛んだ気が……いや、弾けたのだ。


その後の事はよく覚えてないが、気を失っていたのか、気がついた時、今まで閉ざされていたカーテンが開かれ、朝の木漏こもれ日が部屋を照らし、心のモヤモヤと引っかかっていた何かが取れていた。


夕方頃、訪ねてくる人がいるはずもないアパートのチャイムが鳴り、開けると宅配業者が「ジャングルからお届けものですと」来たのだ。

届いたのは、昨日パソコンのネットショッピングで見ていた一冊の本だった。


その日から私は変わろうと、変わらなきゃという思いになり。ボサボサだった髪を千円カットの床屋で散髪してもらい、なんとか大学時代の知り合いの人に片っ端から電話をかけ、どこか復職出来ないか訪ねて回った。


そんな休養期間を経て、知り合いの美術教師が妊娠の為教職を離れ子育てに専念したいとの事で、私を後釜に推薦して頂き、この東桜台高校の美術の顧問として赴任する事になったのだ。


奇跡か、運命か……その学校で受け持った一年生の美術の授業で絵の課題を出した数日後、それぞれのクラスの絵が提出され、一年生全員の絵をチェックしていた時に、ある生徒の絵で私は息が止まり、震え出し、自然と目から涙がこぼれた。


それもそのはずだ、その絵は私を救ってくれたあの本の中に描かれていた漫画のキャラの絵なのだから。


「イタズラ……いや違うわ、この絵のタッチ、雰囲気は間違いなくあの本の絵と同じ」

誰が描いたのか提出された名前を見ると

「一年二組 黒戸 白」と書かれていた。


担任のクラスの生徒だった。

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