異世界転生デストロイヤー その3

 長い、長い……とても長い夢を見ていた、気がした。

 開いた瞼。起こした身体。いつも通り、葛代芹の広いとは言えない部屋。普段通りのパジャマに変わらない寝床。毎日眠っている場所なのに、どうしてだろう。『固い』なんて、目が覚めてしまったのは。


「ん、んぅ……」


 グッと手を組んで伸びをする。パキパキ、一本背中を通った脊椎から、小気味良い音。カーテンからは光が差し込んでいる様子もない。家の中もシィンと静まりかえっている。枕元、充電ケーブルに繋がったままの携帯端末を手に取る。


「うっ」


 寝起き、それも真っ暗闇に慣れている目には液晶画面の無機質な光は刺激が強い。壁紙は一方的に慕っている先輩……を遠くから撮った写真。ロック画面に表示された時刻を見て、うなだれる。


「こんな時間……」


 時刻は深夜。日を跨いで一時間ほどしか経っていない。一度眠ると中々起きず何とか起きたところで睡魔に連れ戻されることから『夢見る少女』の名を欲しいままにしている芹。そんな芹が夜中に目が覚め、長年連れ添った睡魔に見限られている。年に数度あるかどうかの珍事。

 けれど、普段と違うのはそんな珍しささえ気を回せないほどの胸騒ぎ。全身を掻き毟りたくなる悪寒。

 変な夢を見たせい。眠り直そう。そんな常識的な判断を取れるだけの良識くらい持ち合わせている。


 苦しみが、聞こえた。吐息が、届いた。

 誰よりも芹に近い、他人の呻き声。囁くように、零れるように。


 たった一瞬。寝惚け頭で聞こえただけの、苦痛に喘ぐ声が冷静さを全て毟り潰した。さざ波一つ存在しない凪いだ鏡のような水面に、岩を投げ込んだみたいな衝撃。

 ただただ、居ても立ってもいられなかった。


 気付けば、脱兎の勢いで駆けていた。

 部屋を飛び出し、裸足のまま靴に脚を突っ込み走り出す。自分がおかしなことをしているなんて、頭の片隅にさえ浮かばない。状況だけを見れば寝惚けて変な行動をしている芹。

 一度落ち着け、冷静になれ……普段の芹なら常識という場所に二本脚で立ち、自分を律していたハズ。けれど、小さな小さな声は、大きく大きく膨らむ。どうしようも無いほど胸騒ぎとなって芹を突き動かしていた。

 無我夢中。どこに向かっているのか分からない。ただ、焦燥だけが芹の酸素となって血液に溶け込み脚を動かす。

 芹の肺が悲鳴を上げた。目覚めきっていない身体、エネルギーも足りない。運動もあまり得意では無いのに、ペース配分なんて欠片もない全力疾走。限界はすぐに訪れ、当然のように発生する肉離れも重なって減速しそうになる両足。


 また、だ。また、誰かのか細い、今にも途切れてしまいそうな吐息が届いた。

 自分の弱音なんて、一気に聞こえなくなった。私は、これ以上の痛みを知っている。

 もっと。もっと、早く。


 人が居ない住宅街を抜ける。比較的栄えている繁華街へと近づいたこともあり、灯りが増えた。深夜営業を行っている店前やコンビニの近くを走り抜けるたびに、奇異な視線が肌に、ちくり。刺さる。

 今更、自分がパジャマのまま飛び出したことに気付いたけれど、どうでもよかった。

 走る。走る。躓きそうになって立て直して、また、走り出す。とっくに目は覚めていて、全身汗だく。パジャマもビショビショ。

 途中、濃紺きっちりとした制服が目に入った。制帽と胸元には金色の紋章。全力疾走をしている芹に、面食らったように目を丸くするも、すぐに止まるように手を上げる。

 止まる? そんな時間、ない。


「そこのキミ、待ちなさいっ!!」


 脳に酸素が殆ど回っていない芹。一瞥だけして、少しの減速もしない。巡回中の警官だと気付いたのは追いかける足音が後ろに聞こえてからだった。

 あんなのに捕まったら、一巻の終わり。

 一体全体、自分のどこにこれだけの体力、身体能力が備わっていたのかはわからないけれど、気付けば振り切っていた。

 苦しい。今すぐ倒れ込みたいけれど……これよりももっと限界ギリギリの苦しさを知っている。思い出せないけれど、誰かと一緒に乗り越えた。気がする。


 もはや自分がどこに居るのかも分からない。見慣れない、来たことも無い場所。ただただ、我武者羅。

 たどり着いたのは、商業的なお店もコンビニの一つも入っていない薄寂れたビル。事務所と銘打たれてはいるけれど何の事務所なのか分からない……芹とは縁もゆかりも無いビル。

 ようやく足を止めて見上げた。真夜中、灯りは一つだってついていない。

 息切れ、眩暈。無理をした反動が襲いかかるけれど、なんとか耐えて、正面玄関。二枚の扉が並んだ観音開きタイプのドア。不法侵入は躊躇う理由にはなっても、足を止めるブレーキにはならない。


「もうッ」


 ガタガタ、扉を揺する音が真夜中に木霊する。極々当たり前、施錠がされていただけの話。

 開かない。ならば、と狭い路地裏になっている裏に回り込んで表よりも幾分か見窄らしいドアノブに手をかけた……それでも、ダメ。

 入れそうな場所は、表と裏の二つだけ。

 こんなところで二の足を踏んでいる暇なんてないのに。ビルの隙間、月明かりさえ差し込まない場所から天を仰いだ。


「あっ……!!」


 芹の頭よりも幾らか高い場所に、人が通ることなんて考慮されていない曇りガラスをはめ込んだ小窓。手を伸ばしても飛び跳ねても届かない位置にある小窓だったけれど……室外機が置かれている。

 思いつくや否や、室外機に脚をかけ、窓に手をかける。殆ど掃除されていないのか、黒ずんでいて羽虫が絡まったままの蜘蛛の巣やサッシには数えるのも諦めるほどの虫の死骸。

 躊躇いなく窓枠を掴み、祈るように力を込める。

 窓は、動いてくれない。


「ふっ、ん……!!」


 更に、力を込めた。

 ふわり。身体が、浮いた。室外機から放り出される視界から見えたのは、思い切り開け放たれた小窓。長年放置されていたから滑りが悪くなっていたんだろうなぁ、なんて暢気に分析……そして、衝撃。


「いッ……!!」


 受け身も何もない。開けた勢いそのまま、胸元から思い切りコンクリートに叩きつけられる。潰れる胸、強制的に肺から押し出される空気。瞬き一つ分遅れて追いついてくる痛み。日常生活でこんな痛みを味わうことなんて、そうそう無い。

 うずくまって、痛みが治まるのを待っているのが正解なのは分かっていても、止まれなかった。

 似たような……けれど、これ以上の凄まじい衝撃を知っている。

 よろめきながら、立ち上がる。再び室外機に脚をかけ、そのまま、サッシに手をかける。虫とか、蜘蛛の巣とか……嫌いなはずなのに嫌悪感がない。気にかける余裕がない。

 小窓の向こうは、いくつかの個室が並んでいる女子トイレ。ピンク色のタイルが張り巡らされているけれど、古いのと相まってお世辞にも綺麗だとは言えない。

 窓から身体を滑り込ませる。頭から落ちないようにだけして、転がるように着地。

 真っ暗なお手洗い。窓の少ない見知らぬビル。心霊スポットだと言われてもおかしくない場所に飛び込んでも芹の脚は加速を続ける。恐怖心が生まれる隙間は一ミクロンだってありはしない。

 小さなビルにエレベーターなんて存在しない。階段を一心不乱、駆け上がる。酷使された両脚は言うことを聞かずに、時々上がらない。そのたびに転んで。立ち上がって。階段を上る。

 たどり着いた最上階。一番奥の木扉。鍵がかけられていた。


「もうっ!!」


 悪態をつく。何かないかと、周辺の部屋を探り鍵のかかっていない物置部屋へ突入。真っ暗闇の中、手当たり次第に使えそうなものを探る。部屋を無茶苦茶に散らかしながら、手に当たった金属を引っこ抜く。

 鉄棒を引き延ばし先端を鈎型に曲げたバール。一も二も無く、扉前に戻り……叩きつける。

 ノブの近くに、幾度も、先端をめり込ませる。一度、二度、三度。数え切れなくなるほど叩きつけ……穿たれた穴。そこに向かってフルスイング、全力でバールの先端を抉りこむ。

 小さく開いた穴に、手を突っ込む。木片が手に突き刺さり傷をつけるのもお構いなし。

 遮二無二、手を動かして見つけた鍵を開けて、扉も開く。


「あっ」


 居た。幻聴でも、幻覚でも何でも無い。一人の人間が、こんな場所で、こんな時間に。

 倒れていたのは幻のように美しい少女。その、美しさを象徴した白金の長髪は薄汚れ、一部分に至っては血が固まって赤黒く染め上げている。月明かりを受けてぼんやり光を放つような白い肌にも、血がべっとり張り付き……今なお、とく、とく、と流れ続けている。

 ぱんっ、と頭の中でクラッカーが弾けるみたいな感覚。


「カトレアッ!!」


 倒れる少女に駆け寄って、抱き寄せる。

 まだ命はあるけれど意識は無い。溢れかえる記憶の奔流にパニックになる脳味噌。なんとか、理解できたのは向こう側の……異世界で負ったダメージがそのままだということだけ。当然、魔法での生命維持なんて、出来るわけがない。

 慌てて救急車を呼ぼうとした手が止まる。

 カトレアはこの世界の人間では無い。戸籍も無ければ、親族どころか顔見知りの一人だって居ない。それを公的な場所にいきなり連れて行く……命は助かるかもしれないが、その後がどうなるか想像出来ない。

 それでも、背に腹はかえられない……と、踏み切るよりも前に思いついたのはやっぱり一人。

 ポケットに入れた携帯。手に取ると同時に鳴った。名前が目に入った瞬間、応答をタップ。


「なず先輩!! カトレアが……!!」

「今どこ!!」

「えっと、丸川事務所っていうビルの……」

「すぐ行く!!」


 言い切る前に、ぶちり。途切れた通話。

 芹に出来ることは、パジャマを脱いで頭から流れる血を抑えるのと、首元を持ち上げて気道を確保するくらい。

 ろくな応急手当の方法も知らなければ、治癒魔法みたいなものなんて使えるはずも無い。どうしようもないほど無力。焦ることしかできないのが腹立たしい。


「大丈夫、大丈夫だから……」


 手をギュッと握り、語りかける。何も出来ない芹が何かをした気になれる唯一の手段。

 繰り返す、うわごとのように。壊れたレコードのように。延々と。『大丈夫』だと。その大丈夫は自分自身に言い聞かせているみたい。

 すぐになず先輩が来てくれる。疑いは欠片もない。けれど、救いの手が差し伸べられるのを待つばかりにしかできない自分がみっともなくて。


 足音が聞こえた。来てくれた……!! そう顔を上げて、固まる。


「あらあらまぁまぁ。先客が居るなんて想定外やわぁ」


 そこに居たのは、なず先輩ではなくて。


「やっぱり、今回は当たりやねぇ。好き勝手にさせとくだけで、あれこれ、見つけてくれるんやからなずっちは頼りになるわぁ」


 どこかくたびれた白衣を身に纏った、切れ長の目をした妙齢の女性。

 にこにこ。状況と場所にそぐわない笑顔を浮かべ、長い黒髪を揺らしながら扉の前に立っていた。


 誰。白衣を着ているから医者だろうか。それにしてはやけに嘘くさい。

 あまりに突然すぎて、喋っていた内容は殆ど芹の頭には引っかかること無くすり抜けていった。


「もぅ、そんなにジッと見んといてぇや。穴開いてまうわ」

「え、いや」


 なんなんだこの人は、という感想しか出なかった……けれど、芹の頭は思考を止めない。なず先輩ではないこの人が一体何者なのか。なず先輩の名前を出していたことから、考えられるのは一つ。


「……秘密組織の人、ですか?」

「ビンゴ」


 警戒心が跳ね上がる。治外法権も甚だしい組織だということくらいはなんとなく分かっていたから。


「まぁまぁ、悪いようにはせんから。ちょっち一緒に来てもらう……」


 耳に障る破砕音……ガラスの砕け散る音が、声を遮った。

 芹達と白衣の女性の間に滑り込むように飛び込んできたのは、今度こそ待ち望んでいた、その人で。


「大丈夫……!? 変なことされてない?」


 欠けた鎧に身を包み、顔にべっとりと乾いた血を張り付かせたままのなず先輩。ツインテールはほどかれて、毛先にかけて緩やかに波打つロングヘアを揺らす。

 芹たちを庇うように、そこに居た。


「ま、まだ何も」

「そんな悪人みたいな扱いせんでもええやないの。へこむわぁ」


 肩の力を落としている女性。暗い室内でもしょんぼりと落ち込んでいる様子が伝わってくる。相対するなず先輩が淡々としている所為か、凄く可愛げのある反応。


「織部薊観測部長、どういうつもりですか」

「観測部長やなんて、つまらん呼びかたやめてぇや。あざみんって呼んでっていったの、なずっちなら覚えてるやろ?」

「呼ばないって言ったのにしつこかいから……薊さんで妥協したのも覚えてますよ。今考えると、どこを妥協したのか意味不明ですけど」


 分からないやり取り。それでも、二人が同じ組織に所属していて、尚且つある程度の交流があるというのだけは分かった。目の前で繰り広げられる会話に面食らうのも束の間……すぐに、焦りを思い出す。


「薊さん、あなたに構ってる暇はありません……何の用ですか?」


 なず先輩が芹達の方へと寄ってきてくれる。なず先輩ならカトレアの応急処置を行うか、治療施設に連れて行ってくれるから、大丈夫。心に言い聞かせる。


「何をって……そんなん、なずっちがレアな被検体を連れてきてくれたから」


 文字通り、目にもとまらぬ早さだった。芹達に寄ろうとしていたなず先輩の姿がかき消え……慌てて視線を部屋中に走らせると、うつ伏せで地面に抑えつけられている白衣。音も無く一瞬の出来事。異世界でも、この世界でも、なず先輩の持っている能力は全く変わらないことを改めて目の当たりにして……非日常に脚を踏み入れたままであることを、痛感。


「やぁんっ。押し倒されてもうたぁ。強引ななずっちも、嫌いやないかも」

「二人は被害者で巻き込まれただけで、あなたの被験者(オモチャ)じゃない」


 握った手が強ばった。なず先輩が戻る前に言っていたことは、脅しでも何でも無く事実だと言うこと。もし仮に、芹がカトレアに辿り着くことも無く連れて行かれていたことを考え……血の気が引く。


「私でサカってくれるんはウェルカムカムなんやけど、ええの?」


 響く舌打ち。なず先輩は抑えつけていた手を離しカトレアのすぐ側に駆け寄り、抱き上げた。


「なずっちー、どこ行くつもりー?」


 白衣……織部薊と呼ばれていた女性。抑えつけられていた床から『よっこらせ』と、緊張感の抜ける声と一緒に立ち上がりながら、カトレアを抱えるなず先輩の背中に投げかけていた。


「セクターで治療させる」


 カトレアの負っている傷は見た目以上に重い。他でもない芹だからこそ、分かる。処刑されるまでの短い間を絞りかすのような魔法で延命できれば良いという捨て身の体当たりは、身体のあちこちに大小様々な危険信号。特に内臓系に著しいダメージが入っているのか、生涯感じたことのない苦痛に襲われていた。魔法で抑えつけていてソレだったのだから……今の状態は、間違いなく悪化している。


「行くだけ無駄やと思うで」


 急いでいる芹達に比べて、緊張感の欠けた飄々とした口調に苛立ちが募る。一分一秒を争っているというのに、どうでもいい問答に付き合っている暇なんて無い。なず先輩が織部薊さんを睨み付ける。


「どういうこと」


 問いただすと同時、空隙が生まれた。瞬間、隙間を見計らったかのように部屋になだれ込んでくる、複数人。


「わわっ、なになになに……!!」


 突然の出来事に、混乱。作業着みたいなものに全身、頭までをスッポリ包み込んでいる集団。顔は見えず、同じ格好が並ぶ姿は不気味だった。

 混乱する芹に対し、こういうときに真っ先に牙を剥くなず先輩はというと……目を丸くして、固まっていた。


「行くまでも無く、先に呼んでるんよなぁ、これが」


 そんななず先輩の反応を見た白衣姿は、にんまりと悪戯が成功した子供のように無邪気な笑顔を浮かべていた。


「……惚れた?」


 部屋の中に、聴いたことも無い大きな溜め息が響き渡る。


「ほんと、その破滅的ノンデリカシーな性格がムリです」


 そうぼやきながら、なず先輩は抱えていたカトレアを作業着の集団の一人に渡す。


「な、なず先輩? 大丈夫なんですか……?」

「その人達は治療のプロ。最善を尽くしてくれるから大丈夫……な、ハズよ。私だって何度もお世話になってるから」

「なず先輩も、お世話に……」


 カトレアが無事に治療を受けられるということに対する安堵と同時に浮かぶ灰色の気泡。

 なず先輩は、何度も何度も、治療を受けなければいけない状況に陥っているということ。今みたいに頭から血を流して、SF顔負けの鎧が砕ける攻撃を受けてもケロりとしているなず先輩が負う重体。一体、どれほどのモノなのだろうか。想像できないというか、したくない。


「んー、とりあえず、なずっちも芹ちゃんも一緒に来てもらおか」

「来てもらうって……どこに」

「うちらの……というかなずっちの所属してるPARのJ7セクターやね」

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