第13話 その1

「さあ、紋呪の女を渡せ」

 男の声にはあからさまにいら立ちが籠っていた。

 フロネーはロクサーヌを逃がす手段を考えるが、打つ手はなかった。森までの距離は近くなく、逃げ出す素振りを見せれば、等間隔に並ぶゴーレムに退路を断たれてしまうに違いない。武器も持たない彼女たちには強行突破すら不可能だ。

 男は、ゴーレムと睨みあいを続ける彼女たちにしびれを切らしたのか、フロネーの名を呼んだ。

「フロネー……神童と呼ばれた者よ、貴様も知っているだろう。生きた紋呪があれば錬金術は神の御業と同然になる。疾く渡せ」

 男は一方的な命令を下す。交渉の余地がないのは、威圧するような声音からも読み取れた。

「解せんな。我々のためにあれほど尽力しておきながら、王女を匿うなど」

「フロネーが何をしたって言うの!」

 悩まし気に肩を竦める男に、ロクサーヌは震えた声で怒鳴った。フロネーの腕にしがみつきながらでは、それが精一杯だった。もちろん気丈な様子などさらさら表れず、男は億劫にため息をついた。

「我々——そちらでは神鳥過激派か——は国家転覆を契機に、シンフォレシアの革命を行う大義を背負っている。なぁ、ネオスの子よ。貴様も政を司る王家の端くれ。知らぬわけではないだろう?」

 ロクサーヌは押し黙った。実際、彼女は神鳥過激派のことを聞かされていない。知っているような素振りを見せればよかったものの、彼女の純真さは嘘すらもつかせなかった。

「失笑ものだな。ではぼんくらの貴様でも理解できるように説明してやろう」

 男はゴーレムの作るサークルの中に足を踏み入れた。いかにも恐怖に染まったロクサーヌの様子を男はじっくりと眺め、邪な微笑みを湛えた。

「お願いです、やめてください……!」

 フロネーはせめてもの抵抗を男に示すが、彼はにべもなく、

「その女を渡せばな」

 と答えた。

「我々が神鳥様を讃え、祀ることは義務なのだ。それによってこの島に生きる我々は生命を永らえることが出来る。だが何ということだ! 霧を解放させるなど、神鳥様への冒涜ではないか! 神鳥様は愚行に悲しまれ、我々の命を切り捨ててしまうだろう。

 しかし! 我々は貴様ら与太者とは違う。信仰を確固たるものにし、シンフォレシアに生きとし生ける全ての生命を保つ。どんな手段を使ってもだ。そのために、かつてカタスト様はトレロス王と手を組んだのだ。現王室はそれを暴虐と虐げたが……体裁は重要でない」

「世迷言を! カタストはシンフォレシアの平穏を乱した逆賊。褒められることなど片言もない!」

「烏合の衆に掛けられる中傷など、些事にも満たん」

 憤懣やるかたないロクサーヌを、男は冷めた表情でいなした。

「ともかく、フロネー・ダーソスは計画の遂行に重要な技術者だ。だが、貴様らに投降する意思はないのだな。ならばこちらも手段を変えよう。神鳥様と袂を別とうとする貴様ら王族共の浅慮を思い知るがいい!」

「黙れー!」

 ロクサーヌが手にしていたのは右袖だった。彼女は無意識に布をめくり、紋呪を露わにしていた。神鳥の片翼を象徴する羽の紋章。青く発光するそれが震えたかと思うと、波動が辺りを貫いていった。

 男は腹に受けた衝撃波にひるんだ。だがそれきり何も変化はない。こけおどしか、と男がにやつく一方で、周囲では騒がしい音と共に砂塵が舞い上がった。

「ゴーレムが……!?」

 男が作ったゴーレムの全ては、一瞬にして土の山に成り下がっていた。

 フロネーにもあの波動の正体に見当もつかなかったが、それが好機を逃す動機にはならない。彼女は、唖然とするロクサーヌの手をもう一度取った。

「ローシー! 逃げよう!」

 二人は駆けだした。ゴールは目の前の森。砂塵で覆われて視界は悪いが、記憶を頼りに前へ進む。フロネーはやっとロクサーヌを救える、と心が躍った。もうあの男に足止めする術はない。後は土の山を踏み越えれば———


ἐγείρε起動せよ


 男の声は、儚いフロネーの期待を打ち破った。

 土の山を踏み越えようとした二人は、しかし、沈み込んだ土から足が離れなくなっていた。彼女たちの足は、いつの間にか生えていた2本のゴーレムの腕に掴まれていた。

「ははははは! 見くびったな。我らは理論のみではない。フロネー・ダーソスの知能には敵わないが、強硬手段はいくつも用意している」

 フロネーはなぜ、と疑念の視線を送るが、そのうち合点がいった。

 男はフロネーを代弁するように話し始めた。

「いくつかの工程を無視し、音声による強制命令を発動しただけだ。貴様は天才だからこそ、不安要素の残る方法は執る必要がない。しかし、我々には完璧に詰める時間も頭脳も足りない。

 ああ、確かに博打であった。紋呪を使ってコアを一時的に機能停止させるとは、さすがに驚きを隠せないよ」

 事実、男の言葉で起動したゴーレムは2体だけだが、五体満足の個体は1体もいない。男近くのゴーレムは下半身が形成されず、フロネー達が離れられない土からは腕のようなものしか生えていない。どちらも不完全のゴーレムだが、女性二人を足止めするには十分だった。

「だが賭けに勝った!」

 男は両の握りこぶしを掲げ、今生の喜びを一度に噛み締めたように悦に浸る。

「神鳥様は我々に味方したのだ!」

「ならもう一度!」

 ロクサーヌは前に右腕を突き出した。そして、今にも飛び立とうとする鳥が羽を広げるように、空中へ躍動させる。青い発光。紋呪が発動する寸前、ロクサーヌはゴーレムが腕を振り上げたのを捉えると、広げた掌にざらついた感覚が奔った。猛烈に後方へ引っ張られる力に抗えずに、彼女は土に足が埋もれたまま空を仰いだ。

 ロクサーヌの思考は空っぽになった。あの男を睨んでいたはずなのに、意識を腕に集中させただけで男が青空に変わった。

 違う。ロクサーヌは視点が倒れる直前、彼女に投擲された何かを見ていた。彼女はそれが腕に当たったのだと認識した時、突然、

「いっ! あああああああ!」

 右腕で爆発のような激痛が起こる。それだけではない。指先の感覚や腕にのしかかる物体の重みは感じているはずなのに、肩に力が入らない。

「フロネー助けて! 右腕が動かない!」

 ロクサーヌは、右肘も右肩も脱臼させられていた。歴戦の戦士であれば冷静に対処にできたのかもしれない。しかし、ロクサーヌは親から愛情をたっぷり注がれた、20歳になったばかりの娘だった。今まで体験したことのない、想像を絶する痛みと恐怖には泣き叫ぶことしか出来ない。

「おっと、女性には過ぎた威力だったかな」

 そうあざ笑う男の傍らで、ゴーレムは1本になった腕で上半身を支えていた。2本あったゴーレムの片腕は、今ではロクサーヌの右腕の紋呪を隠し、地面に固定している。ゴーレムは自身の腕を投擲していたのだった。

 ロクサーヌは唯一自由が利く左腕で何度も地面を叩く。それで枷から抜け出せるわけでもなければ、痛みが和らぐわけでもない。フロネーに助けを請う彼女の精神は狂乱に淀み切っていた。

「騒々しい」

 男は傍らのゴーレムの胴に手を刺しこみ、丸いコアを取り出した。それに細工をすると、ロクサーヌに向かって投げる。

 赤色の球が飛んでくる。フロネーは考えを巡らせた。腕を伸ばせば間違いなくあのコアには手が届く。固い土に覆われ、ゴーレムとなる前に直接触れられるならコアを停止させるのは容易い。だが、コアを停止させて何が出来るのだろうか。それは神鳥過激派への明確な反抗であり、ロクサーヌを外傷の痛みに苦しませ続けることも意味する。しかし、男の思い通りにするなら丸く収まってしまうだろう。彼らなら、紋呪のためにロクサーヌの腕をきっと治してくれるはずだ。師匠に歯向かわず、ロクサーヌも苦しまない方法。でも、これじゃあ結局———。

 コアは放物線を描く。それがロクサーヌの腹に着地すると、周囲の土を吸い込んで1体の完全なゴーレムとなる。ロクサーヌはゴーレムの体に全身を収められ、声を絶やした。その隣では、フロネーの拘束は既に解けていた。

「どうした? 反撃しないのか?」

 返答はない。失意に頭を垂れるフロネーは、暗に敗北を認めていた。

「懸命だ。先の狼藉は不問にしてやる」

 男はロクサーヌを捉えたゴーレムに指示を送り、散らばったコアを集めさせる。フロネーはもはやいないも同然だった。

「フロネー・ダーソスを守れ、との命だったが、とんだ収穫だ。

 ではさようなら、神童」

 フロネーは、ロクサーヌが連れ去られる姿を見る事すらできないでいた。

 足に力も入らなくなり、膝を着く。彼女の足元では、青い籠手が土の山に刺さっている。それをすくい上げて、彼女はぎゅっと胸に抱いた。

「ごめんね……ごめんね……」

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