第14話

 王城を抜け出した千月は疲弊したまま飛行を続けていた。能力を高速移動に集中させ、時速300kmで蒼天を裂く。『黄金の鳥クリソス・ファシアノス』に変身し、存在が神鳥に近づいたといえども、彼女の肉体にかかる多大な負荷は避けることができない。

 一瞬でも気を抜けば真下に広がる森林に落下し、二度と飛び立てはしないだろう。あと数分間。その区切りまでは全力を絶やさない。千月はロクサーヌを見つけ、保護するためだけに身を粉にしていた。

 すさまじい速さで通り過ぎていく景色は、遠方を臨むほど相対的に鈍足になる。そんな遠くの方に一か所、森林が円状に穿たれたような跡があった。千月は人づてに聞いた内容を思い出した。フロネー・ダーソスは森の小屋に隔離されており、樹々は小屋を恐れるように退いている、と。

 千月は羽毛の連なる手を大の字にした。無論、彼女の両腕には猛烈な風圧がのしかかる。風に羽を毟られる痛覚に歯を食いしばりながら、彼女は獰猛な足を地面に突き立てた。鋭利な8本の爪が整えられた土壌をえぐる。根深い線が引かれていくが、勢いは衰えきらずに千月は樹と衝突してしまった。直前で受け身を取ったものの、衝突は苛烈だ。太い幹は根元からぽっくり折れてしまい、森の奥へ倒れた。

 強引な着地を終えた千月は、息を切らしながらやっと人間の姿に戻った。

 ぽた、と鼻血が垂れる。彼女は全身の至る箇所を打撲したが、受け身が功を奏したのか裂傷はない。受けてしまった身体へのダメージは、神鳥との繋がりがなければとっくに彼女を死亡させていた。

「しっかりせんと……」

 千月は酷い頭痛の中、昏睡に落ちかけた意識を拾い上げる。気力が燃え尽きない内に、震える膝で立ち上がった。

 揺れ動く、不確かな視界のままで裏手から正面に回ると、小屋のドアは開いたままだった。千月は断りもなく侵入し、リビングを通り抜ける。フロネーの自室と思われる部屋にはカップが二つあり、液体も残っている。

 ロクサーヌはこの辺りに居るはずだ、という希望に彼女は少し安堵すると、紋呪から熱い流動が身体に流れた。それは千月を癒し、歩くだけなら支障は無くなった。

「へっ。あたしはまだ死んどらんわ」

 息があるなら、紋呪が持ち主を少しだけ生き永らえさせる力があることはファシアが既に示していた。

「でも感謝はしとくわ、神鳥サマ」

 千月が表に出ると、視界不良では気付けなかった人間が一人、地面に寝転がっていた。千月は鼻血を拭って歩み寄る。

「その紅色。あんたがフロネー・ダーソス、間違いないな」

 返答はないが、少しだけ反応したのを見て千月は「まあええ」と屈んだ。

「ロクサーヌ・シンフォレシアはどこにおるんや」

 千月が見る限り、青い籠手を抱えていることの他に、特段気になることはない。目立った外傷もないから、彼女が口を閉ざすのは本人の衰弱か、話したくないかのどちらかだった。

「はよロクサーヌを確保せなあかんねん。協力してくれんか」

「ローシーは……私が守らなきゃダメなのに、止めることもできなかった」

 フロネーはか細く、自身の非力を嘆いた。悲哀に明け暮れる彼女を千月は推し量って、

「武力行使されたんじゃしゃあないやろ。あんたが気に病むことやない」

 と言ったが、フロネーはすぐさま反論した。

「違う! 私が引き渡したも同然。私が式に参列しなければローシーがここに来る事はわかってた。作戦の間、師匠の部下が来るかもしれないことも……わかってた」

 千月は周囲を見渡して、不自然に盛り上がった土はゴーレムの名残だと察した。

「ねえ、城から来たんでしょ? 師匠は『永遠の生命フィロソフォス・コア』を使ったの? 特大の、赤いコア……。あれを使うなら、師匠はコアと同じ、特大のゴーレムを作るはず……」

「そんなもんは見とらん。部下みたいな奴らはゴーレムを率いとったが、神殿を壊したんは爆薬や。まあ、その内部におったかも知れんがな」

 城の状況を説明する一方、千月は顎に手を添えて考えていた。このフロネーという女性は知りすぎている。確実にクーデターとは無関係ではないだろう、と。

「お前まさか、イポスティに援助でもしたんか」

「ああしたさ。どうしても……するしかなかったんだ」

「そうか、クーデターの手助けもして、抵抗もなくロクサーヌを渡したってことやな」

 千月は静かに立ち上がった。そして拳を力強く固めた。

「テメェ———」

 千月の両腕が瞬発的に変化する。羽はなく、爪もない。純然たる膂力を引き出すことに特化した形状変化だった。千月はフロネーの胸ぐらを掴むと、そのまま背後の小屋に向かって投げつけた。

 木造の壁は木端微塵に崩れ、暗かったリビングが一挙に明るく照らされる。その余波で角の柱は2本も折れてしまい、建物は無くなった壁の方へくびれてしまう。

 千月は今にも崩れそうな天井も意に介さず、家財道具の残骸なかからフロネーを引っ張り出した。

「この国を滅茶苦茶にしやがって!」

「ごめん……なさい……」フロネーは、青い籠手をしかと抱えていた。

 千月は手にした人間をもう一度壁に叩きつけた。さすがに小屋は倒壊を免れなかったが、千月は、頭から流血するフロネーの胸ぐらを掴んだまま立っていた。

「なんや、このまま殺されても文句ないんか、ええ?」

 フロネーは凄烈な暴力に呼吸が止まり、声が出せないでいた。

「いてこましてもおもろない。———やから死ね。二度としょうもない迷惑かけんな」

 千月が振りかぶった手先に大きな爪が1本生える。一撃で仕留めるために仕立てられたそれで割かれれば、人体は二つに分離してしまうだろう。

「これを……ローシーに……」

 フロネーは肺を振り絞って、抱えていた防具を千月に渡そうとした。

「あ? んなもんおどれが渡さんかい」

「これは……コアを壊すための……ローシーにしか、扱えない……」

「———へぇ」

 千月は籠手をフロネーから引きはがすと、興味を失くしたのか彼女を放り捨てた。早速右腕に装着するが、彼女の力に変化はない。

「要は紋呪の力と関係あるんやろ? でも何も起こらんやないか」

「ローシーの身体に合わせてるから……」

 紋呪は腕だけではなく身体に宿る。フロネーはそれを知っているのだと察した千月はさらに詰った。

「紋呪の性質。どうやって知ったんや?」

「……師匠の研究だよ。カタストの研究を引き継いだんだ」

「ふーん、そう」

 紋呪がどこまで解明されているのか千月は疑問に思いつつも、青い籠手に話を戻した。

「そのようわからん何たらコアを壊してイポスティを止めるんなら、やっぱりロクサーヌを助けなあかんってこと。そういう話なら協力したらんこともない」

 千月は乱雑に、青い籠手をショルダーバッグの帯に巻き付けた。

「しっかし、けったいな事言うなぁ。自分で兵器を作っといて、わざわざ弱点も用意する。その上、特大コアとかいう危険物をロクサーヌに壊させるなんてわやなやっちゃ」

「私は……どうしようもない屑なんです。ローシーも、師匠も、捨てられなかった……」

「ああそう。そないな感傷は他所でやり。あたしには関係あらへん」

 神童と伝え聞いた錬金術師に心底失望した、と言わんばかりに千月は頭を振った。

「ああ、見誤った。ほんまもんの屑はここでのうのうと生きとるわ。先に潰しとかなあかんのはこっちの方やったんかいな。

 はぁ。テメェが居なけりゃ、あんだけ人が死ぬこともなかったろうに」

 千月がそう責めたてるのはシャツを脱ぎながらだった。フロネーは下着を見せる千月の意図を汲み取れずに呆気に取られていた。だが、彼女の背中、右腰の上方に刻まれた片翼の青い紋呪にフロネーは目を奪われた。

「それは……」

 フロネーの呟きを聞き流して、千月は地面に両掌をぴたりと付ける。

「紋呪を……捉える!」

 千月の両腕は鳥になり、紋呪が青く発光する。彼女を中心として波動が発生した。拡大する円状のそれは島中を駆け巡り、島の外周に到達すると跳ね返る。ロクサーヌが知らずの内に出した波動と原理は同じだが、それ自体の性質は違っていた。帰ってきた波動がフロネーの身体の中を通り過ぎたと思うと、地面のある一点に集中する。その瞬間、盛大な破裂音と共に、千月の両腕は弾かれた。

「いったぁい!」

 千月は変身を解除した手をぶらぶらさせて唇を噛む。生身なら根元から腕が千切れる衝撃を、千月は「痛い」だけで済ませていた。

「生きた紋呪が一つ。それ以外は死んどる。ネオスもメラクもセリスも逝っとるな。ロクサーヌが居るとこは……ありゃあ、アジトか」

 握力を確認しながら千月は独り言ちる。真っ赤に変色した手のひらを物憂げに眺めていると、彼女はやりきれない想いを拳に閉じ込めた。

「紋呪の在処を探知したのか?」

 フロネーは思いがけず口走った。千月は、虫唾が走るような無遠慮を振る舞うフロネーを睥睨しながら、シャツを羽織った。

「すみません……」

 俯く紅の髪に反省の色があるのを見取って、千月はこれからの方針を定めた。

 シンフォレシア王国の奪還はもう不可能に近い。よしんば奪還に成功したとしても、神鳥過激派を全て捕縛する余裕はない。つまりは、ロクサーヌはシンフォレシアに居るだけで暗殺の危険性に脅かされることになってしまう。なら、水上機を使ってロクサーヌだけでも国外へ逃がし、家系を守るのが得策だろうか。千月は考え込んでも他に妥当な策が見当たらず、ロクサーヌを逃がす、と結論付けた。

「おい屑。ついてこいや。これから東に行く」

「……?」千月の逆鱗に触れないように黙していたフロネーは、恐る恐る顔を上げた。

「あんたに報いは必ず受けさせたる。でも今すぐやない。まずはロクサーヌが殺される前に助けにいく。あんた、アジトの場所は知っとるか?」

「……まぁ、行ったことはないけど」

「じゃあ、あんたの仕事はあたしをロクサーヌのとこに案内すること。終わったらさっさと死ね」

 千月は「わかったか」と念を押した。

「急がなくても、師匠は……ローシーを殺すことはしないと思います」

「ほうか。でも、殺す未満の事ならやるんちゃうか? 拷問とか、紋呪の研究のために体の一部を切り落とすとか……。動機のあるなしは知らんけどな」

 それを聴いたフロネーは咄嗟に「今すぐ行こう! ローシーを助けないと!」と千月に言い捨てて、東へ走ろうとする。

「まぁ待てや。あたしはもう走られへん。やから」

 千月は地面を指して、丸いハンドサインをフロネーに示す。自分をゴーレムに運ばせろ、という意味らしい。

「悪いんだけど、コアはもう……」

 フロネーは無残にも倒壊した小屋に視線を移して、手持ちのコアがないことを言外に伝える。が、すぐに思い出して、ポケットから四角いコアを取り出した。

「なんや、あるやないか」

 フロネーが『永遠の生命フィロソフォス・コア』を師匠に渡したあの日、起きる時に土の山にしてしまったゴーレムから拾った四角いコアだった。フロネーはそれを土の上に置くと、円滑な所作で等身大のゴーレムを作り上げる。素材は土のみだが、神鳥の力を太い体に漲らせて、頑強にできている。

 ゴーレムは千月を丁重に持ち上げると、二人は東の方向、シンフォレシアの南にある神鳥過激派の拠点を目指した。

「じゃあ頼むわ」

 フロネーはゴーレムを導くために先導し、森の中へ入っていく。背を向ける彼女に隠れて、千月はショルダーバッグからバッヂを取り出した。群青の上に乾燥した赤黒い血液が重なり、暗い紫を呈している。千月の走査は、ファシアのバッヂにも反応を示していた。ほんの僅かな力だが、切り札として活用できるかもしれない、と千月はバッヂを眺め、彼の最期を想起した。

「ロクサーヌ……待っときや」

 千月は堰を切ったかのように流れ出てくる睡魔に抗えず、瞼を閉じた。

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