悪役令嬢ランナウェイ その22

「……リーナ、ちゃん?」

「えっ?」

「あー……癒やし」

「あの、癒やしって、えっ、えっ?」


 流石は主人公。きちんと美少女なのに、嫌味なところや、気後れする派手な要素は丁寧に省かれている穏やかな可愛さ。キャパシティを超える現状において、最高の清涼剤。


「リーナッ!! そんなヤツを助ける価値なんて」

「誰も死なせないと誓いましたからっ」


 飛んできた怒声もすぐに銃声にかき消える。先の限界状態が嘘のように調子を取り戻す身体。二乗状態という反則技を使っての回復魔法でも応急処置が精一杯だったのに、殻を破ったばかりの聖女の回復魔法は身体を通常状態レベルまで引き戻していた。

 轟く火薬の金切り声が。緩んでふやけていた背筋に活を入れる。

 規格外のオバケみたいな存在はなず先輩が一人で引き受けてくれている。というより、芹たちなんて認識すらしていないように目もくれない。

 唯一のジョーカー。なず先輩も防戦一方。違う、戦闘行為として成立していない。どれほど銃撃を浴びせたところで無意味。靄を穿とうとする行為と何ら変わらない。

 体力、精神力。身体の節々もリーナのお陰で活動できるベルにまで持ち直せた。両手で頬を思い切り叩く。色々麻痺しているのか痛みを感じない。

 カトレアも芹も、アレの好き勝手にやらせてはいけないという一点においては、僅かのズレもなく一致。使える物は全部使え。アレに手綱を渡してしまったら、全部が、台無し。



「状況が変わりました。細かく説明してる暇はありませんが、アレは悪魔なんて比べものにならないほどの理不尽。ですので手を貸してほしい」


 リーナの手を掴む。こんな不可解な状況でも、きっちりリーナを守ろうとする三人に囲まれる。当然、芹……というかカトレアに対する信用はゼロ。

 表は上手いことまとめておくから、少しでもアレの干渉を受けないようにな魔法の準備をお願い。


『任せておきなさい』


 返ってきた頼もしさに全幅の信頼。頭の中に重たい靄。数日徹夜したかのような思考の渋滞。持ち直した意識が追撃による負荷で、すぐにズタボロ。吹き飛びそう。

 限界を超えるほど蓄えられた睡魔に襲われた状態で、睡眠剤をガブ飲みしたような速度で意識が消えそうになる。

 全身に力を込め踏ん張る。握った手から血が零れていることにすら、気付かない。

 自分自身が分からない。起きているつもりで夢の中なのかもしれない……けれど、どうだっていい。夢なら覚めるほどに滾ればいい。現実なら死ぬ気で喚くだけ。


 パチッ。脳味噌の中で、静電気が弾けた。パチリ、瞼を開く。一瞬のブラックアウト。戻ってこられたのを安堵している暇なんてない。景色は何も変わっていない……ただ、芹たちの周りに圧縮台風が荒れ狂い、争いの余波を防いでくれていた。


「このままではわたくしが予定通り処刑出来なくなってしまいますわ。ですからとっとと、協力なさい」


 限界まで追い詰められた脳味噌。カトレアの思考の深いところまでもが流れ込む。振り絞り、引き絞り、限界まで酷使された所為で何かの栓が弛んでいるのだろうか。あるいは時間が経てば経つほど意識が混ざり合っていくのかは不明。

 ただ、カトレアの目的と想いが見えてくる。

 見えてくる、なんて他人行儀なものではない。自分のことのように思い出されていく。


「処刑を受ける、というのか」

「元よりそのつもりですわ。それくらいしなければアレの筋書きは変えられなさそうでしたので」


 リーナを聖女として覚醒させたのも、国の在り方についての方針を指し示したのも……そして、処刑を甘んじて受け入れようとしているのも……全部が全部。ただ一点に収束していく。


「運命だとか、原作だとか、キャラクターだとか、イベントだとか、ヒロインだとか……極めつけが悪役令嬢?」


 端的に協力を持ちかけるための思考が躓いて、取り繕った冷静さが転げ落ちていく。

 代わりに、ふつふつ、と湧いてくるのは恨み辛み。ボコボコ、と音を立てる文句不満に罵詈雑言。魔法を維持しながらもへそで紅茶をリッター単位で湧かすほどの激情。感情が伝播して、混ざって、どちらともない怒りが重なって倍の倍、そのまた倍へと増幅。

 二人が一つだったから、共感なんかじゃない……本当の意味で同じ感情を抱いている。


「このわたくしを捕まえて、物語の盛り上げ役? いい度胸してますわね。重ねてきた全てがただの舞台装置? ハァ? それで、その舞台装置にスパイス感覚でわたくしが転生させられるって何? えぇ、その通り。しかもその転生者さんとやらは礼節も知らない無礼者ですのよ? へそで茶が沸きますわ。ほんと、高慢ちきで合理主義なクセに全部裏目に出てるバカに転生とか勘弁して欲しいよね。でも一番腹が立つのは、上から目線でわたくしたちを弄ぶ存在。つまらないのを通り越して、面白いのすら通り過ぎて……」


 表に出ているのは芹の人格。溢れ出すのはカトレアの底。民のためとか未来のためとか……あらゆる目的を排した結果、残るもの。感情という名の原動力。


「『殴ってやらないと気が済まない!!』」


 意志も、覚悟も、全部が全部、決められたもの? しかも、娯楽の中の道化役?

 苛立たしい。ムカつく。腹が立つ。

 自分で定めた、自分の意志。それが、トンチキ存在だかに敷かれたオモチャのレールという事実が気に食わない。


 気分良く帰ってたのにトラックに故意的に跳ねられて、突然、外野が持ってきた幕で人生が閉じる? フザけるなのバーゲンセール。

 第二の人生を与えるからいいでしょ? なんて言い草も自分勝手極まりない。いいワケがあるか。

 転生させられる側の割を食っている、土台となった悪役令嬢。

 今となっては、ただ一人の愚直な人間、カトレア。自分の身体が、人生が、想いが。どれもが、知らない人間に渡り、何も知ることなく差し出される。芹に心の底から怒りを抱いていたのに、僅かも見せることはなかった。芹に言っても無意味。

 カトレアにはやるべきことが幾らでも残っている。道半ばでバトンを奪われるつもりなんて更々ない。

 芹にだってやりたいことがたくさん残っている。卒業もしていないし、恋愛だってしていない。就職もしていないし、今やっているゲームもまだ終わっていない。

 何より、なず先輩との約束が……これから始まる予定だった青春を謳歌できていない。なず先輩との約束を思い出した所為で、ムカつきが尋常じゃなくなってきた。

 根性とか、意地じゃない。瞬間的に沸騰する怒りはまるでニトログリセリン。あらゆる精神力を薪として焼べ、燃え尽きかけていたのが、爆発にも近い勢いで燃え盛る。

 ハラワタが一秒も経たず煮えくり返るし、へそで紅茶が業務用レベルで沸かせてしまう。

 深呼吸をひとつ。

 落ち着くためではない。目の前の何にも分かっていない連中に、今から喋るぞ、という意思表示。

 幸い、先ほど大声を上げたお陰で、皆が皆、こちらへと注目。

 どうする。どうすればいい。悠長に説得している時間なんてない……何より、なず先輩が今、ジリジリと追い詰められているのに、手段を選んでいられない。

 手を貸してくれと言ったところで、理由と説明を求められる。説明できないからといって、手を貸してくれるような信頼関係の芽は全くない。種すらない。

 使えるモノを探す。芹たちの武器は二つ。強力な魔法と半端な知識。けれど、今の状況は知識なんて通用しない。バグを潰す為に、ゲームの外側から介入してきたのに等しい。

 コンマ1パーセントであってもアレを打倒する可能性を得るために、使えるモノは捜す。

 手段を捜せるだけ、まだ贅沢だった。

 ゴリゴリ。脳味噌の中で音を立てて削られていく正気。そこから目を背けてあらゆる引き出しをひっくり返す。彼ら彼女らを、動かすためには何がある。

 過去の弱み、失敗、後悔。不安や葛藤を知っている。それじゃあ、全員から協力を得られる気がしない。

 お前達の弱みを知っている。バラされたくなければ協力しろ……だなんて、脅し文句にすらならない。嘘ではないと、説明している時間なんてない。

 余裕がない頭で思いつくのは、たった一つ。これしかない。こんなものしかない。こんなもので勝負に出るのが、行き当たりばったりの私たちらしい。


「自室で雨に濡れたリーナさんを匿った挙げ句、自分の衣類を着せ、袖口から見える腋に性的興奮を抱いていた人が居たらしいですわね」


 暴風の壁。余波でバサバサと揺れる髪。精一杯解き放った言葉に対して、何も返ってこない。


「その時リーナさんに着せた服、今も持て余しているんでしたわよね? いや、時折、残り香を堪能しているのでしたっけ?」


 視線を。声を向ける。剣幕や眼光が失せ、口は半開き。状況にそぐわないほど、間の抜けた表情。


「次期騎士団長は、とんんだむっつりスケベなのですわね」


 半開きの口が、パクパク。膨らんでは縮こまる。ゴツゴツとした鎧を着ている人間がしていいリアクションじゃない。


「スケベと言えば、教皇代理も負けていませんでしたわよね。腕枕の感想とかありますか? リーナさん?」

「えっ、あ、な、なんでカトレアさんが」

「部屋が空いてないと嘘をついて、同じベッドで寝るのは流石、頭脳派。純朴なリーナさんを丸め込むのに、これ以上なく、有効でしょうね」


 顔を赤くするリーナ。かわいい。小動物みたい。


「す、少し待ってください。どうして、貴女が知っているのですか!? 覗き見とは趣味が……」

「キーレル。どういうことか、説明しろ」

「待てっ、こんなオンナの言うことを信じるのか? ノール!!」

「説明しろ。今すぐに、だ」


 キーレルの肩をがっちり掴むノールドア。無表情過ぎて怖い。


「ノールドアさんと同じように、誰にも言ったことのない性癖でも当てれば信じてもらえますか?」

「い、いや、わかった。信じます。信じるから、やめてくれっ」

「待て待て。俺の性癖が、別に、さっき言った、その」

「腋?」

「そ、そうっ。そういうのが好みだというワケじゃ」

「それだけではない。まだバラされ足りない、と」

「ぐっ……!!」


 むっつりなノールドアと違って、キーレルはかなりねちっこい。フェティシズム眼鏡と言っても過言ではないので……リーナには少し刺激が強いかもしれない。

 さて、次は、と視線を向けると……。


「この王城で自分勝手に暴れ回るモノを野放しにしては貴族の名折れ」


 きりり、と表情を引き締めて、剣に手を添えるクレィス王子。


「うわ」


 思わず零れてしまった声。慌てて、咳払いでかき消す。


「待て待て。クレィスだけダメージがないのは不公平だろう、なぁ、キーレル」

「全くです。王子ともあろう人間が保身に走るとは情けない。あぁ、情けない。こんな友を持った覚えはありませんよ」

「……何のことだか、分からないな」


 どいつもこいつも、リーナが好きすぎる。そりゃあ、こんだけモテれば逆ハーレムルートの一つや二つ、あるよなぁ、と。

 三人がやいのやいの、と言い争っていて微笑ましい。内容は互いが互いの足を引っ張り合う、みっともない暴露合戦だけれど。敵対していたから見ることの出来なかった、明るい側面。芹が知っていて、カトレアが知らない彼らの友情。


「少しだけ同情しますわ」

「う、うぅぅ……」


 彼らを横目に、茹で蛸のように顔を真っ赤にしたリーナの肩を、ぽんぽん、と数度叩く。彼らは男としての尊厳に、泥を投げ合っては居るけれど一番の被害者は間違いなくリーナ。南無三。


『もう、持ちませんわよ。早く、してくださいなっ。ナズナさんも、ジリ貧ですわよ!! 更なる新手を彼女一人に任せるつもりですかッ!!』


 その一言が心地よいぬるま湯に浸かりかけた指先を一気に氷水のように冷やす。微笑ましいやり取りを眺めていたいけれど……残念ながら、余裕はない。


「説明も、処罰も、全部まとめて後で引き受けますから手を貸してくださいな。矢面にはわたくしが立ちます。サポートだけで構いません」

「あ、あぁ」


 気の抜けるような返事。本当に、大丈夫なのだろうか、という不安。それを、根性で踏み潰して、背筋を伸ばす。ここからは、勢い勝負。なず先輩と作戦会議も出来ない、一発勝負。


「リーナさん。今からでは友達になるのは、無理でしょうか?」

「えっ、と」


 ズルいのは分かってる。リーナは優しくて、赦してくれるって知っているから。

 瞬き一つ。そして、満開のヒマワリのような弾ける笑顔。


「お、遅くないですっ!! 友達に、なりましょうっ!!」


 差し出された手を間髪なく握る。小さくか細い、慈愛に満ちた手。


「……どうか、手を貸してください。大事な、人なんです」


 いきなりのお願い。手を借りるために友達になったみたい……というか、その通り。それでも、この娘は、いい子だから。


「任せてくださいっ。友達ですものっ!! それに私だって、あの人にまだ恩返しできていないですから」


 明るい笑顔。あの意味不明な存在が放つ光なんて足下に及ばないほどに眩しくて、頼もしくて。

 彼女と、ついでに彼ら。

 絶対に死なせない。その上で、勝つ。

 これが私たちの最後の共同作業。 

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