悪役令嬢ランナウェイ その24


 万力の顎に食らい付かれた左腕は丁度関節部のシェルを貫通し、肉と骨にまで到達。辛うじて、千切れてはいないが前腕は完全に口の中。


「いい加減、あんたとのいたちごっこも飽きたわ」


 ただ、庇っただけ?

 否。動いたのは衝動だとしても、取るべき選択は最善最良。


「躾の時間よ」


 警察犬の訓練よろしく、左腕を噛ませた。噛まれるより前に放った、左腕部に装填されていたOWBを発射。腕を食いちぎられる直前で着弾……素子という楔を体内に直接打ち込んだ。


「ら、あ、ぁぁぁああああああッ!!」


 左腕を全力で持ち上げて……黒獣犬ごと持ち上げる。

 闇の溶けて消えて逃げる……そんなの、こちらの現実ではありえない。獣が物理的に粉砕されて再生するわけがない。薄まっていない原液を流し込まれるというのは……理を塗りつぶすというのは、そういうこと。

 両手両脚でも足りないほどの階級差があろうと関係ない。今、この瞬間はちょっとデカいだけの犬に過ぎない。なら、負ける理由はなにもない。

 あとは思い切り殴るだけ。


「ハァァ!!」


 全力で振り下ろした左腕。噛み付いたまま持ち上げた黒獣犬を……受け身も、回避も、防御も介在させることなく石の大地に叩きつける。

 ガチン。

 叩きつけた衝撃で牙が思い切り噛み合わされ……左腕が千切れる。

 お陰で噛み付かれていた牙が抜けた。

 巨体が垂直にバウンドし、弛んだ口元から左腕がポロリとこぼれ落ちるが、今は無視。

 単純な膂力と物理の前に、黒獣犬は宙に浮く。

 立て直すことも、逃げることもできない数秒。

 それだけあれば十分だった。

 右腕を振り上げ、上体を逸らすように身体を捻る。ボールを投げる寸前の構え。

 ただ一発を全力で殴る。振り上げた拳を、全力で振り抜く。それだけに特化した構え。

 放つのは、元気な右拳。

 右腕噴射口、閉塞。

 そして


「吹っ飛べぇぇぇぇぇ!!」


 解放。

 徹甲弾と化した拳が空気という壁ごと獣犬の頭を打ち抜いた。衝撃が尻尾の先までを一瞬で駆け貫き、走り抜ける。尚、有り余る膨大な運動量が、打ち砕かれた獣の身体を真っ直ぐ吹き飛ばす。宣言通りに。

 ぶつける先は、決まっている。


《そんな状態で勝てるなんてね。神秘も魔導も存在しない、生の肉の個がそこまでの力を振るうなんて理不尽極まりない》


 ピタリ、打ち飛ばされた黒獣犬が目標へと衝突寸前で停止。

 


「お褒めに、あずかり、光栄、ねッ」


 目が痛くなる光に焼かれる黒犬。風化した布きれのように、ボロボロ。端から朽ちて消えていく。黒獣犬が朽ち消えると同時、右腕に装填された最後のOWBを打ち込む。

 最後の銀弾。

 狂いなく、迷いなく干渉者に突き刺さる。ばら撒くのではなく打ち込む。面ではなく、個に効かせる撃ち方。


《解析、不明。推測》


 散々、銃弾を浴びても回避一つ、防御一つしないこと。そこに、死角からの不意打ちといエッセンス。それらに、菜沙の勘を足して出た、当たるという確信は正しかったみたいで。


《神秘の否定ではなく……理の否定? 理の塗り替えといったところかな》


 直撃し、弱体化して尚、君臨している。

 スーツが傷口を力強く締め付け肘から千切れた左腕を止血。それでも、ボトボトと栓の弛んだ蛇口のように漏れ出してくる深紅の血。その上、何もしていないのに左脚のシェルの隙間から血が、ぷしゅぷしゅと、噴き出し続けている。無茶な軌道、常識外れな速度による弊害で、全身に数えるのもバカらしいほどの傷。裂傷及び骨折。内臓損傷多数。

 顔を隠す仮面と守る防具であった、フェースシールドに至っては全損。

 せめて、食わせるのは右腕にすべきだった。左脚に左腕だと、バランスが悪い。


「あああああああああああああああぁぁぁぁ!!」


 冷静な菜沙と違い真っ先に声を挙げたのは、干渉者以外で唯一、宙に浮いている後輩だった。

 暴風があらゆる石材を巻き上げ、生という生を押し潰す破壊の槌と化し……干渉者へと叩きつけられる、が。

 片手を上げ、その掌で、受け止める。形を持たないはずの嵐槌を。


《獅子が猫に変わったほどの弱体化。末恐ろしいが、多少差が埋まったところで大局に差は無い。これでも十二分に事足りる》


 グッ、と掌を握る。石材は全て粉々と細かな砂粒となる。それでも、風をぶつける芹とカトレア。だが、どれも片手……いや、見向きもせずに指一本ではね除けている。

 突っ立っているだけであらゆる攻撃を無力化していたのに比べれば、手を使わせているだけ弱体化は成功しているのだろう、けれど。


《対するキミは立っているのがやっと。その状態でまだ立てているのが驚き》

「高々、腕と足が一本ずつ取ったくらいで喜ぶなんてお里が知れるのよ」


 一歩踏み出そうとして、左脚が、破裂。割れた水風船のように、飛び散る深紅。

 外側……着込んだ装備で無理やり抑えつけていたのが、過負荷による限界で機能停止。左脚が、本格的に使い物にならなくなり、バランスを崩す。


「ナ、ナズ先輩さん……お、重っ!!」


 菜沙が立て直すよりも先に支えが駆け寄ってきた。一瞬受け止めてくれたけれど、すぐに菜沙の重さに引っ張られていく。このままだと共倒れ。

 とりあえず、巻き込まないように軸をずらして倒れ込む。


「い、今、治しますから……!!」


 咄嗟近くにあった菜沙の左腕を拾って断面同士をくっつけるリーナ。スプラッターな状況だというのに肝が据わっている。

 倒れた菜沙に向けて手を翳し、山吹色の優しい光が宿る。

 王子達を治癒したときと同じ、暖かな光。上から偉そうに見下してくるヤツの、ピカピカと目が痛くなる光とは大違い。


「な、なんで……クレィス様たちは、これで治ったのに!!」


 聖女としての魔法で治療してくれようとしているのだろう。優しい光だった


《無駄だよね。彼女はこちらの理を減衰させる。そこに区別はない。干渉するには共通する理……物理手段を介すか、減衰されても通用する出力を放つこと。つまり、回復する手段がないってことだ》

「ハッ、あんたを蹴っ飛ばすのには十分なのよ」


 ご名答。他の理を否定する……そこに善悪の区別はない。干渉者は出力で、黒獣犬は物理で菜沙を押し潰しに来た。


「……あいつの言うとおりだから、治そうとしなくていい」

「でも、これじゃあ……死んでしまいます!!」

「無駄に消耗することないの。その力は温存しときなさい……大丈夫。あなたを守るって言う約束は守るから」

「そんなの、私、何も返せないじゃないですか!!」

「約束に返すも何もないでしょ。私が勝手にしただけだし」

「そ、そうですっ!! あなたは勝手ですっ!!」


 何がリーナの地雷を踏み抜いたのか。詰められてタジタジ。悪魔の犬だろうが、干渉者だろうが……何を相手にしても怯まず、退かず、


「それなら私だって勝手にさせてもらいますっ」


 リーナは、すぐ傍に転がっていた尖った石片を拾い上げ……

 思い切り、自分の右掌に突き刺した。


「な、なにしてるのッ!!」


 脈絡のない自傷行為。表面をつつくなんてレベルじゃない。骨まで深く突き刺さった石片。綺麗な刃物ではないから、引き抜く際に肉や血管が抉られて、傷付けまくる。

 とくとく、と溢れ出す綺麗な赤。血の色は一緒だった。

 何をしようとしているのかは不明。でも、舐めて治るような傷ではない。

 リーナは自身の掌に唇を添えて、溢れ出した血を啜って口の中いっぱいに溜め込む。


「はやく治してゃっ……!?」


 菜沙の両頬を抑える、二つの柔らかな手。


「にゃ、にゃにっ!?」


 少女の左手からあふれ出る血は、山吹色の光と同じ、暖かさ。菜沙の頭から流れ出ている血と混ざり合って、地面を濡らす。

 一時、目が合った。

 目の前。唇を赤く濡らした栗毛の少女の顔。覆い被さるみたいに。紅潮する頬は、血の赤だけではなくて。


「ちょ、まっ」


 迷いなく。真っ直ぐ、落ちてきた。


「む、むぐっ……!!」


「「「なッ……!?」」」


 さらり、重力に従って一緒に落ちる髪の毛がヴェールのように光から二人の顔を隠す。

 触れる柔らかな弾力。乾いた血でガサガサな菜沙とは対照的で。

 ミリ秒の刹那を見切れる反応速度も、コンマ秒で決断を下せる判断力も。

 全部、会ったばかりの少女一人、押し返せなかった。


 繋がった柔らで滑らかな二枚の桜。真っ白になった頭の中を塗りつぶしたのは……生々しい鉄の匂い。命の液。流し込まれてくる多量の深紅。ほんの少しだけ混ざっている彼女の唾液の気配は、どこにもない。


 ――血は何にも勝る魂の通貨。譲渡すること即ち、魂を捧げること。


 浮かぶ符牒。

 甘いフレーバーティーのような微かな匂い全部を、生々しい命の紅鉄が上塗り。とろとろとした舌触り。ほんの少しこぼれた紅が、唇と唇の隙間から零れて頬を伝う。

 流し込まれてくる彼女の体温。

 静かに受け入れる。

 こく、こく。舌の上を流れ、喉を濡らし、中に落ちていく。


「ぷ、はぁ」


 繋がっていた唇が離れ、体温も数センチ離れる。

 けれど、何も変わらない。理不尽に押しつぶされない為の抗体はリーナの想いすら駆逐。

 魔力……か何かが込められたであろう血は何も起こすことなくて、ただ無意味な口づけをしただけ。

 一度倒れたせいで身体が重たい。金縛りにでもあっているかのような反応の遅さ……血を流しすぎた。普通の人間だったらとっくに死んでいる失血量。幾ら特別製であったとしても限度はある。


 それでも、諦めていないリーナ。再び口に自身の血を含んで目を瞑り、山吹色の燐光を纏う。

 違う。意味がない。幾ら繰り返したって意味がない。

 それだけじゃ、足りないのだ。


 いちいち言葉を交わす余裕はない。だから


 自分の舌の先を、思い切り、躊躇いなく……深く噛み切った。

 もう一度、と見下ろしていたリーナに向けて舌の先を差し出す。

 とくとく、と舌先から溢れ出しているのは菜沙の紅。 

 ぴたり。固まるリーナ。目を丸くしていたのは一呼吸分だけ。すぐに腹を括ったように真っ直ぐな視線。

 先ほどよりも躊躇いなく鳥居菜沙の唇に触れた。ほんの少しだけ開いた二枚の桜の隙間から、口腔内に流れ込んでくる赤。口腔内を侵すリーナの命液。今度はすぐに呑み込まずにゆっくりと転がして……菜沙の舌から漏れ出る血と混ぜる。

 リーナの血と唾液に、更に菜沙の血と唾液を溶かしてから、半分だけ喉奥に流し込む。

 もう半分を繋がったままの唇に、お返し。


「ふ、んぅ」


 返される二人分の体液がぐちゃぐちゃに混ざり合ったモノを必死に啜る、少女。

 慣れていないのか、上側だからか。はたまたその両方からか、口の端から零れる液が増えた。

 それでも菜沙から二人のカクテルをきっちり啜り飲み干したリーナに、デザート。


「んっ……!!」


 一対の柔肉を強引にこじ開けて、舌を捻じ込む。

 意図を理解しているから驚きこそすれ、それ以上動揺することなく受け入れられた。

 そして、異物である菜沙の舌を唇で挟み込み、チューペットのようにちぅちぅと傷口を吸い上げる。時折、リーナ自身の舌で傷口をなぞり出血を促す。その表情は茹で蛸のように真っ赤なのと同時に、一欠片の冗談だって入り込まないほどに真剣。そして、口元はドロドロ。

 数十秒の短い……けれど、この場において長い時間繋がった二つの唇、舌は離れる。名残惜しそうに銀色の細い橋を二人の間に架けながら。


 こんなこと、したことがない。それも相手は殆ど赤の他人。

 この瞬間だけは世界で一番繋がっている二人。

 魂という深さで。


「「あっ」」


 同時、呟いた。

 救命のためとはいえ深い口づけ紛いのことをした同様や羞恥が一瞬で消える、確かな感覚。

 目を合わせて、笑い合う。照れや、気恥ずかしさと言ったものではない……笑み。

 賭けに勝った。戦友と肩を組むような笑い合い。


「治しますからねっ!!」

「ん、お願い」


 これだけのことをして、リーナという少女との間に出来た繋がりは、か細く、脆く、蜘蛛の糸のように細い。菜沙が拒絶をすれば、一切の抵抗なく千切れるだろう。

 でも、十分。

 蜘蛛の糸一本あれば、一人くらい引っ張り上げられる。

 山吹色が、菜沙の身体を包む。暖かそうに見えていた光は、本当に暖かかった。


《させると》

「思わないでくださいなっ!!」


 無防備な菜沙たちに降り注ごうとする悪意を妨害するのは居丈高な轟風。


「氷棺に揺蕩え!! 狭間に抱かれ久遠と眠れ!! アブソリュート・エクセプション!!」


 これまでとは比べ物にならない冷気が、一瞬にして空間を極寒へと変える。

 視線の先にある干渉者は、巨大な氷の棺桶の中心。広間の天井すら軽々ぶち抜く氷棺は、生命の存在を刹那に否定。更に、氷棺を包むように紫電の帯が十重二十重、鎖のように纏わり付く。


「クレィス!! 合わせろッ」

「ノール!! 遅れるな!!」


 同時、白金と黒曜が駆けた。並走する二人の手には、同色の金色と深蒼の剣。刀身が折られても、光は強く輝いて。


「「はぁああああああああ!!」」


 双色の剣光がバツ印に駆け抜けた。二筋の斬閃の交わる中心に干渉者。一糸乱れぬ連携が、ようやく刃を届かせた。


《弱体化がここまで厄介とはね》


 ブロック玩具のようにボロボロと崩れ落ちていく氷棺。止まることなく駆け抜けた斬痕は、直前で不可視の壁で堰き止められていた。

 一つの掛け違いもない最高練度で展開された連撃でさえ、弱体化しているはずの干渉者には傷一つ付けることは出来なくて……ほんの少しだけ、拘束したのみ。


 だが、それで十二分。


「さっ、ダブルアップの時間よ」


 真っ直ぐ、立ち上がる。節々は痛むし、内側も悲鳴の大合唱。

 繋がった左腕も動くには動くけれど違和感。その上、シェルは電源供給が絶たれておりブースト噴射は出来そうにない。


「ナズ先輩さん、ごめんなさいっ。全部、直せなかったっ。あんなにやったのに、ごめんなさいごめんなさ」

「ありがと。こうやって髪の柔らかさを感じ取れるのは、治してくれたから」


 繋がった左腕で必死で謝るリーナの頭をぽんぽんと、撫でる。

 減衰されたリーナによる治癒は、欠損をゼロから再生するほどのデタラメさを発揮することはなかった。精々がリーナを助ける前に戻ったくらい。


「それと、その気の抜けた呼び方、どうにかならない?」

「で、でも……名前、知らないですから……」


 そういえば、そうだった。


「菜沙」

「えっ」

「菜沙。それが私の名前」

「ナズナ、さん……」


 反芻するように呟くリーナに背を向けて、見上げるはそびえる干渉者。


「リーナ。あと少しだけ、一緒に走ってくれない」

「はいっ、な、ナズナさん!!」


 とってつけたように呼ばれる名前。呼びたいと思ってくれている純粋な気持ちが、背中を支える。

 いつも通り。負ける気がしなかった。

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